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増田勇一のmassive music life

メールどころかFAXもなかった頃の記憶。

2021.01.31 22:57

若い世代と話をしていて、携帯電話もインターネットもなかった時代の話をすると驚かれることが多々ある。80年代、連絡は基本的にすべて固定電話。今では原稿が完成すればすぐにメールで送ることができるけども、当時は書いたものを編集部に届けたり、郵送したり、どこかまで取りに来てもらったりするのが普通。実際、駆け出し編集者の頃の仕事の大半は、原稿を受け取りに行ったり、レコード会社に資料をもらいに行ったりする〈おつかい〉だった。

海外とのやりとりも、めちゃくちゃアナログだった。BURRN!創刊当時、海外のレコード会社やマネージメントとやりとりをする時の手段は、国際電話かテレックス。「テレックスって何ですか?」という声が聞こえてきそうだ。国際電話だって直通じゃなくてオペレーターに繋いでもらっていたのだ。

海外在住の執筆者やフォトグラファーから原稿や写真をもらう時も、基本的には郵便だった。たまたま現地から帰国予定のある日本の関係者が飛脚と化すようなこともあった。今にして思えば長閑な時代というか、ずいぶん時間に余裕があったものだと思う。郵送されているはずのものが届かないこともないわけではなかったし、「たぶん郵便が遅れてるんでしょうね」が言い訳に使われることもあった。それでも誌面作りにさほど支障はなかったのだから、「ちゃんと届いたら次号に載せることにしよう」というのに近いスタンスだったようにも思う。

ただ、もちろん急を要する場合もある。いまだによく憶えているのが、1985年、BURRN!でTWISTED SISTERのディー・スナイダーを表紙にした時のこと。取材はニューヨーク在住のジャーナリスト、林洋子さんにお願いしていたのだが、取材日から締め切りまで日数がなく、郵送では間に合わない危険性が高かった。しかも当時はまだFAXも普及しておらず、そういう場合の手段は〈電送〉だった。のちにはFAXなどで送ることもそう呼ばれるようになったけども、要するに〈書き上げた原稿を電話口で読み上げてもらい、それを録音したものを書き起こす〉という非常にまわりくどい方法だった。1時間のインタビューをすれば、それを文字おこしする作業には数時間を要するし、書き上げた原稿を読み上げるのにもそれなりに時間がかかる。で、それを録音したものを文字おこしするのにもまた同じように時間がかかる。しかも当時の原稿はもちろん手書き。国際電話の通話料もまだまだ高かったし、ずいぶん経費と時間のかかる作業になっていたと思う。

もちろんそうした〈電送・書きおこし〉パターンというのは滅多にあることではなかったけども、そんな状況だった中で会社にFAXが導入された時には、拍手と歓喜の声が起きた。すでに見慣れていた林さんの手書きの文字による原稿がピーッ、ガチャガチャ、ズズーッと音を立てながらFAX機から吐き出されてくるのを初めて目にした時は、本当に感激したものだ。とはいえ、それを入稿するには、その原稿を改めて原稿用紙に手書きでリライトする必要があったわけだけども。

ちなみにそのTWISTED SISTERの記事がい掲載されているのは、BURRN!誌1985年12月号。つい最近の出来事のような気もするのだが、すでに35年以上前のことだった。あの頃はよかった、と結論付けようとはまったく思わないけども、便利さの陰で失われたものというのも確かにあるはずだよなあ、とも思う。この手の話、これまでは〈いつか、まとめて書こう〉と思っていたけども、忘れないうちにちょこちょこ書いていくことにしよう。

電送されてきたディー・スナイダーのインタビューが掲載されたBURRN!誌1985年12月号。ちょうど『COME OUT AND PLAY』と題された第4作が完成間近だった頃の取材だった。表紙写真は同年春の来日時に撮影されていたもの。