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Roadie´s Cafe

鴨川下り再開。

2021.01.25 10:45

久しぶりの橋探索の続きに出かけました。 

ほとんどの時間を自宅で謹慎?自粛?していますが昨日やっと満足できるかなというところまで自転車が仕上がり、お天気も良いようなので新型コロナには気をつけて行けるところまで行ってみようかなと思い立ちました。

いったん出来上がっていた自転車の変更点は以下。

❶シマノのボスフリー5速をサンツアーの6速に変更しました。やはり50年選手のシマノのボスフリーはガタがでていました。ガタがチェーン、ペダルを通して足の裏に響くのはなんとも良い気持ちではないのです。最初は動くことだけにも感動してましたが、一段落するとやはり気になるところが出てくるものです。

このボスフリー  の交換も一筋縄ではいきませんでした。シマノの50年前、旧タイプのボス抜き工具は既に廃番でした。いろいろネットで調べて大阪の自転車屋さんにバールというフランスの工具メーカーのボスフリー抜きが対応できそうということまでわかり発注しました。メールのやりとりでもこちらの要望が上手く伝わらずもう売ってもらえないかもと諦めかけたこともありました。お正月に工具が届きお正月からメンテナンスをやってました。

シマノのボスフリーを外しサンツアーのボスフリーをセットしましたがそのままでは変速しなかったのでスペーサーを入れたりしてなんとか動くようになりました。

シマノの変速がガッチャンガッチャンだとしたらサンツアーはカチャカチャです。スルッと変速します。サンツアーのほうが当時は性能が良かったのでしょうかね。

❷そして一昨日からはホイール組です。

リムとスポーク、ハブをいったんバラバラにして組み直しました。生まれて初めてホイール組をしました。スポークの取り方が難しくて???

一日かけても組み上がりませんでした。

一度寝てリセットしてなんとか組み上げました!JIS組6本取りというタイプです。

ここまでわかってくると出先でのトラブルもなんとかなりそうです。

なんだかんだあって今日の橋探索の続きになりました!!

前回は三条大橋で終了してますので今日は四条大橋からです。

朝の9時だというのに橋を行き交う人は数人。

普段の四条大橋の状況はよく知りませんがそれにしても少ないと思いました。自転車押して橋の反対側まで歩きましたがその間にすれ違った人は数人でした。京都の橋で車より歩く人が多いであろう橋は三条大橋とこの四条大橋かと思いますがそれがこんな状況です。

みんな自粛してるんだよね。もうちょっと頑張ろうね。ボクも来たことに少し後悔しました。

橋自体に橋の名前はなく御池大橋の時と同じくプレートのようなものが設置されていました。それもまた京都市長高山何某。

なんだろなぁ、ずっと名前を残したかったのかな?プレートの場所はボクの子供の頃からある東華菜館の前です。一度もはいったことはありませんが橋の反対側、祇園側にあったスター食堂は何度も連れて行ってもらった記憶があります。両方とも古い洋館ですがスター食堂の方が庶民的だったような気がします。

四条大橋を離れ次の橋、団栗橋に向かいます。といっても200mくらい異動するだけ。自転車だとあっというまに着きます。

「ダンクリ」かと思ったら「どんぐり」

あの、どんぐりコロコロです。

なんでこんな名前⁉︎

しかも西側に渡ると高瀬川にぶつかり道はなくなります。車だと橋を渡ると南進一方通行に入るしかないので車の往来も少ないです。どうしてここに橋を渡したのかもう少し調べみたいです。

そういえば江戸時代の天明の大火はこの団栗橋の近くの空き家に放火されたのが発端らしいです。おりからの強風で東、西本願寺、御所、二条城まで燃え京都の街の8割を焼き尽くしたそうです。密で木造の町ならひとたまりもなかったか。この大火で開けられることのなかった御所の門が開けられ、それ以降市民の間では蛤御門と言われるようになった。火にかけたら開いた?

この辺りに来たら花街の空気になりますね。華やかな空気で満ちてます。

今日は鴨川から少し離れて行きたかった博物館に向かいます。

京都市学校歴史博物館です。建物は既に廃校になった下京区の開智小学校です。

日本で唯一の学校関係の博物館です。

京都の人は学区で地域をいいますね。

私のとこは大宮学区だとか北白川学区とか。

この基礎は明治の初期に一般市民がお金を出し合って作った学校が元になってました。

すげーことしりました。

それに見たかった昭和の給食も見ることができました。アルマイトの食器に牛乳瓶の牛乳、食パンがトレーに乗ってました。懐かしかったですね。昭和45年でした。しばし小学生に戻ることかできました。



次の橋は松原橋です。


橋のたもとに橋の説明がありました。

この橋はもともと五条だったこと。

綺麗な松並木があったので五条松原橋と呼ばれていたが秀吉の命令で方広寺大仏殿造営のためこの地にかかっていた橋を六条小路に架け替え五条橋と称した。そのためこの橋からは五条が取れて松原橋と呼ばれるようになったとのこと。歴史はいろんなことがある。

元は清水寺への参道だったらしく大変賑わったそうな。今はあまり面影はありませんが子供連れの家族の後ろ姿に当時を思ってみてください。

さて、次は秀吉が架け替えた五条大橋です。

国道1号線です。大動脈と言っていい程でかい道です。五条大橋という表示は橋にはありません。でもよくよく見れば欄干に五条石橋の表記が!表記を探しているときにまたまた高山何某のサインを発見しました。大きい橋には必ず名前を出してきますな。(-。-;

みんな急いでいるから橋の表記なんてみないからね。あの義経と弁慶がいましたよ。

橋の西側、中央分離帯といってもいいところ。この像がいないといけないところはほんとは松原橋なんだけとね。

子供の頃みた像はもっとリアルな感じだった気がする。

よっしゃ次!

正面橋です。なんの正面?

方広寺の正面だから?

秀吉が考えたほど賑わいとはかけ離れてます。花街の雰囲気もなくなり生活道路という感じ。

橋を渡るとお寺の鐘のようなものが打ち捨てられていました。

今日はここまで!

長時間の外出はやめておきます。

ではまたね〜