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プルーストとヴァントゥイユ 〜二人の芸術家、一つの顔〜

2021.02.03 09:10

—あれはたいへんな傑作だ。でも感じが良いとか万人向けっていうんじゃありません。

でも芸術家にはすごい印象を与えるんです。— 




失われた時を求めてに登場する作曲家ヴァントゥイユ(架空の人物)のソナタに対する文章。


これを見たとき、ふと脳裏に浮かんだのはプルースト自身の芸術家としての姿でした。




読むのが難解なことで有名なこの作品は、万人うけするわけではありません。


ですが、そう。一度その魅力に気付くと、どんどん惹かれていき、その繊細な文章と独特な世界観は、まさに芸術家にはすごい印象を与える




大衆人気を求めるのではなく、本質をついた芸術の "真価" を追求していく、プルーストの姿勢が表れていているかのような一文です。



この作品の中には、ヴァントゥイユをはじめとする様々な架空の芸術家、(作曲家、ヴァイオリニスト、画家など)が登場し、彼らの人物像や作品についての描写が沢山見られます。


そしてその言葉は、どこかプルースト自身の芸術家としての顔を表しているような。


彼の創造した芸術家たちから垣間見れるプルーストのアーティスト像、それらを照らし合わせながらプルーストの思想を探っていくという面白さも、この作品の魅力の一つかもしれません。


ということで、ヴァントゥイユとプルーストの芸術家像にまつわる文章をピックアップして、みていきましょう。





| ヴァントゥイユという1人の芸術家に映しだされたプルーストの顔 |



ヴァントゥイユのソナタの中の、この物語の鍵になる“小楽節“について語られた言葉ですが、

プルーストの文章というのも、一度その魅力を知ると、このように潜在的に存在し続けるような、まるで感性に溶け込んでいくような表情を持っています。




このように一文一文気になる文章をピックアップしていく作業をしていると、その柔らく流れるような文章の中にあるキラキラした言葉たちが、

心にすーっと入ってきて無意識の中に残るような感覚があります。

私もそんな音楽ができたらいいなぁ、なんて思います。

小楽節という一つの存在。その物体自体に変わりはないのに、それが実に繊細であるゆえに作曲家が意図せずとも、そこにある音が変容していき様々な表情を見せてくれるのだというこの文章。




プルーストの文章のその繊細さに重ねて、文章という一つの物体が、読む人の心情や感性と融合し変容していき、意図せずとも、一人一人の読むひとの心と共に、化学反応のように色合いや輝きを広げていく。

この作品のそんな魅力にも当てはまりますよね。


"ヴァントゥイユがあの小楽節のためにやったことだった"


プルーストも自身の作品作りにおいて、このような意識をもって取り組んでいるのかなと感じる文章です。

色の持つ独自性、そしてその色彩による革命。



第四篇が出版された後、それ以降の出版を待たずしてプルーストは病床でこの世を去りました。

原稿を残し、その全篇の完成を見届けられなかったプルーストですが、その唯一無二の独自性ある言葉たちが世間を風靡し(=革命)、そこからずっと世界中に名を馳せているプルーストを表しているような一文ですね。



偉大な芸術家に限らず、先祖の人々の魂や思い出などにも共通することかもしれません。


プルーストのその感性も、時を超えて世界中の様々なひとに出会い、勇気を与え変容し、無限に生き続けていくのです。



このように”作品”として残った感性や思想というのは、時代や国境関係なく、それにインスピレーションを受けた人たちの手によって、作者が思いもしなかったようにどんどん命をふくらませていくのが、芸術のまた一つ素晴らしい点だと思います。










| 芸術の中にある真実、現実とは何か| 



ヴァントゥイユという作曲家は、

このソナタや七重奏を生み出した“天才芸術家“なのですが、そんな功績とは裏腹に、彼の人生は実際は娘の非行に頭を悩ませ、孤独のまま病に冒されて亡くなった、さえないピアノ教師としての人生でした。

自分の作品を披露する絶好のチャンスがあるのに、臆病な性格ゆえに楽譜を見えないように隠してしまったりという、なんとも人間味のあるキャラクターの持ち主です。


プルーストが描いた芸術家としてのヴァントゥイユ、彼の現実、この二つの顔のコントラストも興味深い設定だと思います。


プルーストはこの作品を通して

芸術の中にある真実”について何度も触れています。

目に見えない現実という、日常生活の中にある事実では見いだせない、芸術に存在する "何か"。

人間の言葉を必要とせずとも、こころの奥底に触れ、人の人生の真意に迫る音楽であったり、絵画の色彩であったり。

 



そのような "芸術のもつ真の現実"という思想を読者に伝えるために、ヴァントゥイユの日常の現実を、彼の作品の功績からはかけ離れた設定にし、"そこに真実はない。"ということを表現したかったのかもしれません。



プルーストはヴァントゥイユという一人の作曲家を通じて、私たちに芸術の本質を語りかけています。




そんな2人の芸術家の中に見える、同じ顔。

その姿を重ねながらこの作品を読んでみると

"真実"により近づいていけるかもしれませんね。






プルーストの語る芸術における真実や芸術論ついては、また今度詳しく触れていきたいと思います。



岡村亜衣子