小花衣 志乃(1話)
「潤う青春。ピュアウォーター新発売!」
街のモニターからその声が聞こえると、一人の少女が足を止め、深くため息をついた。胸下まであるロングヘアーが風になびく。
街を歩いている人誰もが一度は目にした新発売の飲料水の広告。
日常にありふれたひとつの広告だが、少女にとってはあまり見たくないもののようだ。
それもそのはず。
彼女__小花衣 志乃__こそが、その広告に出ている中学生タレントなのだ。
中学生が大都会の街を1人で歩く。そんなことももう慣れてしまった。仕事のためだから。
毎日、学校帰りに事務所に通う日々。クラスメイトは皆趣味に没頭したり塾で勉強を頑張ったりしているときに、志乃は芸能活動をしている。
幼い頃、テレビに映るキラキラしたアイドルに憧れて現在の事務所に所属したはずだった。ここで仕事を頑張れば、アイドルになれる。そう前向きに考えていられたのも最初の頃だけだった。
事務所に入ったばかりの小学生の頃、マネージャーにこう言われた。
「君は多彩だし美貌もある。女優やモデルに向いている」
そうしてマルチタレント・小花衣 志乃がうまれた。
事務所の売り込みにより仕事は段々と増えていった。
ドラマや映画出演、企業広告のモデル、CM出演。こんなにたくさんの仕事をもらえて、嬉しくないわけではない。
ただ、どうしてもアイドルを諦め切れないのだ。
志乃はモニターから目を背け、事務所のある方へ走って行った。
「いつになったらアイドルになれるのかな」
志乃はリビングのソファの上で、誰に言うわけでもなくぽつりとそう呟いた。
今日は母の仕事が休みで、家には志乃と母しかいない。
母は洗い物をしていた手を止め、志乃をじっと見つめた。
「アイドルねぇ…芸能界に憧れてても仕事もらえない人達だっていっぱいいるのよ。たくさんお仕事がもらえて、志乃ちゃんは恵まれている方だとママは思うけどなぁ」
「それはそうだけど…」
志乃はぼんっとソファに顔をうずめた。
中学3年生の半ば。
そろそろ、真剣に高校受験のことも考えなくてはいけない時期だ。
このまま芸能界に残るのか、それとも受験に専念をするのか。
志乃の気持ちは揺れ動いていた。
しかし、彼女の中にはもう一つの選択肢があった。
…今からでも、アイドルを目指すか。