about よしなが こうたく(KOUTAKU YOSHINAGA)
about よしなが こうたく
絵本作家・イラストレーターと並行して、アーティストとしても近年活躍している よしなが こうたくさん。
2007年に発表した絵本「給食番長」を皮切りに10作以上の絵本発表と並行し、全国の小学校での読み聞かせ&ライブイベントや、企業のイラストレーション提供、TV内でのアニメーション提供など、様々な媒体や方式で活動をしています。
さらに近年はartistとしても活動をしており、自身の霊的感性や生命の裏返りという極めて深刻な内外世界を描いた作品を、福岡のart space 獏や博多阪急内での九州ニューアートというグループ展示等で発表(提示)しています。
今回は、こうたくさんのartistとしての側面を掘り下げる形での評を書こうと思います。
こうたくさんは絵本作家・イラストレーターとしての仕事場とは別に、それぞれ別のartist6人が共有の場所を使える制作場「studio basement」内でartistとして作品制作を行なっています。
私も共有の制作場を借りている関係で、時々こうたくさんの制作風景に遭遇することがあります。
絵に向かっている時のこうたくさんは、正しく命を削るような鬼の描き込みと破壊を繰り返し行うという、賽の河原のような作業を繰り返しています。
(画面に向き合い、モチーフを生み出し、破壊し、また生み出し、破壊し…)
しかも話を聞いてみると、描いたキャラクターを腐らせてみたり、焚き火をさせたりと、ストップモーションのアニメを作るかのような描き方をしているのです。
このような描き方は、自分の頭の中を100%実現出来るだけの描写力が無いと成り立ちません。
こうたくさんは一枚の絵に対して一生遊び続ける(描き続ける)ことができると言い、それを許す程の感性と描写力があるので、発表された絵を見た時にキャラクター全てが独立して動き、まるで一枚の破壊的なアニメーションを見ているような感覚になります。(緻密性と面運びの職人的なバランス感覚にも脱帽です)
描写についても、基本的に教えられているような描き方では無く、不安になるほど絵具で破壊しきった後のマチエール上に難なく形を引っ張って細密を施すのです。
描写、感性共に測れない位置に存在しているのですが、こうたくさんの真に恐ろしい部分は並外れた胆力だと思います。
一枚の絵を一度描き始めたら、昼夜ぶっ通しで一.ニ.三ヶ月絵の前から動かず上記の作業を繰り返しているのです。
眠気、食欲などの生命維持に大事な感覚を超えて自身のキャッチした感性を形にするため命を削り描いている姿に、こうたくさんも何か超上的存在を降ろしているのではないかと感じることがあります。
上記を踏まえて、今回confusing power gridに合わせてくれた新作三点を見てみると、今作も一枚一枚がぐにゃぐにゃ動く、濃度満載のアニメーションが多重の層となり現れています。
キャラクターの表情の歪さ、笑顔をそのまま喜怒哀楽として見れない生々しい表情、誕生と殺戮(破壊)の循環、風景とキャラクターの融合。三作品とも「廻り」を意識できるような分かりやすい内容なのですが、延々ループするアニメーションのような動き、細部まで独立しているキャラクターや風景、喜怒哀楽のどれをも超えている作品性と、深く深く、何日でも絵を見て楽しむことができます。
そんなこうたくさんが、同じように精神性を大事にしながら制作発表をしているjogjaの artistたちと邂逅したら良い反応を生むことが出来るのでは無いかと思いましたが、2020年コロナウイルスの影響で現地に行く事は出来ませんでした。
しかし、電脳空間内での邂逅は素晴らしい化学反応を生み出すことができたと実感しています。
コロナ禍が明けたら電脳空間を越えて、皆と刺激ある交流をしたいですね。
凄まじい作品提供ありがとうございます!
フリーエネルギーに痺れました!
安藤圭汰評