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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大王対女帝3-プロイセンの巨人軍

2021.01.27 11:11

1713年2月25日、プロイセン王フリードリヒ1世が崩御し、息子フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が継いだ。実は前王崩御のときに財政は破綻寸前だった。戦争のせいもあるが、前王妃シャルロッテのために宮殿を建てたり、彼女がベルリン芸術アカデミーをつくるわ、分不相応な文化振興をしたせいもある。

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は「軍人王」といわれるほど軍備に力を注ぎ、しかもケチと父とまるで反対である。孫フリードリヒ大王には、この二人の特徴があわさっている。ともかくフランスやザルツブルクからプロテスタントを受け入れ、東プロイセンを活気づかせたのは彼である。

軍人王は、カントン制度という地域ごとの徴兵制度をつくり、兵を拡充した。主に農民が徴兵され、逃亡したときには、その村が罰を受けた。大男が好まれ「巨人連隊」もできたとのことである。プロイセンの軍事官僚制度は、この王によって基礎ができた。

この軍によって、王は大北方戦争に介入してスウェーデンを破り、バルト海の強国として名をなしていくのである。また「無駄話をするより糸を紡げ」と言って、自ら市場をまわったりして勤勉の習慣を強制した。少年時代の大王とは気があわず、逃亡未遂をやらかすが、父の作った基礎には感謝している。

下は現在の観光用巨人連隊