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川柳と俳句の内容的な違いは?爆笑か雅味の笑いか…漱石・子規に聞く

2018.01.23 07:30

https://rhinoos.xyz/archives/17676.html 【川柳と俳句の内容的な違いは?爆笑か雅味の笑いか…漱石・子規に聞く】 より

マザコンと 言われて母に 相談し            

いきなりで失礼しました、サイ象です。さてこの句、なかなか傑作……ではないですか?

「句」といっても「俳句」ではなく「川柳」だということになるんですが……そいうえば、川柳は俳句とどこがどう違うんでしょうかね?

川柳と俳句はどう違う?

「575」の計17文字(正確には「文字」でなく拍〔モーラ〕ですけど)の定型詩だという点で同じなんですが、一般に思われている違いとしては、以下のような点が挙げられますね。

川柳は笑えるふざけたもので、俳句はまじめ…というか風流に風景を詠んだりする。

言葉づかいが俳句は文語的で川柳は口語的。

俳句には「季語」(季節を表す言葉)があり、川柳はなくていい。

俳句はには「切れ」があり、これを「や」とか「かな」とかの「切れ字」で作ることが多いが、川柳にはないのが普通。

より正確にいえば、俳句にはもっと細かい規則もいろいろあって、またその規則を固く考えるか、ゆるく見るかも俳人や学者によってそれぞれ違うので、川柳との違いも一概に定義できないんですね。 

たとえば、俳句に「季語」は絶対必要だとする人もあれば、せきをしても ひとり  尾崎放哉 のような、「季語」もなければ「575」の韻律さえ壊してしまった「無季俳句」・

「自由律俳句」も広く「俳句」と認める立場もあるわけです。

それから上記4.の「切れ」というのは、たとえば、かの有名な松尾芭蕉の

古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音 という俳句なら、上の句「古池や」で

「意味の流れがいったん切れる」ということを言っているんですが、これも川柳には全然ない…というわけではありません。

たとえば、江戸期の古川柳で、亭主をば 尻に 他人は 腹へのせ   なんていうのは、「亭主をば」で切れているともいえるんじゃないでしょうか。

俳句は笑えない?

また上記1.の笑えるかという点ですが、上にみた「古池」の句にしても、また「せきをしてもひとり」にしても、ある意外な発見が人を微笑させる…という笑いの要素が含まれているとはいえますよね。

またもっとしっかり笑える、笑わせる俳句というのも沢山あります。

たとえば、あら何ともなや きのふは過ぎて 河豚汁(ふくとじる)   松尾芭蕉

鶯や 餅に糞する 縁の先 同  よって来て 話聞き居る 蟇(ひきがえる)正岡子規  桃太郎は 桃 金太郎は 何からぞ 同  叩かれて 昼の蚊を吐く 木魚哉 夏目漱石  両方に鬚のあるなり猫の恋  作者不詳

最後の「猫の恋」(これが春の季語)の句は、ある句集に載っていたのを漱石が見てゲラゲラ笑っていた、と鏡子夫人が回想しているものです(『漱石の思い出』)。

内容的・本質的な違いは?

つまり俳句もけっこう笑えるものだといえるんですが、それでも川柳の笑いとはどうも性質が違うような気がする……

あるいはこの違いにこそ、俳句と川柳とに線を引く分水嶺――根本的・本質的な違い――が横たわっているのではないでしょうか?

そこに目を付けることから、上に見てきたような「形式」上の違いではなく、むしろ「内容」に立ち入っての本質的な相違を指摘できるのでは……?

もしそのあたりを明快に説明できたなら、周囲の人のあなたを見る目も俄然変わってくること請け合いですよ~y(◎◎)y。

というわけで、今日はこの笑いの性質の違いというところにこだわって、近代芸術としての「俳句」の確立者たる正岡子規と、その子規と切磋琢磨して俳句の腕を磨いた親友、夏目漱石の言葉に耳を傾けながら、考えていきたいと思うんです。

江戸・現代の川柳:傑作選

はじめに、川柳の笑いの質を体感していただくために、私が傑作と思う作品をいくつか並べてみますね。

上に一句だけ紹介した古川柳は、「川柳」という呼称の元になった大師匠、柄井川柳の編纂した『誹風柳多留』(1765~)掲載の句で、そこにはほかにもこんな傑作がザックザクあります。

本降りに なって出て行く 雨宿り    寝ていても 団扇のうごく 親心

役人の 子はにぎにぎを よく覚え    わが尻は 言わず たらいを ちいさがり

どうです? 笑えました?

では次に「サラリーマン川柳」などとしてさかんに制作されている現代の作品から。

テレビ欄 号泣とある 生放送    痩せていた 証拠のスカート 捨てられず

イチローを 超えたと二浪の 息子言い   腹の子が 胸なでおろす 披露宴  

抱腹絶倒か雅味か

笑っていただけましたよね?

そして、上に見た「笑える俳句」のかもしだす笑いとの性質の違いも体感していただけたでしょうか。う~ん、微妙……ですか?

この違いについて子規はこう論じています。

川柳の滑稽は人をして抱腹絶倒せしむるにあり。俳句の滑稽はその間に雅味(がみ)あるを要す。 (『俳諧大要』明治28年/1895)

この根本的な違いがあるゆえに「俳句にして川柳に近きは俳句の拙なる者」で、逆に

川柳で「俳句に近き」も「拙なる者」だと斬り捨てるのです。

なるほど、そう言われればそんな気もします……

でもそれなら、俳句に必要とされるその「雅味」って一体なんなんでしょうか?

たとえば『日本』新聞の記者になった子規は明治30年3月の同紙に連載した「明治

二十九年の俳句」で、当時まだ無名だった漱石を「滑稽思想を有す」俳人として紹介

しましたが、そこに並べられた中にはこんな句がありました。

長けれど 何の糸瓜(へちま)と さがりけり   明月や 丸きは僧の 影法師

鶏頭や 代官殿に 御意(ぎょい)得たし 

ふ~む、なるほど。意外なことの発見による笑いが、ふふっとこみ上げては来ますよね。

でもそれは「抱腹絶倒」させるかもしれない

川柳的な笑いとは根本的に違うような感じです。

「雅味」とは、このあたりの微妙な違いを言い表そうとして持って来られた語のように思われます。

ここで、話をわかりやすくするために、子規が上記『俳諧大要』で「俳句とはいふべからず」とまで完全否定した有名な俳句を挙げておきましょう。

朝顔に 釣瓶(つるべ)取られて もらひ水   加賀の千代女

これなんか「俳句にして川柳に近きは俳句の拙なる者」と子規がけなした「拙なる」俳句の典型例……ということになるんじゃないでしょうか。

え? 言ってることがわからない?

それではやはり、俳句と川柳という兄弟が(兄弟には違いないんですが、性格がだいぶ違います)そもそも何を母胎として生まれたものか、おさらいしておく必要がありそうですね。

立ち上げるか、落とすか兄弟の母胎ととなったのは「俳諧の連歌」といわれるもので、これは「連歌」ですから一人ではできず、何人かが「運座」と称して座敷に座るなどして始めます。最初に口火切った人の575の歌(発句)に別の人が77の下の句を付け(付け句)、さらに別の人がそれに575をの句を付け……というふうに連綿と続けて行くんですね。

この「発句」が一人歩きをはじめ、やがて独立した芸道のようになったのが「俳句」で

それは松尾芭蕉によって大成され、子規によって近代芸術化された、ということに

なっています。

これに対して川柳は、あとから付ける「付け句」の575が独立してできた別個のジャンル、というわけ。

俳句と川柳は、それぞれどうしてもこの生い立ちを逃れることができません。

無粋なたとえをお許しいただければ、俳句が「問題提起」的・「序論」的に

世界を立ち上げるのに対して、川柳はすでにある世界を「結論」的に、または

落語のオチのように落とします。

だから俳句の場合は、立ち上がったはいいが、落ちないままに終わって、読者を投げ出し、途方に暮れさせてしまうようなこともままあるんですね。

もともと「付け句」である川柳は答えを出す側なので、読者に”?”をつきつけるようなことはないわけですが、「発句」を出自とする俳句はむしろ”?”を投げかけることこそが身上なのです。

この意味で、加賀の千代女の「朝顔」の句は完全に落としてしまっている点でまさに川柳的といえますね。

これは子規にいわせれば「俗極まる」もの(『俳諧大要』)、それこそ「雅味」の正反対ということになります。

連想の世界を暗示する「扇のかなめ」千代女の「朝顔」の句は、漱石もまた英国留学中から書きためた『ノート』のなかで「拙句」と斬り捨てていますが、それはこの『ノート』全体のキーワードになっている「暗示」(サジェスチョン)追求の志向からして当然でした。

俳人として認められ始めた明治29-30年のころ、漱石は熊本の第五高等学校の教授でしたが、そこの生徒だった寺田寅彦に「先生、俳句とは一体どんなものですか」と問われて、こう即答したといいます。

扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。 (寺田寅彦「夏目漱石先生の憶い出」)             

立ち上げられた「扇のかなめ」(集注点)から放散し暗示される連想の世界を読者各自が心に描くところにこそ俳句の雅味があるわけで、「もらひ水」のように落としてしまうのは、もはや俳句ではないと言うんですね。

それでは、この尺度からするならば、どのような句をもって秀句とすべきなのでしょうか。

同じ時に寺田寅彦に漱石が示した秀句はこれでした。

秋風や 白木の弓に 弦(つる)張らん  向井去来

実はこの句、子規も『俳諧大要』で「有難き佳句」と大いに称揚しているのですが、これに暗示されて連想の世界を広げて見よといわれても……う~む┐( ̄ヘ ̄)┌ 現代人にはちょっと厳しいんじゃないでしょうか。

これつまり…弓は神聖な武器で、武士は秋になると(夏はニカワがはげるので)弓に新しく弦を張って稽古に励んだものだった……というような知識が背景にあってはじめて生き生きとした連想の世界が広がるわけですよね。     

なので、平成の世にこれを秀句として持ち出すのはかなり苦しいに違いないわけですが、ともかく「佳き俳句」とはどういうものかという批評尺度においての子規と漱石の一致を見事に示す句だった、ということになります。

【まとめ】俳諧の”諧”とは?

さあ、これでもうあらかたご理解いただけましたよね。

俳句と川柳との本質的な違い。

最後にもう一つ、去来の師匠でもある「俳聖」芭蕉の雅味ある笑いの句を挙げておきましょう。

おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな   「鵜舟」は鵜飼に使う舟ですね。

この句、「結論」(落とし)まで行ってしまったようにも見えますが、やはり「問題提起」(暗示)的にとどまっているとも言えます。

何がどう「悲しい」かは読者の連想の世界にゆだねられているからです。

同じ意味で上に見た子規の 桃太郎は 桃 金太郎は 何からぞというのも、「抱腹絶倒」の川柳的笑いの句のようでありながら、「何からぞ」と問うて読者の連想の世界を喚起している点で俳句的雅味の句だといえるわけです。

俳句も川柳ももともと「俳諧」で、「諧」の字は要するに「諧謔」(滑稽、ユーモア)の意味ですね。この「諧謔」精神に発するものですから、所持万般について「おもしろうて」と

笑える発見をまず立ち上げてくれることが前提です。

さらにその先に「悲しき」まで見えてくるような笑いか、そうでないか……そのへんにも俳句と川柳の違いがありそうですね。

みなさんも、俳句か川柳かどちらか一句(どちらでもいいけど、どちらかに決めて)ひねってみませんか~:*:・( ̄∀ ̄)・:*: