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(1)「人生のなかで、大企業で働くってなんだろう?」大手システムインテグレーター勤務・齋藤 有希子さん

2021.01.28 01:43

“社会的偏差値” の高い企業に入社すれば、絶対幸せになれるはず。若い期待は仕事に明け暮れる日々のなかで裏切られていく。転機となった海外協力隊で目撃した「幸せ」な人たちの生活から、行動を起こす。全3回

PROFILE
大学卒業後、国内最大のシステムインテグレーターに入社。HR業界のシステム開発に従事し2009年から2年間、中米ベリーズで海外協力隊に参加した。PCインストラクターとして現地の子どもたちと関わるなかで人生観を揺るがす衝撃を受けて帰国。帰国後はプロジェクトマネージャーとしての仕事と、社内人材を対象とするコミュニティマネジメントなどに携わっている。


順風満帆なキャリア形成と「自分を満たす」仕事の両立

 はじけるような笑顔で「元気いっぱい!」という印象と同時に、いるだけで周囲をふんわりと包むような雰囲気を併せ持つ不思議な存在感が、齋藤 有希子さんの魅力だろう。けれど一つひとつの言葉の選び方、質問に答えるときに「これがもっとも適切だろうか」と瞬時に吟味されたうえで発せられる言葉に、有希子さんの生きてきた軌跡が想像された。

 彼女が勤務するのは日本最大のシステムインテグレーター。入社以降はシステムを設計、開発、保守運用を、という一連の流れで行う仕事に従事してきた。長くHR領域事業者のWebシステム開発における開発担当からリーダーを務め、現在はプロジェクトマネージャー(PM)を担う。

 「最近はPMの仕事よりも組織と人に向けた仕事にとても興味がある」。自己理解を深める活動、従業員・ワークエンゲージメントを高めるための活動などの社内でのコミュニティ運営を、自身で立ち上げて行っているのだ。そのきっかけとなったのは、約2年に渡る中米はベリーズという国での生活で、会社を辞めることなく海外協力隊に参加できる制度を利用した。2009年、有希子さんは旅立つのであるが、その前日譚を少し紹介しておく必要がある。


劣悪とも呼べる環境下で「最高に幸せ」と言う人たちの存在

 新卒から勤務する現在の会社を選んだのは「今後に役に立ちそう」という理由から、ITや金融にフォーカスした就活の結果であった。「やりたいことではなく、境遇やお給料とか…なんていうか、いわゆる社会的偏差値が高いところというのか。あと、研修がしっかりしてることも重視して選んだ」。

 当時はそうした環境が整ってさえいれば「幸せになれる」と思っていたが、へとへとになって働く日々のなかで一向にその願いが満たされることはなかった。入社5、6年ほどが経った頃のこと。大きなプロジェクトで稼働が立て込み、休日出勤や深夜タクシーでの帰宅が相次いで、心も体も摩耗されていくようだった。そんなある日、社内ポータルで出てきた海外協力隊の募集を目にする。

 募集内容を眺めるうち、もともと持っていた海外への憧れがあざやかによみがえってきた。その前年、バングラデシュで友人がNPOを立ち上げており、ストリートチルドレンへ向けた青空教室から始めて、彼らが生活できていけるような仕組みづくりをしていた。「そこに遊びに行ったら、彼の活動が及ぼす子どもたちの人生に対する影響力をまざまざと感じた。使命感ややりがい、情熱をもって毎日を過ごしている友人の姿をみて、自分が今やっている仕事とのギャップをすごく感じてしまった」という。心の声に従って渡航するわけだが、親の心配もわかるだけに実際半年ほどは逡巡したが、最終的には「えい、行っちゃえ!って(笑)」。

 「社会性のある、やりがいをもってやれる活動をしたくて」協力隊に参加した彼女に、最初の驚きは現地の人たちのこんな声だ。「おれたちは世界で一番幸せだ。人生は最高!」と何人もが口にするではないか。はじめは、「世界を知らなくて情報がないからかな」と思っていたが、見渡すとテレビはアメリカのケーブルも入っているし、海外を自由に行き来する人もいるわけで、外を知ったうえで今の自分たちを「幸せ」と言える人たちは衝撃でしかなかった。いわゆるGDPも低く、これといった娯楽もなく衛生面だってよくない。水道や電気も頻繁に止まる暮らしを、「幸せ」と言えるのはなんでなんだろう?


自分も周りもご機嫌になれる働き方を探して

 2年ほどの生活を終え、帰国して同じ仕事に戻ったとき、あんなふうに瞳を輝かせて「おれたち幸せだ」と言っている人はまわりに見当たらず、「カラフルだった世界から急に白黒の世界に帰ってきたような気持ちがした」。そこから「幸せってなんだろう?」、「人生のなかで、働くってなんだろう?」といった問いが、有希子さんの頭を占めるようになる。テレビの向こうからアンパンマンすら語り掛けてくる。

「何のために生まれて 何のために生きるのか こたえられないなんて そんなのは嫌だ!」。

有希子さんが行動を開始する。いろいろなセミナーに参加し本を読み、心が欲するままに勉強をし始めた。そうした日々にふと、「働くうえで幸せになる」とか「自分も周りもご機嫌になれる働き方があるんじゃないか?」などと思い至り、まずは趣味の延長のような気軽さで、社内で個別に興味のありそうな人に声かけ始めたのだった。

(第2回につづく)