(2)「染まるのをやめて、変えることを選んだ」。大手システムインテグレーター勤務・齋藤 有希子さん
働いて幸せになるなんて無理なのかーー。悩んでも絶対にあきらめない齋藤 有希子さんのチャレンジは、会社内で自分発の試みを立ち上げることから始まった。ひたむきな模索がいつかひとつの答えとなっていく。第2回
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PROFILE
大学卒業後、国内最大のシステムインテグレーターに入社。HR業界のシステム開発に従事し2009年から2年間、中米ベリーズで海外協力隊に参加した。PCインストラクターとして現地の子どもたちと関わるなかで人生観を揺るがす衝撃を受けて帰国。帰国後はプロジェクトマネージャーとしての仕事と、社内人材を対象とするコミュニティマネジメントなどに携わっている。
「何をしたいの?」は大きすぎる問い。最初の一歩はもっと手前にある
自分の通ってきた悩み、答えを求めて体験してきたこと。同じ環境で長い時を共に過ごす仲間であればこそ、自分の経験が役立てるのではないかと考えた齋藤 有希子さん。社内で一人ひとりに声をかけ、コミュニティをつくりはじめた。「自己理解を深めよう、自分の価値観てなんだろう、仕事において何を大事にするか結構いろんなアセスメントがあるが、自分の経験からよかったことをやってみることにした」。周りの人と話すことや(ツールの一種として)モチベーショングラフをやってみるなど、そうしたことによって得る気づき、人との違いを知ること、自分の傾向を理解することが最初の一歩と考えている。
「私もすごく悩んで、何のために働いているのかがわからなくなって言葉にできなかった。同じように悩んでる子は結構いると思った。じゃあ何をしたいの?って言われてもわからない人、そういう人たちに経験からサポートしたい」。有希子さんが悩みと向き合い行動してきたことのすべてが、他の人の身の内で息吹き、役立っていく循環が起きている。「ほんの一つでも気づきがあるとうれしいものだ。体験した子が、自分はやってみたらこうだった、など感想を言ってもらえるときがすごくうれしい」。今の有希子さんの楽しみは、そういう瞬間に立ち会うこと。この活動で、時にハッと人が輝く瞬間を見られることがこのうえない喜びであり、一人でも二人でも、そういう流れを生み出せるコミュニティに育てていくことを夢見てやりがいを感じている。
組織を活かして変化を生み出すムーブメントへ
『River』で取材してきた人たちには会社を辞めずに企業のなかにいながら、外の世界を知ることで問題意識を得て会社に戻り、そこから改めて “大企業人生” 第二期を始める人が多い。有希子さんとしての特性は、一緒に働く仲間に目を向け、メンターのように導き手となっていることだろう。会社のなかで自分にしかできないことを立ち上げ、苦しみも喜びも関わる仲間の成長に還元していることが、いかにも有希子さんだけの “大企業人生” と言えなくもない。なぜ、会社にこだわるのだろうか?
「学生時代からずっと、他者からの評価をベースに “染まる” ことを選んできた。結局それは続けられなかったのだけど。その状態に違和感を感じたら、ああ、もうこれは “変える” しかないんだなって」。勤務する会社の成り立ちが公社から端を発したこともあり、社員数も非常に多いうえ、ある意味で日本的企業の象徴とも言えよう。「だったらここが変わったら、日本全体へのインパクトがありそう」と考えた。さらに、長く勤めてきた今であれば、話を通しやすい関係値が築かれているし、上司から応援してもらうにはどう動けばいいか?という知恵もついてきた。これは大きな資産だ。過去、悩みながらも前進することを止めなかった有希子さんだからこそ、得られた境地であろう。
「OSのアップデート」みたいなバージョンアップを遂げる
「他人の承認を期待するのをやめて、自分で自分を評価できるようになった」有希子さんであるが、そのきっかけのひとつが『WaLaの哲学』との出逢いだった。まず講義のガイダンスに参加してみると「おおおっ!!ってなった(笑)」。自分の見ている世界との違いを感じ、言うなればOSのアップデートのようなものか。彼女の言葉で言えば、「自分が成長するときって、横軸の成長ではなく縦軸の成長をするときに、きっとこういう『WaLaの哲学』みたいな学びが自分にとって必要な時期だった」と思えた。
「最初の3日間とか、インプットが膨大すぎてうなされましたけど(笑)」。
振り返るとあの膨大なインプットがあったおかげで、「多分、いろんな人の意見にもその背景にあるであろう意図を汲めるようになってきたり、本やインタビューを読んでも、そういう思想があるからこういうことを言っているんだな、と薄く広く、つながった感触が持てた」。断片がつながり形を成したことで、「自分のなかにひとつの地図が持てた気がした」と表現する有希子さん。結果として、その地図は何かを思考するとき判断の軸となり、それまで他者評価を選んで生きてきた有希子さんを「自分らしく」導く拠り所となったのだった。
第3回につづく