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トリニティ

人ともに生きてこそ

2021.01.28 16:11

老人の話ばかりで恐縮です。





実家の両親が

認知症の診断を受けてから


貼り薬を処方されて

2ヶ月貼り続けてきてのだけれど



12月の初めより

父が

ひどい副作用に悩まされるようになった。



薬局から言われてはいた。

吐き気が出てくる場合があります、と。



本人は当初吐き気が副作用だとは

思ってなくて



昔、胃がんをしているから

ただごとではない

胃の症状に

とても怯えていた。



食欲がないだけでなく

吐き気と

だるさに

悩まされた。



12月半ばに

副作用だろうと、

1つの認知症の貼り薬をやめてみた。



しばらくは良かったのだけれど、

やはり周期的に

胃の不調が襲ってくる。



年末年始は食欲もなくて

起き上がれず

このまま天に召されるのか、

と思うくらい

弱っていた。



一月始めの

認知症の外来での定期検診で、

その症状を伝えると



「1番弱くて効果も少ない

    飲み薬に変えて

    しばらく貼り薬をやめてみましょう。


 副作用で起きた胃の不調なのか

 はっきりするでしょうから」


そう回答された。



そうして

貼り薬をやめると

胃の不調はすっかり

改善されたのである。




年末年始に食べれなかった分を

取り戻すかのように

食欲も戻り

たくさん食べて


父は元気になった。



改めて薬の効果と

副作用について

考えさせられた。



効果として認知症の進行は遅らせる

と言われただけあって、



イライラしていた父が

少しずつ穏やかになり

意欲的にもなっていた。



でも、

日常的にこんな不快感を持ったまま

薬を続けることは無理だった。


 


せっかく落ち着いてきたのに

認知症の症状が進むのではないか、

そんな危惧をしていた。




そんな不安を察したのか

ケアマネさんが


「週二回デイサービスで

   いろんな活動することが

   きっと薬の代わりに

 なりますよ」


と、笑ってくれた。



たしかに


デイサービスに

週二回に

通い始めると

最初は疲れ気味だったけれど


両親は本当に明るくなった。




12月の初めまで

無表情でぼんやりしていた母も

今ではよく笑うようになり




デイサービスでの

出来事を詳細に話してくれる。




人に物を頼むことが

苦手な父が

左の肩が上がらず


自分で頭を洗えないことを


ようやく伝えて

髪を洗ってもらうことが

できるようになった。




デイサービスの活動内容も



門松作り

餃子作り

新年卓球大会

白菜漬け作り

味噌汁作り

誕生ケーキ作り

マスクケース作り

いちご狩り

初詣



毎回趣向を凝らして

楽しい様子がFBにも

あがっていて

 


真剣な表情で

門松を作ったり



隣の人と話しながら

餃子を作っている

両親を見つけられる。




ケアマネさんの言われるように



人と人との交流が

何よりの薬になっていた。




いろいろな境遇の方が

集い



サポートしてくださる方々と


互いに

声をかけあい


和やかな笑いや

共感が



失っていく記憶や

見つけられない物たち


先の見えない不安や


誰に対しても

疑心暗鬼になってしまう

不信感を



少しずつ溶かし



不安が安心に



不信が信頼に



変わっていく。





ここ数年

母は

料理もできなくなり



作られた料理を

どうにか

温めることが

やっとだった2人が



デイサービスで

刺激を受けたのか



久しぶりに2人で

味噌汁を

作ってくれたのよ、

義姉から

嬉しそうに連絡が入った。




母はもとより

父のこんなに安堵した顔は

久しぶりに

見た気がした。







そんな父を見ながら




20年以上前の妹の結婚式での

出来事を

思い出していた。




 父はピアノが好きだった。

 かといって

 弾けるわけではなく



 誰も弾かなくなったピアノを

 定年退職した後

 父が習い始めた。




 そして妹の結婚式で

 「エリーゼのために」を

 披露したいと

 猛特訓していた。




 しかし披露宴の当日



 あんなに頑張って

 練習した父の指は

 緊張でうまく動かず



 途切れ途切れに


 メロディを拾うのが

 やっとで

 


 曲の最後までたどり着くことは

 できずに

 お祝いのピアノ演奏を

 終えた。



 そのたどたどしいピアノを

 聴きながら

 わたし達姉妹は

 いつのまにか

 涙していた。



 いつも理屈と頑固さで

 わたし達を押さえてきた

 父の



 こんなに不安げな

 表情も

 態度も

 見たことがなかった。



 まるで私たちが

 親になったかのように

 ハラハラしながら

 


 せつなさと   

 もどかしさと

 複雑な気持ちで


 その姿を見守っていた。




 ピアノを弾けずに

 挨拶に立った父が

 こう言った。



 「この日のために

  練習したけれど

  うまくできませんでした。


  でも人は

  何度でも

  夢を見ることができます。


  そして

  何度でも

  やり直せます。



  だから人生は

  素晴らしいのです」




 演奏を失敗して

 小さくなった父の

 

 汗をかきながらの

 この言葉が



 そこに集った皆の

 胸に響いて



 大きな拍手がおくられた。





 

本当は

誰よりも負けず嫌いで



だからこそ

常に努力を惜しまなかった

父は



いつも

努力すれば

乗り越えれると



自分にもわたし達子供にも

厳しかった。




その父が

高齢になり


 

機能も

記憶も

 


抗いながらも

失っていくなかで




ここにきて

ようやく




努力する人生を

手放すことを

 


自分に許せたのだと





そんな気がした。






長く生きるということは




努力もできない、

何もできないと思える


自分ですら

受け入れていかざるをえない。




きっとそれは


最大の自己受容の

過程で




そこまで生きて



ようやく到達できる



「身も心も、委ねていく」



という

恩恵なのかも

しれない。





不思議なもので


そんなふうに

肩の力が抜けたことで



過度な心配性からきていた



長年抱えていた

父の作り上げたストーリーの中の

悪役からの攻撃が

おさまっているようだった。


 


父にとって

悪役を設定することが



負けないための

努力の糧だったのかもしれない。








あの結婚式の挨拶で

父が言った


「人生は素晴らしい」


という言葉は




わたしには


まだ

言えない気がする。






でも


「生きていく」


ことは



喜びも

悲しみも

みじめさも



ともに

わかちあう人たちが

いれば



きっと

どんな体験も


「素晴らしい人生」


へと


時間と共に


に転換していけるのではないか。




苦労を重ねた


両親の姿を見ながら


そう感じていた。







長く生きていくことが


少しだけ



怖くなくなっていた。