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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロシア帝国の道12-スウェーデンに海戦勝利

2021.01.24 10:45

イスタンブールに居るスウェーデン王カール12世の執念たるやハンパじゃない。オスマンは、ピョートルの南下政策でアゾフを失い、アメフト3世は対抗せざるを得なくなっていた。そこへフランスがつっついたようだ。1710年オスマンはロシアに宣戦布告する。

ロシアはカール12世を破った勢いで、ポーランド王にアウグスト2世を復帰させ、カレリアとリヴォアニアを征服していた。そこへ今度は南方戦線である。さすがに兵の疲弊が激しい。7月、両軍はモルダヴィアのプールト川で対峙した。ここでロシア軍は8万の戦死者を出す大敗を喫した。

追撃すればピョートルを捕虜にするチャンスがあったが、イエニチェリの反対で逃がし、アゾフ返還で合意。なおも戦争継続を主張するカール12世がうっとうしいので本国へ帰国させてしまう。しかしともかくこの勝利はオスマンの威信を回復させ、ハンガリーの奪還をめざす。

しかし王のいない間に、スウェーデンに対し多くの国が宣戦布告し、孤立無援となっていた。南方戦線を終結させたピョートルは、翌12年に海軍大国ウェーデンにハンゲの海戦でロシア海軍初勝利をもぎとる。カール12世はすべてを失い、ロシアはバルト覇権を握って多くの国を警戒させた。

下はハンゲの海戦