about Navi Nguyễn (日本語)
about Navi Nguyễn (日本語)
Vietnam Ho Chi Minh在住のアーティスト、ナビ。
私が彼と会ったのはInstagram内でした。去年2020年コロナウイルスが蔓延し、日本も緊急事態宣言等により、外出し辛い期間がありました。(2021年1月、この文章を書いている現在も状況は変わりません)
私自身思う事があり、実際に展覧会に足を運び辛いからこそ、web上で作品展開出来たら家に居ながら展覧会を味わってもらえるかもしれないという理由により、web上で作品発表しながら「供養寺」という名目の企画を行いました。
その時に様々な出来事があり、Naviと親交が生まれました。
その後 彼と会話をしたり、Instagram上で交流を取りながらNaviの作る作品を眺めていたのですが、彼の絵は私の好みのド真ん中だったのです。
何故ならNaviの線描には「念」を感じるからです。
「念」を込めて作品を作る事はとても難しいです。そこには莫大な熱量(例えば喜怒哀楽/愛憎/執着/理想…etc)が存在しないと、そもそも作品として形にしようと思わないので、もしかするとアーティスト達の根幹の一つかもしれません。
しかしさらに難しいのは、そうして気持ちを込めて作ったものに「念」が宿ることだと思います。(同じ作品を見ても千差万別、念に刺さる人も刺さらない人もいると思います。ここがとても面白いところだと感じます)
上記を踏まえてNaviの線描を見てみると「細密、激情」では言葉の表現が追いついていないように思い、個人的に当てはまる言葉が「情念=常念」だと思っているからです。
凡庸な例えを借りると、まさしく絵自体に命が入っているようなイメージを受けるのです。
「作者を投影したり、生活感を出したり」とは系統が違い、絵を見ているはずが逆に絵から見られているような…。そんな気持ちになるのです。
ここで一旦Navi自身に焦点を当ててみようと思います。
彼は博識で色々なジャンルの造詣が深いです。
自身のFacebookページでは、日本の歴史やその他様々な事柄の研究を纏めた文章を発表しているほどです。
日本のシティ・ポップからの変換に対する考察や、何故そうなっていったかなどの質問を彼から受けた際には、本を探しながら慎重に答えたりしました。
最近でも、日本の「年賀状とお年玉」の違いについて纏めていたりと、とにかく気になった内容について深く深く物事を考察していくのだと思います。
下記のURLに、彼の造詣の深さを追求していく形のインタビュー文が載っていますので、興味のある方は是非ご覧ください。(記事は日本語に翻訳したら苦労なく見る事が出来ます)
そんな様々な事を追求していくNaviだからこそ、絵を描く際にも過集中して取り組んでいるのかな、と感じます。
そうして出来たものに、Navi自身の情念が多大に混じり、絵自体が意思を持つ要因になっているのかなと思います。
Cảm ơn bạn Navi!
今年Ho Chi Minhに遊びに行けたら嬉しいですが、まだまだ厳しいかもしれません…しかし、コロナ禍が明けたら必ず遊びに行きます!!
安藤圭汰評