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書くこと。生きること。

籠の鳥

2021.01.31 09:31

刑務所を取材したテレビ番組を観た。有期刑で服役する女性が、インタビューを受けて語っている。無期刑なんて考えられない、いつ社会復帰出来るかわからないなんて、自分にはとても耐えられない、と。 


ああ、と私は新鮮な驚きと理解を得る。

罪を犯し服役中のこの女性には、いつかまた社会生活をやり直したいという希望がある。生への執念がある。私は、書物に描かれる兵士や俘虜、死刑囚や逃亡犯らと病気の自らをなぞらえること数えきれないが、同じ時代を生きる女性の一見屈託のないこの声を聞くとき、この世の中に自分のいる場所を知る。私は無期刑なのか、それとも終身刑なのだろうか。ケージの中で熱心に毛づくろいをするインコを、思わず振り返る。 


こんなことは考えてはいけない、と思ってしまった。私がこんなことを思い、つぶやけば、私と同じ病気の、私以外の人たちまでもきっと同様の思いなのだろうと、 また怠惰で身勝手な人たちから思いたいように思われてしまうだろう。それに、私のある場所に、私の感じる幸不幸がいつも必ず完全に連関され支配されるものではないということは他者には理解されづらい。それだけ私の病気は十分に悲劇的でセンセーショナルなものであることを、私は知っている。私は毎日程々に幸せを感じ程々に退屈しているのだが、 おそらく周囲はそれを許さない。程々にカワイソウであって欲しと願う、奴らの思う壺にはなりたくない。私は有罪判決を受け刑務所に入った経験はなく、テレビ的に編集されたあの女性の言葉だけを頼りに、あの女性の気持にどこまで近づけるかわからない。それでも想像はする。あの女性と話してみたい、と思った。 


自分が自分として思ったことは無いことにできない。これは私という個が、ある週末の午後に考えたことに過ぎないが、一方で他者にとっていくら取るに足らないことだからといって、誰も私からそれを奪うことは出来ない。私がいなくなった後、誰かの思うままに加工されお決まりの薄っぺらな感傷の材料にされるのは悔しいけれど、いなくなった私はどうせ何もわかり得ない。 


週末の午後に、テレビを観ながら思った。