五大に皆 響き有り
在意識の鎮まった入眠時に 芭蕉は二重奏のような音を聞きながら 外の芭蕉と一つになる体験をしたのかもしれませんね。それが意識が広がることであり、天人合一といわれることかもしれません。もしかしてそれ故に俳号を芭蕉と決めたのではないでしょうか?
もしかして天人合一も、神人合一も 集合無意識(アカシックレコード、地球の脳波)との出会いを意味するのかもしれません。
「二重奏のような音」は「1/fゆらぎ」を持つと言われる自然界の音です。「1/fゆらぎ」は脳波をα派に誘います。
http://acorn.okamura.co.jp/topics/column/2018/10/29/yuragi/ 【【“木”になるマメ知識】ヒーリングの源、自然が生み出す「1/fゆらぎ」の秘密】より
小鳥のさえずりや虫の音も自然界のサウンドのひとつ。ホッと和みます
森の中で聞こえる枝葉が風にそよぐ音、小鳥のさえずり、小川のせせらぎや滝の音……。耳に入るサウンドやリズム、さらには目にする光景など、自然が生み出す見るもの触れるものには心地よいものがたくさんあります。ナチュラルなものには不思議に心身が癒されます。そこで考えてみました。なぜ心地よいのでしょうか?
近年「1/f(エフ分の1)ゆらぎ」と呼ばれる生体や自然界の運動が発見され、物理的・科学的な解析手法で「1/fゆらぎ」に関する研究が加速しています。どんなものなのか、少しのぞいてみましょう。
さざ波は連続的だけど規則的ではない。ここにも「1/fゆらぎ」がある
近ごろ耳にする「1/fゆらぎ」。それっていったい何?
世の中は多くの「ゆらぎ」に満ちています。「ゆらぎ」とは、規則性のない空間的・時間的な変化や動きのこと。例えば、浜辺に寄せて来るさざ波をみてみましょう。さざ波は海岸に繰り返しやって来ます。しかし、打ち寄せる波と波の間隔は一定ではなく、連続的ではあるものの、そこにリズムの一定性や波のサイズの規則性はみられません。
また、そよ風は肌に気持ちのいいものです。こうした空気の動きも「ゆらぎ」の代表格ですが、さざ波と同様、風も突然吹いてきたり突然止まったりと、次にどんな風が吹いて来るか予測がつきません。
さらにいえば、標準時計の正確な時を刻む水晶の振動、まったく狂いなく正確に運行していると思われている天体の軌道運動なども、じつは完全に一定というわけではなく、そこにはちゃんと「ゆらぎ」が存在しているのだそうです。そして、私たち人間の生体反応も、「ゆらぎ」そのものなのです。
こうした自然界の「ゆらぎ」のなかから数字に置き換えられるものを抽出し、周波数ごとに分析すると、単調ないくつかの波形に分けることができます。そのなかのひとつが「1/fゆらぎ」と呼ばれています。
「1/f」の「f」は、frequency(周波数)の頭文字。「1/f」という式が意味するのは、周波数f値に対して、得られる結果が反比例するということ。ここでいう周波数は電磁波や音波のことで、「1/fゆらぎ」を定義するならば、「パワースペクトル密度が周波数fに反比例するゆらぎ」ということになります。少々、難しくなってきましたね。こうして追求していくとますます難解になってしまうので、ここでは定義の紹介までに留めておきます。要は、自然界に存在するさまざまな「ゆらぎ」現象のひとつに「1/fゆらぎ」と呼ばれるものがあり、それは規則的と不規則的の中間の動き。その「ゆらぎ」が「人間の生体活動にいろいろ影響を及ぼしている」と、まずは認識しておきましょう。
「1/fゆらぎ」が生体に心地よい刺激を与えてくれる
「1/fゆらぎ」を世に問うたのは、日本の物理学者で東京工業大学名誉教授の武者利光氏(1933年~)です。武者先生は「ゆらぎ」の謎を解明したいと考え、1977年に国際会議を開催します。世界中から物理学者や生理学者、天文学者や電子工学の専門家が東京に集まり、「ゆらぎ」の現象などについてさまざまな発表や討議が行われました。以後、2年ごとに各国持ち回りで「ゆらぎ」の国際会議「International Conference on Noise and Fluctuations(ICNF)」が継続され、研究が進められていきましたが、1982年にひとつの契機が訪れます。
ヒトの心臓の心拍間隔を精密に測定したところ、その「ゆらぎ」の種類が「1/fゆらぎ」であると発見されたのです。以来、生体現象における「1/fゆらぎ」の研究がさらに加速していきました。
実験により、人間以外の小さな生物の細胞や神経の働きのなかにも「1/fゆらぎ」が観測されました。その後も数々の研究により、基本的に生体リズムは「1/fゆらぎ」によるものであることがわかってきました。現在では「1/fゆらぎ」が発生する物理的なメカニズムもある程度解明され、それにより「1/fゆらぎ」をソフトウエアで作成するノウハウが培われています。
ほんの一例ですが、「窓から吹き込むような心地良い風を」をコンセプトに「1/fゆらぎ」を応用した扇風機などの製品も発売されていますよね。これも、「1/fゆらぎ」を応用した技術であり、人に心地よい刺激を与えてくれるものでしょう。
森の中や海辺の環境は「1/fゆらぎ」に満ちている
「1/fゆらぎ」は、大なり小なり自然界にあまねく見られる現象です。下記に列挙したのは、目や耳を通して人が気づき、それが心地よく感じられる事象の一例です。
・木々の枝葉の風にそよぐ音 ・小鳥のさえずり ・小川のせせらぎ ・滝の音 ・落ち葉を踏む音 ・雨の音 ・波の音 ・虫の声 ・クラシック音楽 ・森の中の木漏れ日 ・蛍の光 ・ろうそくの炎のゆらめき ・焚火 ・暖炉の炎 etc.
どれも心が癒され、ストレス解消にも効果がありそうですね。森を散策したり、海辺で過ごしたりすると安らぎを感じるのは、そこに私たちの生体リズムにフィットする「1/fゆらぎ」が満ちているからなのです。このような環境では、人間の脳からはα波が出てきます。α波が出るということは、脳が休んでいる状態を意味しています。
家の中にも「1/fゆらぎ」は存在しています。特に木工家具や食器、ウッディなデザインに癒しを感じるのは、不規則な木目の風合いに「1/fゆらぎ」が潜んでいるからといいます。
また、名曲と呼ばれる音楽にも「1/fゆらぎ」があることがわかっています。モーツァルトの曲はヒーリング効果が高いなどといわれますが、モーツァルトは天才であるがゆえに作曲は直感的。それだけに本人の生体リズム「1/fゆらぎ」が曲のなかに色濃く反映され、規則性と不規則性がバランスよく融合しているからではないでしょうか。日本古来の音楽である雅楽にも「1/fゆらぎ」が潜在していることがわかっています。
「1/fゆらぎ」の音楽によるヒーリング効果が及ぶのは人間ばかりではありません。乳牛に聞かせれば質のいい牛乳が搾れ、また鶏に聞かせれば栄養豊富な卵をいっぱい生んでくれるといいます。ビートルズの『ミッシェル』を聞かせて醸したという日本酒もありましたが、その酒蔵はもしかすると「1/fゆらぎ」で麹菌までもいい仕事をし、お酒を美味しくしてくれる効果を狙っていたのかもしれません。
ちなみに「1/fゆらぎ」の応用研究は今や医学の世界にも及び、心臓病の診断などにも利用されているのだそうです。癒しや安らぎのレベルを超え、「1/fゆらぎ」は生命維持に関わる研究テーマにもなりつつあるようです。
日常・非日常の生活のなかで、みなさんが心地よいと感じたとき、それは「1/fゆらぎ」によるものかもしれません。
ダンワールドのPBM(パワーブレーンメソッド)のワークショッププログラムに「一つになるエクササイズ」があります
そのプログラムを体験した時の私の記録です。
【一つになる体験 】
五感を磨くといわれますが、五感で受け取る情報は断片的であり、過去の記憶(相、自分の作り上げた情報)に則って 自分なりの解釈を加えたものとなります。
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情報をありのままに受け取るにはエネルギー感覚(直感・第六感といわれたりもします。)に目覚めることが大切です。
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五感の働きは意識を外に向けます。
五感のうちでも最もエネルギーが強いのが視覚です。
視覚と意識を切り離すために 目を開けたまま 内部感覚に意識を向けるエクササイズをします。(頭の後ろ,手等身体の部位に意識移動しながら意識と視覚を切り離す。)
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眼を半眼にし、焦点付けをしないで対象を観る事も有効です。
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一つになる(共鳴する)ためには意識を対象に留める必要があります。
そのためには、過去の記憶に戻らない。
視覚ではなくエネルギー感覚をつかう。
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このエクササイズの目的は「一つになる」のみにおかない。
「意識のコントロール」、「集中力」、「洞察力」、「感情、ストレスのコントロール」、 「リラックス体験など」:できた、できないに縛られると無心になれない故。
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<自分の体験を通しての気づき>
*雨など、視覚、聴覚二つの感覚を使うと意識の移動が重い。(意識の傾き)
*認知できないもの、動きのあるものが視覚に入ると 顕在意識に意識が戻る。(意識の傾き)
*一度小さな対象に焦点を合わせ 視野を広げると意識はすぐに対象に移動。一つとなった実感。
*視野を広げたままで、意識を自然に留めていると、魂が震え涙が溢れ始めた。宇宙のエネルギーと共振。
*カーテン、壁など人工のものを見ると視野が閉じる。(見えなくなる)
観念が問題かもしれないという示唆を受け、また壁と一つになる。
自然、ありのままを好む自分が明確になる。
自分を作る人間に対しても 距離を置いてきた自分に気づく。
私も壁も同じ元素、波動を共有しあい、宇宙として一つだと思いながらも、「役割は?」と思う自分がいる。
私であり、宇宙である、個であり全体であると思わずにはおれない自分がいる。
自然であれば何故思わないのかと尋ねられ、もう一度人工のものと一つになる。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/tenrai.html 【天籟、地籟、人籟】
籟(らい)とは、風が物にあたって音を発する様をいう。天籟は、天地自然の音響。自然になる風の音など。地籟は、地上におこるいろいろな音。地上の音響。そして人籟は、天籟・地籟に対して、人の吹きならす鳴り物の音。笛の音や歌声など。人の世の物音や人のけはいを言う場合もある。
「女聞地籟而未聞天籟夫=ナンヂハ地籟ヲ聞キテイマダ天籟ヲ聞カザルカナ」という言い方もあって、この場合、地籟は実際の世の中におこっている表面的なことを意味し、天籟はそういう表象的な現象の中から哲学をして真実を悟る様をいう。
【荘子】は、戦国時代の荘周の著作と伝えられるが、『老子』の思想を継いで、道家思想を完成した書である。そのなかで、最も重要なのは逍遥遊・斉物論の二編で、斉物論では『老子』の中心思想である「道」の概念を継承・発展させた宇宙観・世界観を説き、逍遥遊ではその「道」を体得した「至人」「真人」がどんなに自由な生活を送ることができるかを、豊富なたとえ話を引きながら描写している。
『荘子』によれば、「道」はいっさいの差別・対立・是非を超越・包括しつくしたもので、これを知ることは普通の分別的知識ではできず、人知を離れた天然自然の理に従わねばならない。つまり、自我を捨て、功名を求めようとする心を放棄してしまえば、万物に順応して天地に遊ぶことができる。もし、功名に身をたくせば身は功名とともに滅ぶ。功名を求めず世間の用に役立たないでこそ、かえって身をまっとうすることができる。これこそは「無用の用」なのである。
基本的には『老子』の思想を継承したものだが、人間が自己の知性にふりまわされるむなしさ・かなしさを鋭く描き出して、人生における安心立命についてのより一歩進んだ境地(「無何有の郷」など)を提供した。日本では、江戸時代以後、『老子』の研究が深まるのと並行して『荘子』の研究も進められたが、本格的な研究としては、明治以後の研究者によるものが多い。『南華真経ナンゲシンギョウ』ともいう。
私が「地籟、人籟を聞き、天籟を聞く」という・・・その意味としては、こういう人生における安心立命についてのより一歩進んだ境地(「無何有の郷」=桃源郷)に入りたいという・・・・そんな願望を表している。
桃源雲情という私のホームページのタイトルは、拙著「桃源雲情」もそうだが、このような願望を以てつけたものである。
https://www.kongohin.or.jp/blogs/3613.html 【「五大に皆 響き有り」】 より
いつもお世話になっているお寺さまで、五智如来(五仏)の開眼法要がありました。
五仏とは、宇宙の中心であり真理そのもの大日如来。
鏡のようにすべてを映し出し、清らかな信仰心の阿閃如来。
世の中をよく観察し、正しい姿を大慈大悲の智徳で示す阿弥陀如来。
すべての存在に価値を認め、その利益を本願とする宝生如来。
必ず、必ず、すべての円満成就を示す不空成就如来。
凜とした奈良の山の中で由谷倶忘大仏師によって3年の年月を経て完成した五仏を、本堂に安置して立体的な曼荼羅を表現した総開眼法要・・・。
大日如来を万物の根源として、壮大な真言密教の宇宙観を羯磨曼荼羅で表現したものです。
しかも「密教伝来ー五智如来讃嘆」と称した、弘法大師さまの「言葉」を通して、真言宗の教えとその流れを朗読、オーケストラ、声明で展開される創作法要でした。
人であれ動物であれ植物であれ「あらゆる世界のあらゆる存在は、すべて仏さまの言葉で成り立ち、それぞれが響き合って共鳴している」と言います。
空があり、太陽があり、谷があり、水があり、山がある。鳥が鳴き、風を感じ、そして自分がいます。それぞれの森羅万象の波動が響き渡り、そこに「存在」するという奥深さを、あなたは感じたことはないですか?
それが大日如来の説法であり、弘法大師の「五大に皆 響き有り」というすばらしいお言葉です。
そんな、心地よい「響き」に酔いしれた法要でしたね。