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行雲流水

2018.01.26 02:01

http://www.jyofukuji.com/10zengo/2006/04.htm  【行雲流水 (こううんりゅうすい)  <普勧坐禅儀>】 より

雲は悠然として浮かび、しかもとどまることなく、水はまた絶えることなくさらさらとして流れて、また一処にとどまることがない。

この無心にして無碍自在のありようが禅の修行にもあい通じることから、この語を禅者は好んで用いた。今も禅の修行僧を「雲水(うんすい) 」と云うのも雲が悠々と大空を行く如く、また流れる水の如く一処にとどまらず師をたずね修行の行脚したことから名づけられたことばである。

「行雲流水」は自然現象である。空を行く雲、川を流れる水は一時も同じ状態ではない。雲の表情は一瞬一瞬ごとに変わり、湧きては消え、消えてはまた生ずであり、また流れる水も常に変化して様々な表情があるように、この行雲流水の語は世の無常を表わした語でもある。それはそのままわれわれの人生にも通じることである。

雲にはやさしい風ばかりではない。吹きちぎり吹き飛ばす風もある。水の流れにも瀬があり曲がりくねる淵があり一様な流ればかりではない。長い人生もまた然りである。

人生、順風満帆ばかりなんてありえない。どんなに障害があり、喜怒哀楽様々な出来事の連続の中にあっても、常に心はその一処にとどまらず、執着せず、雲の如く無心にして淡々と、さわやかに生きるところにこの「行雲流水」の語が生きる。余談であるが、墨染めの衣にわらじ履き、網代笠を被った雲水の姿が自然の風光の中にあれば、ひとつの風景画に

見えるかもしれない。だが、雲水である当人は如何がな心境であろうか。

 実は私も曾っては雲水として一人、托鉢行脚で放浪しまた四国八十八ケ所霊場を廻ったことがある。悠々などといった心境でいられることはなかった。

 門づけの行乞では目障りとばかりに冷たく追い立てられることもある。今夜の泊まるところのないのはたまらく侘しかった。孤独感もつのる。

行脚には晴ればかりではない。雨の日、風の日も多い。そして厳冬の中、雪道を泣きべそをかきたいような行脚は辛かった。だが、また逆に、多くの人々のご接待があり、真心から親切をうけた。いまではそのどれも懐かしく楽しい思い出であり人生の宝になっている。今思う「行雲流水」とはそんな人生におきる雨風、嵐どんな苦楽も嫌悪、取捨せず、ありのままに受け入れて人生の肥やしとしていくおおらかな心ではなかろうか。


Facebook・書家 根本 みきさん投稿記事

禅語「行雲流水 -こううんりゅすい-」 は、“空をゆく雲と川を流れる水のように執着することなく物に応じ、事に従って行動すること”という意味。

流れる雲と水は、二度と同じ姿になることはなく、流れるがままに一瞬一瞬、変化し続けています。

時には灰色の雲で空を覆ったり、ゆっくり流れる日もあれば、勢いよく流れたり。

水も同じで、波打つことなく穏やかに流れる場面もあれば、滝にたどり着き一気に加速することもある。

人間には喜怒哀楽があり、悩んでは解決しての繰り返しで、ずっと順風満帆だけの人生を送れる人は存在しないと思うんです。

今日は楽しいなと思うのは、つまらない日を経験しているから。

うまくいかないなと思うのは、いま頑張っている証。

良い時、悪い時、その一瞬一瞬を身をもって経験し成長していけたらいいな、と思います。


https://manapedia.jp/text/1790  【おくのほそ道 冒頭『漂白の思い(漂泊の思ひ)』現代語訳と解説】より

はじめに

ここでは、江戸時代に松尾芭蕉が東北・北陸を旅したときに記した紀行文『奥の細道』の中の「漂白の思い(漂泊の思ひ)」を現代語訳しています。「旅立ち」や「旅こそ栖」というタイトルで書かれていることもあります。

【原文】

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをづづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別所に移るに、

草の戸も住み替はる代ぞ雛の家

表八句を庵の柱に掛け置く。

弥生も末の七日、あけぼのの空瓏々として、月は有り明けにて光をさまれるものから、不二の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢またいつかはと心細し。

むつまじきかぎりは宵よりつどひて舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。

 

行く春や 鳥啼き魚の 目は涙

 

これを矢立の初めとして行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後ろ影の見ゆる間ではと見送るなるべし。

【現代語訳】

月日は永遠に終わることのない旅人のようなものであって、来ては去り、去っては新しくやってくる年もまた旅人である。船頭として船の上で生涯を過ごす人や、馬引として年をとっていく人にとっては毎日が旅であって旅を住処としているのだ。昔の人も、多くの人が旅をしながら亡くなっている。

私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われて行くように流浪の旅をしたいという気持ちがおさまらずに、最近は海辺をさすらってはいた。去年の秋に川のほとりの古びた家に戻って、(留守にしておいた間にできていた)蜘蛛の巣をはらい腰を落ち着けた。年もだんだんとくれてきて春になったが、霞だちたる空を見ると、「今度は白河の関を超えたい」と、そぞろの神が私の心に取り憑いてそわそわさせ、しかも道祖神が私を招いているような気がした。股引(ももひき)の破れているのを繕って、笠の緒を付け替えて、三里(膝のつぼ)にお灸をしたところ、松島の月はどのようになっているのだろうとまず気になったので、住んでいた家は人に譲って、杉風の別荘にうつると、次のような句を詠んだ。

このわびしい芭蕉庵(江上の破屋)も住人が変わることになって、雛人形が飾られる家になることであろうよ。

この句を芭蕉庵の柱に掛けておいた。

三月二十七日(末の七日)のこと、夜明けの空はぼんやりとかすみ、まだ空に残っている月の光は消えかけているが、富士の峰がかすかに見える。上野や谷中のサクラの梢を次はいつ見られるのだろうかと心細くなる。

親しい人々は宵のうちから集まって船に乗って見送ってくれる。千住というところで船をおりると、「これから三千里の旅が始まるのか」という思いで胸がいっぱいになり、幻のようにはかないこの世の分かれ道での別れに涙を流す。

もう春は過ぎようとしている。その別れを思い鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいるように見える。

この句を最初の句として旅を始めたが、足が進まない。私たちを見送ってくれている人たちは、私たちの後姿が見えなくなるまでは見送ってくれていることだろう。