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数学俳句

2018.01.29 06:31

https://gendaihaiku.gr.jp/column/747/  【奈良七重七堂伽藍八重ざくら 松尾芭蕉 評者: 四ッ谷龍】 より

【数学俳句 その3】

歴史上、もっとも偉大な数学俳人は誰でしょうか。じゃーん、答えは松尾芭蕉さんです(私の独断)。

芭蕉が数学的感覚にすぐれた人だったのではないかと思われる理由はいくつかあるが、ここでは「数列への関心」ということを挙げたい。掲句では7,7,8という三つの数字を語呂良く並べているし、ほかにもこんな句がある。

  桜より松は二木を三月ごし

  四つ五器のそろはぬ花見心哉

  六里七里日ごとに替る花見哉

  見しやその七日は墓の三日の月

  七株の萩の千本や星の秋

  八九間空で雨降る柳かな

  九たび起ても月の七ツ哉

どうです、相当な数字マニアぶりでしょう。

数字を和歌に詠みこむという試みは平安時代から行われていたことで、芭蕉の発明ではない。掲句にしても、「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」という百人一首にも採用された伊勢大輔の歌や「名所や奈良は七堂八重桜」という如貞の句の本歌取りであることは明らかだ。しかしそれにしても、数列への関心の徹底ぶり、数字の並べかたの手際よさ、カウントアップやカウントダウンの数的処理のうまさなどの点で、芭蕉俳句は王朝和歌や先行する俳諧の技法を超えているように思う。

掲句でも、まず「奈良七重」と奈良の都路を大きく把握し、「七堂伽藍」と特定の寺の伽藍に焦点を絞り、さらにその中の「八重ざくら」をズームアップする。画面範囲は縮小していくのに数字は七から八へと増殖するので、八重ざくらのボリューム感が濃厚に強調される。

芭蕉が江戸に出てきたころ、彼は神田上水の補修工事の事務方をやって生計を立てていたとされる。工事事務といえば、人工計算、原価管理、金銭出納など計算力が必要とされる業務ばかりであるから、現実的にも彼はけっして数字にうとくはなかったに違いない。

出典:『泊船集』


https://weekly-haiku.blogspot.com/2016/10/blog-post_73.html  【数学×俳句イベント『数学俳句』という試み】横山明日希 より

◆大規模の数学イベント内で『数学俳句』

先日、『数学俳句』という、その名前の通り数学用語、数学的性質を用いた俳句の企画を開催致しました。

アスキードワンゴと株式会社すうがくぶんかの共同主催で、35時間続けて数々の数学者や数学ファンが集まり講演、プレゼンをする中、1企画異質だった時間を提供することとなりました。

今回、この文を執筆している横山明日希と、関悦史さんの2人で出演。そして聴講者として四ッ谷龍さん、生駒大祐さんにお越し頂きました。

下の写真を見れば、異様な光景だと感じるでしょう。

私は“数学のお兄さん”と名乗り、数学が好きでその楽しさを伝えるという活動をしている身ですが、その切り口として俳句を組み合わせる事を少し前から取り組ませて頂いておりました。

本文では、企画で取り上げさせて頂いた数学俳句に触れつつなぜ私がこういった試みをしているかの想いの部分を書かせて頂きます。

数学で情景を描く

会場で企画中に取り上げた俳句は以下の作品。

十三夜素数定理と巨大数 shumatsuki

夕焼けや落葉松の影フラクタル Bunbun

点対称配置四便器台風圏 四ッ谷龍

汝と別れメルセンヌ素数となるか 生駒大祐

樹形図は下界を秋と思ふなり ナツメヤシ子

秋の空天に向かって続く数 せきゅーん

はじめて目にするような単語もあるかもしれません。すべての用語を解説するには余白が少ないため割愛させて頂きますが、せっかくなのでいくつか取り上げさせて頂きます。

例えばBunbunさんの句。「フラクタル」とは日本語で言うなら「自己相似」と呼ばれるもの。もしこのフラクタルの意味を知らなかったとしても、夕焼けの強い光が落葉松の影を強烈につくっている姿が思い浮かぶはずです。

その影もしくは落葉松自体をフラクタルというのか…のように少しだけ数学的な理解が出来るかもしれません。ここに、“木の枝がフラクタルの性質を持っていて、その性質によって雨風は通すが光は通さない構造となっている”という性質を含めると、影がくっきりと黒くなるにもかかわらず木が風をしっかりと通してくれる情景がより鮮明に描かれます。

また、四ッ谷龍さんの句のように「点対称」という言葉を用いる事で一定の規則性がある事を想像させ、かつ、実際に頭の中でその情景を180度回転させてみたり、生駒大祐さんの句のように「メルセンヌ素数」という2のn乗から1を引いた素数という“比較的珍しいかつ美しい表記が可能な素数”を用いて別れた後のわずかな希望(でもその希望は叶わないのでしょう)を描いたりと、情景描写を数学用語がサポートしてくれるのです。

そして俳句の情景描写へのサポートとしてだけでなく、私としてはこのように数学用語を入れ、その用語を深く理解する事で数学分野への知識がつき、さらには興味を少なからず持ってくれる事に価値を感じているのです。

数学俳句で数学も俳句も身近に

例として取り上げさせて頂いたものはほんの少しではありますが、今回の企画の中でも「俳句の発見感、数学の発見感が似ている」といった話や「一定のルールの中で表現する」といった共通点の話を関悦史さんとお話させて頂きました。おそらくこういった会をさらに続けていくことで、まだ私が気づいていない意外な共通点が潜んでいるのではないかとワクワクしておりますので、また機会を持てたらと考えております。

また、今回のこの文を読んで頂いた方にも少しでも「数学って面白そう」と感じてもらえたのであれば私としては嬉しく思います。

数学を楽しむ事というのは、決してハードルが高い事でないのです。そして、僕も今回『数学俳句』という企画を実施することで俳句を身近に感じる事が出来ました。

「数学」と「俳句」といった一見関係ない分野が融合する事が、その分野に興味持つ人を増やし、分野自体にも新しい風を吹き込むきっかけになるのかもしれません。


http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/kazunomeisou.html   【数の瞑想】