1月31日 礼拝
9時礼拝
伊藤大輔牧師
マタイ福音書4章23−25節
人は何を目指すのか。
人には何ができるのか。
イエスはヨハネから「悔い改め」の洗礼を受ける。
悪魔から荒れ野で誘惑を受ける。
悔い改めの洗礼。
自らを捨てること。
自分が正しい。
自己主張、自己正当化。
自己優位
自分と他者の間に壁がある時、悔い改めは生まれない。
自分と他者の壁がなくなった時、
自己否定ができた時、悔い改めは生まれる。
悪魔の誘惑は三回。
その三回は「自分のために自分で生きろ」
と自己の拡張、自己肯定を拡大する勧め。
イエスはその誘惑を退ける。
己ではなく、神を求める、と。
自己を否定した。
そのイエスは四人の漁師に声をかける。
「私について来い」と。
彼らは船を、網を、家族を捨てて、イエスに従った。
自分の大切にしているもの、
掛け替えのないものを捨てる。
自分を捨てて従う。
自分を捨てる。
「自分を捨てよう」
その意識で行動するのは、
自分の意識で生きていること。
「自分の正しい」と思っていることで生きているのだから
自分を捨ててはいない。
「自分を捨てる」
その意識すら捨てられる時、
自分を捨てるは始められる。
子どもに心配事が起こった時、
親は「空腹」「多忙」「物欲」
それらを全部忘れて子どものために何ができるのかを探し求め実行する。
自分を忘れ子どもに没頭する。
自分を忘れる。
それが自分を捨てること。
その行為を「愛」という。
家族の越えて、友人、仲間、隣人、隣国
自分を忘れ他者に没頭する。
イエスはありとあらゆる病を癒した。
ありとあらゆる人に没頭した。
ありとあらゆる人を愛した。
己を忘れ、他者に没頭し、愛するならば、
誰もが癒される。
元気になる。
不思議な奇跡物語が記されているのではない。
人が目指すもの。
誰もが出来るもの。
愛すること。
世界に力を与えること。
私が目指し、成しうること。
イエスは語った。
「自分を捨てて、ついて来い」と。
「私」に出来るが故、
「私」に語りかける。
本多記念教会
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