芭蕉野分して
https://blog.goo.ne.jp/t-hideki2/e/b0a6a89d014717a2909cd66b40b23276 【芭蕉野分して】より
茅舎の感
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな 芭 蕉
古くは台風という語はなかった。今日、台風といえば雨を伴うのであるが、野分(のわき)は風だけである。
蕭条たる野分と雨とに、更けゆく夜の感じを音の世界によって把握した句であり、境涯的なものがにじみ出てきている。
このとき、芭蕉は三十八歳。談林の波を凌(しの)いできた気息が、おのずから「芭蕉野分して」という字余りとなって、ほとばしった感がある。
『三冊子』には「芭蕉野分盥(たらひ)に」の句形で出し、「はじめは、野分してと二字余りなり……後なしかへられ侍るか」とある。
後年、このように改作したようだが、改作したものよりもこの字余りの句形の方が、把握の勢いを気息に乗せて生かしているように思う。
芭蕉葉に雨音を聞く趣は、漢詩の恰好の題材とされたもので、白楽天の「夜雨」や『詩人玉屑』などにも見える。
㝢柳(うりゅう)の『伊勢紀行』は、「斗時庵が家珍に」として、「老杜(らうと)、茅舎破風(ばうしゃはふう)の歌あり。坡翁(はをう)ふたたび此の句を侘びて、屋漏(をくろう)の句作る。其の夜の雨を芭蕉葉に聞きて独寝の草の戸」という前文とともに、冒頭の句形で掲出し、「是は深川庵中の吟にて、これより芭蕉の翁とは世にもてはやす事になりしとよ」と付記する。
これによれば、杜甫・蘇東坡の詩を念頭に置いた作で、当時、代表作としてもてはやされたことがわかる。
「茅舎の感」は、深川芭蕉庵での生活の感慨を詠んだ、という意。茅舎は草葺きの家、あばら屋。
「芭蕉野分して」は、屋外の芭蕉に野分が吹きつのって、葉のざわめく音が聞こえるのをいったもの。
「盥に雨を聞く」は、雨漏りをうける盥に雨音がしているさま。芭蕉葉に聞くべき雨音を盥に聞くというのである。
「芭蕉」も「野分」も秋。
「野分が吹きつのって、外の芭蕉はしきりにはためいている。雨漏りにあ
てがった盥には、しきりに雨水がしたたって聞こえる。まことに侘びし
い茅屋の夜の感じだ」
片側の雲のまぶしき野分かな 季 己
https://ameblo.jp/kyounokokuban/entry-11557438624.html 【芭蕉野分して・・・】より
タイトルは「芭蕉野分(のわき)して盥(たらい)に雨を聞く夜かな」という松尾芭蕉の句の冒頭部分です。 句の意味は、「野分(今の台風)の風雨に庭の芭蕉が吹きさらされている。家の中では、たらい(今の洗面器を大きくしたような入れ物。)に雨漏りの音が響くのを聞いている夜である。」といったような内容です。芭蕉はバナナの木の名で、芭蕉のペンネームと同じ名の植物。バナナの木の葉は横に筋が入っているので、風などが吹き付けると細く裂けてきたりしますね。当時は季語上7月~9月は秋だったため、「野分」の季節は秋ということになっています。(当時の暦に1月足した月数が現代の月数)
「野分(台風)」の季節は秋ですが、今年はもう台風が4個も発生し、先月から今月風雨がひどいので、今回の句は、この句にしました。
風といえば、前回書いたグリーンカーテンの若芽が、その風に吹きさらされて悲惨な状態でした。風除けに他の植木鉢をグリーンカーテンの両側に置いたりもしましたが、見ていてつくづく若芽に同情しました。しかし、若芽は感心でした。その風に吹き千切れることなく、「大風一過」の後は元気に伸び、今では花を5,6個つけています。インターネットで検索した栽培方法によると、花の後は実がなるそうなので、今後はそれを楽しみにしたいと思います。いろいろな方に「実(にがうり)がなったら、あげます」と言っているので、是非たくさん実をつけてもらいたいと思っているところです。前回、グリーンカーテンがうまくいくかを心配してくれたAさん、大丈夫ですからね。私は植物とも相性はいいのですよ。あなたがたとの相性のように。ただ、野菜類は私は今までうまく行ったことがありません。まめでないからでしょうか。以前チャレンジした枝豆は期待に反して実が5,6個なっただけでした。ニガウリも野菜ですが、例外であることを祈りたいものです。
さて、先日、イギリスに旅行してきました。以前から、定年になったら是非実行したいと思っていましたが、文学ゆかりの地を4箇所も巡るツアーだったので、大満足でした。文学は、シェークスピア、ブロンテ姉妹(「嵐が丘」などの小説、詩)、不思議の国のアリス、ピーターラビットの4箇所です。作者がイギリス出身なんですね。「嵐が丘」の舞台となったハワース地方の丘の景観を目のあたりにして、高校生の頃から思い描いていたイメージが現実のものとなりました。「嵐が丘」は暗い印象の小説ですが、人間模様がダイナミックなので、是非読んでみてください。そして是非皆さんも将来「実地検分」していただきたいものです。私は高校生の頃読んで、それ以来ずっと、小説に登場する荒涼たる「ヒースの丘」に心の一隅で憧れをもってきたのです。文学の力は国境を越えて人々を結びつけるのですね。参加したツアーは総勢36人でしたが、皆「嵐が丘」に感激しておられました。シェークスピアは一転して商業地のど真ん中に生家がありました。文学も生育風土を反映するのだなと思ったことでした。他、ロンドンやチェスター等の観光がありました。
私はヨーロッパのような遠い海外を観光したのは今回が初めてですが、(近くの東南アジアは昔の修学旅行の引率などで2,3カ国旅行したことがあります。)ツアーで一緒になった方々(ほとんど60代~70代でした。皆さんお元気でした。)はヨーロッパも何度目かという方が多くて、季節ごとにまとまった休みがある仕事の方は若い頃から海外を旅行してもうベテランという感じでした。年休を一括してもらうという方法もあるでしょうから、若いうちから旅行していると訪問できる国の数も多く、それこそ学校の勉強のどの科目にも通ずるいい勉強ができるでしょうね。国内もいいですが、海外に足を伸ばすのもいいなあと思ったことでした。
このブログの更新間隔が長くなっていて、読んでくださっている方には申し訳ない気がしますが、書きたいことはほとんど書いたので、書く材料があまりないのです(!)。なので、今後は「季節ごとに更新」みたいなことになってしまいそうですが、御了承下さい。私はいたって元気に過ごしていますので、皆さんも毎日を頑張ってくださいね。特に高校生の皆さん、今のうちからいろいろなことに関心をもって接していると、さらにさらに生活が充実してきますよ。是非頑張ってください。それと、コメントを送信してくださる場合には、私が知っている高校生は是非名前を明記してくれると有り難いです。返信しようにもイメージがはっきりせず、困るので・・。
それでは又。
https://www.goodcross.com/words/19454-2019 【俳句の世界 季語(季題)から見る美しい日本のことば「野分」】より
台風15号が関東地方に凄まじい勢力のまま上陸しましたが、ものすごかったですね。
今回の台風は雨もさることながら風がすごくて、被害も強風によるものが多かったようです。
さて、今回から数回に渡り俳句についてご案内していきますが、季語(伝統俳句では季題という)には俳句の世界独特の言い方が色々と存在します。台風もそのひとつ。
台風のことを「台風」という事はあまりなく、通常は「野分(のわけ、のわき)」を使い、野を分けて吹く強い風、台風がもたらす風の様子をさします。
もともと日本語に「台風」という言葉そのものが無く、それまでは「野分」を使用していました。台風は英語のtyphoonからとったと言われていて、大正時代頃から使われるようになったようです。
「野分」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつになっていたり、「枕草子」の第二百段の冒頭では「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」(台風の翌日というのは大変にしみじみと趣深い)と記されています。
芭蕉の有名な句のひとつに
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな 松尾芭蕉
というのがあります。ここでいう芭蕉は作者本人のことではなく、芭蕉という名前(俳号)の由来にもなった庵の外に植えられている芭蕉というバナナに似た植物のことです。
「台風の風が激しく庭の芭蕉を揺らし、雨が打ちつけている。家の中では雨漏りがしていて盥(たらい)に落ちる雨の音を聞く、そんな夜であるなあ」
大いなるものが過ぎゆく野分かな 高浜虚子
虚子がこの句を作ったのは1934年9月21日。大きな被害をもたらした室戸台風が上陸した日であります。
句の意味は、人間の力が及ばないところのものが過ぎていったということを読んでいるのだと思われます。
「野分」と同じように使われる季語に「秋出水」があります。出水というように台風などがもたらす雨で洪水などが起きることをいいます。
ただ「出水」というと、梅雨や集中豪雨などでの洪水のことを指しますが、「秋出水」になると台風での水害を指し、秋の季語となります。
台風の後の様子を表現する場合は「野分あと」「野分すぎ」などと言います。
野分あと松のにほひのしづまれる 山口誓子
その他、秋の季語と言えば代表的なものは「月」でしょう。お月さまは1年中出ているものですが、俳句で「月」といえば秋の月のことを指し、「名月」といえば旧暦8月15日の月のことを言います。
名月をとつてくれろと泣く子かな 小林一茶
名月や池をめぐりて夜もすがら 松尾芭蕉
月の呼び方について詳しく書いている記事はこちら
また「星月夜」は月の出ていない夜。けれども天気が悪くて月が無いわけではない。新月で、月明かりは無いが空は晴れており、月の光が無い為にあまたの星が月の光る夜のように明るくまたたいているさまであります。
秋の季語で他にも面白いなと思うものに「竹の春」というのがあります。
「春」とついていますが「竹の春」は秋の季語です。竹はタケノコの出る時期になると、竹そのものはタケノコに栄養を取られる為か衰えていますが、秋になると勢いを取り戻し、葉も青々と茂ります。それで、秋の竹の様子を「竹の春」というのです。
おのが葉に月おぼろなり竹の春 蕪村
同じような意味で夏の季語に「麦の秋」があります。作物が実るのは秋が大半ではありますが麦は初夏に穂をつけ、収穫を待つまでの間、風に波打つ美しい光景を作り出します。