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「ブラームスと芭蕉たち」  ―現代に生きる太古の思想― -

2018.01.24 07:18

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kfrkd/gallery/akanemokuji/akanemokuji%2047gou/akane47mokuji.htm 【「ブラームスと芭蕉たち」―現代に生きる太古の思想― -】 より

吉江久彌先生は大正6年のお生まれ。昭和15年東京高師を終えられ旧制中学の教師に就かれたが、さらに東京文理大に学ばれ昭和26年から33年まで国語科の教諭として洛北高校の教壇に立たれ、授業を受けた生徒も多い。洛北高校のあとは仏教大学の教授に転じられ、立命館大、大阪外大、武庫川女子大などでも講師をつとめられた。

 思文閣から出版された本著は先生の思索、研究の集大成ともいえる。内容は3部から成り、第1部はブラームスを軸として論述、音楽家のブラームスの霊感による作曲のことから老子の思想、列子、荘子、さらに芭蕉に及ぶ根本を「生きている宇宙の霊妙な働き」に見ている。

 第2部は第一部の内容に深く関わる太古のウパニシャッドの思想を紹介、それが近代になお継承されている事実に触れている。深淵な思想を要約した格好の文章である。いささか難解な内容であるが、読み進めるうちに何時しか吉江先生の語りに引き込まれる。

 第3部は先生が新聞やTVで見て感銘を受けられた折々のことが書かれている。比叡山でのダライラマとの出会いのエピソードも。全体を通じて大昔の人の思想が今も新鮮で現代の世に益することが多いことを説いている。洛北在学時、吉江先生の授業を受けた方は勿論、同窓生諸兄姉にじっくり読んでよしい一書である。


http://www.rakuto-underground.com/TORU/BackNumber/BRMSBSHO.htm 

【“ブラームスと芭蕉たち - 現代に生きる太古の思想”吉江久彌 (思想研究書)】  より 

今日は思想研究書(?)の読後感想ご紹介。

通常は book のコーナーで紹介すべきかも知れないが特別企画ということで。書の題名は『ブラームスと芭蕉たち - 現代に生きる太古の思想』...。

 昨年の夏に約30年ぶりに再会を果たした高校時代の友人、G藤君から昨年末に手渡されたのが本書である。彼の大学時代の恩師である吉江久彌先生が私にプレゼントしてくれたらしい(ここに至る経緯は話せば長いのだが本題ではないので省略!)。せっかく貰ったのだし“こんな難しそうな本を手にすると学生に戻った気分やな~♪”と浮かれてとりあえずさわりのところを読んでみる。いきなり“緒言”と題されていて一般的な“はじめに”とかありがちな“序文”ではないところが学術的だ。だが普段は推理小説などのお手軽本しかインプットされない私の頭にとって、これは苦難の道程の始まりだった。

 それでも何度か挫折しそうになりつつも何とか読破してくたびれきった私の頭が理解したところでは、この書は次のような流れを辿っている。ブラームス→老子→列子→荘子→松尾芭蕉→井原西鶴→「ウパニシャッド」→タゴール→西田幾多郎→プラトン→宮沢賢治... これだけ見ると“風が吹くと桶屋が儲かる”みたいな印象があるが、吉江先生はアーベルという人が「我、汝に為すべきことを教えん」という本に記録した大作曲家ブラームスとの対談における“真のインスピレーションによる着想はすべて神から来るのだ”を出発点として、自由な思考の翼を広げている。それは中国の思想家の言葉を引用し、芭蕉ら俳人たちにもブラームスと同じインスピレーションがあるとしながらインドに太古から伝わる哲学「ウパニシャッド」に到達する。本書に再三出てくるキーワードは“梵我一如”(ぼんがいちにょ)。ブラームスは優れた創造を行う為には霊感に加えて“職人芸が不可欠”と言っているが、神的な霊感が“ブラフマン”(梵)、人間的な職人芸が“アートマン”(我)であり、それらが一体化した理想の状態が“梵我一如”ということらしい...。

 “らしい”と書いたのは、実際はそんな単純なことではないようなのだが私には難解すぎて理解できないため(私の腐った頭は再三使用される“ブラフマン”“アートマン”の文字を見るたびウルトラマンのイメージを作り出した...)。また“梵我一如”にまつわる考え方にもいろいろな方向からのアプローチがあり、“一”(Unity または the One) とか“無何有”とか“造化”などの用語がこれまた多様な形式で用いられるので、余計にややこしい。だが一方では月面に降り立ったアメリカの宇宙飛行士の談話が引用されていたり、アテネ五輪の水泳で金メダルをとった北島康介に関する逸話が紹介されるなど、さしずめ学生なら落ちこぼれレベルであろう私でも理解できる話もあって、さすが元は大学で教鞭をとられていただけのことはある。

 でもってこの書は何を言わんとしているのか? これは非常に難しい問題だ(特に理解レベルの低い私にとっては...)。尚、先生は最後に「小さな星の上で」という詩を置いている。“私のエネルギーが尽きたとき、今度は遠くの星へ行くのだろうか。宇宙の塵になって浮遊するのだろうか。誰も教えてくれない。誰も知らない。だけど巨大なエネルギーの中で、私はたしかに生きる。たしかに永遠に生きる”... ほとんどトンチンカンな私だが、この書から次のようなことを得たように思う。

 (1) 偉大なる芸術家は“梵我一如”を体得?して素晴らしい創造を行うが、我々凡人には無縁の世界である。それでも私達は私達なりに、それを意識しておくべきである

 (2) 現代は物質的な時代である。情緒ある教育が忘れられた時代である

 (3) 地球は温暖化に苦しみ、日本は陰惨な事件に苦しんでいる。だが科学だけではその状況は改善できない。それを補うためにも太古の思想を学ぶべきである

 人間というのは素晴らしい。同じ動物でも思想の翼をこのように広げて自由に旅が出来るのは人間だけである。ひょんなことから触れることとなったこの『ブラームスと芭蕉たち - 現代に生きる太古の思想』はそういった意味で人間であることの喜びを教えてくれる。尚、著者・吉江先生は結びにおいて“出版事情が急激に悪化した今日、おそらくは最後のものになるであろう”と書かれている。ご自身が高齢であることもまたその理由だと思う。だがまだまだ“宇宙の塵”になってもらっては困る。使命は終わっていないのだ。

 最後に一介のコンピュータ屋の営業マンでもよくわかる文章があったので引用しておく。“どんな仕事であっても、神霊を心に持ち、敬虔に、熱意をもって継続することを忘れてはならない”... はい、頑張ります!

https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/list/9784784213559/ 【ブラームスと芭蕉たち

現代に生きる太古の思想】吉江久彌 著

内容

西鶴・芭蕉研究者の著者が、ブラームス・荘子・芭蕉・タゴールなどの先哲の思想に寄り添い、『善の研究』『饗宴』や宮沢賢治の作品を読み解き、受け継がれている普遍的な思想のすがたをさぐり、今日的な課題を考える道筋の一つを提示する一書。

目次

緒言

第一部 ブラームスと芭蕉とに共通するもの

 一.ブラームスの語った神 付老子

  1ブラームスの霊感と神

  2「職人芸」「半意識状態」「瞬時の記録」

 二.老子から荘子へ

  1老子

  2列子

 三.『荘子』について

 四.『荘子』の「造化」と芭蕉の芸術

  1芭蕉における「造化」

  2芭蕉の芸術

  3芭蕉とブラームスとの共通点、並びに門弟のこと

  4西鶴について

第二部 「ウパニシャッド」の思想とその継承

 一.「ウパニシャッド」とは何か―梵我一如の思想―

  1私のウパニシャッドとの出会い

  2ウパニシャッドとは

  3初期のウパニシャッド

  4ブラフマンとアートマン(梵我一如)

  5睡眠時における霊感

  6ウパニシャッドの伝播

 二.継承者としての詩人タゴール

  1タゴールと私

  2タゴールの霊感

  3『サーダナ(生の実現)』

  4タゴールの引用した誓句とタゴールの言葉

  5『生の実現』以外の著書などから

  6タゴールの仏教観

  7まことの詩人

 三.『善の研究』に見る継承

  1『善の研究』について

  2「ウパニシャッド」との関係

  3「愛」について

  4芸術と「知的直観」

  5「人生」の研究者

  6神について

  7西田博士とタゴール

 四.『饗宴』(プラトン)のテーマ

  1『饗宴』のテーマと構成

  2「愛の女神」についての五人の演説

  3ソクラテスの演説

  4愛の女神について

 五.賢治の宇宙観と世界全体の幸福

  1作品のいくつかを見る

  2「農民芸術概論綱要」

  3賢治と宇宙

第三部 小論九篇

 一.「無心でもない」と言った舞踊家

 二.見神の女流画家

 三.ダライ・ラマ第十四世について

 四.ブラームスの霊感の実際

 五.西田幾多郎博士の「誠」の真意

 六.『宗教と霊性』を読んで

 七.西鶴・秋成の「無の見」

 八.教育についての提言

 九.忘れ難いわたくしごと

まとめ