ⅲ 盆踊り&八角神輿の佃祭
佃島は白魚漁が終わると「弥生の潮乾(しおひ)には、貴賎袖を交へて、浦風に酔ひを醒まし、貝拾ひ、あるいは磯菜摘むなんど、その興ことに多し。月平沙を照らしては漁火白く、蘆辺の水雞、波間の千鳥も、共にこの地の景色に入りて、四時の風光足らず、とすることなし(図絵)」佃島の潮干狩りが終りを告げると、藤の花が咲きだす。佃の人間からみれば、「川向こう」の江戸の人間たちが、自然を求めて藤の花や盆踊り、夏の祭りや秋の月を求めて渡しに乗ってやってくる。
「名月や ここ住吉の つくだじま」其角
「佃の渡し」は島が出来た翌年の正保2年(1645)に始まった。当初は住民私用であったが、次第に定期便となり、結局江戸期から明治、大正、昭和と受け継がれ、前のオリンピックが開催された昭和39年、佃大橋が架けられるまで319年続き、隅田川最後の渡しとなった。運航最後の日、鉄砲州川河口、舟松町から出航した舟と佃からの二隻は、川の中央で円を描き別れを惜しんだ。またひとつ江戸風物詩が佃から消えていった。
「雪降れば 佃は遠い 江戸の町」
となったのである。さてここで問題、隅田川を航行する船、①積み荷あり、②なしの千石船、③猪牙舟や屋形舟などの商業船 ④市民を乗せる渡し舟など4タイプの舟の中で、川が 混雑した場合の優先航行順位は?答えは卷末へ。渡船場跡から佃の小橋に続く通りが、佃のメインストリート、此の通りの小高い処に櫓を組み、毎年7月13、14、15日と
「粋な深川 いなせな神田 人が悪いは麹町」
などと町の古老が唄う佃囃子にのって、繰り広げられるのが「佃の盆踊り」である。越中八尾の「風の盆」に似た優雅な舞の輪が、隅田の川凬にのって拡がっていく。せっかちな東京の盆踊りに慣れてる元江戸っ子には、ちと合わせにくい。
「月に投げ 草に捨てる 踊りの手」
今でも純朴な浴衣姿に交り、仮装した踊り手が多い。天保年間(1830~43)踊り手たちが、浄土真宗本願寺派築地別院(築地本願寺)へ参る際、人々へ踊りながら寺への寄付を強要した事があった。これを調停したのが、遠山の金さんこと北町奉行遠山金四郎景元である。
本願寺が建立された築地の土地は、明暦の大火(明暦3年、1657)以前は、佃島同様川の中であった。浅草横山町(現東日本橋)にあった「浅草御坊」の移転先が、また地面が見えない、葦や葭が生えていた水の中であった。再び、佃漁民たちの挑戦が始まった。前回、自分たちのため家族のために頑張り培ったノウハウを、今度は自分たちの救いの場、安らぎの場を創出するために使った。島民総出のリベンジであった。延宝7年(1679)本願寺(築地御坊)は、西方浄土に向かい建立された。その後、幾多の火事、地震に遭遇、維新後も明治5年の銀座の大火、大正12年の関東大震災で焼失しながらも、昭和9年インド様式の築地本願寺が建立され、夏には境内で盆踊りが開かれるなど、地域に溶け込んだお寺さんとなっている。
新盆に行われる佃の盆踊りが終わると、いよいよ佃は夏本番、夏祭(3年に1度が大祭)が始まる。先ず、祭りの準備は、朱い小橋の下を流れる佃堀の水中(正確には堀の泥の中)に埋められている、棹とそれを支える抱木を掘り出す事から始まる。何故わざわざ手間のかかる水中に沈めて置くかと云えば、理屈は木場同様、此の方が材質の風化や虫喰いを防ぎ、品質が長持するからである。ひと月前休日の干潮時を狙って、町内の氏子たちが長靴を履いて、橋の下の石枠内に集結、棹と抱木をスコップで掘り出し、堀の水で泥を落とし、クレーンで橋の上へ並べ、しばらく天日乾燥させてから、先ず2本の棹は抱木で支えて、小橋東詰両脇へ建てる。次2本は同様に風呂屋の脇と堀の西側に、最後の2本は天安前と一の鳥居の脇、合計6本が、五反の住吉大明神の大幟をはためかせ、江戸城から見ると扇を開いたように見えた。この幟の建立は寛政10年(1798)に幕府より認められてきた。
住吉神社は「本国の産土神なるゆゑに、分社して、ここにも住吉の宮居を建立せしとなり」図絵。築島されてから3年目の正保3年、摂津国住吉大社から分祀され佃祭りが始まった。祭の主役は、住吉神社の宮神輿、重さ千貫の「八角神輿」である。現在でも平成23年に新造された神輿と並んで、天保9年(1838)芝大門万屋利兵衛による「天保の神輿」が飾られている。この天保の神輿は、昭和37年、水質汚濁によって中止となるまで、神社鳥居から隅田川に入り、水中で担がれていた。
この模様は広重「名所江戸百景」第十五景「佃しま住吉の祭」でも描かれている。画面中央の大幟の向うに水中渡御している、天保の八角神輿が見える。その手前は佃の渡し舟、遠くに舫っているのは千石船である。因みに神輿とは、天平勝宝元年(749)大仏建立に際し、宇佐八幡神をのせ運んだのが始りとされ、本来は天皇の乗り物であった。四角、六角、佃の神輿は八角、天皇が座る高御座(たかみくら)を倣っている。祭り2日目、八角神輿(宮神輿)は、神社から佃のスーパー堤防の階段から担ぎ下され、地元佃から、月島、勝どきなど七町の氏子町会を船渡御したのち、御旅所へ向かう。3日目、祭りはいよいよクライマックスを迎える。此の日は町会神輿と共に巡行、暑さで水をかぶり、喉の渇きをビールで癒し、3年間の総決算が幕を閉じる。「了」 <チーム江戸>