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うんざりコロナ

2021.02.03 22:37

トランペットって、フィジカル面の要素を集めすぎるとかえってうまくいかない傾向にあると考えます。

例えば多くの方が苦手意識を持っているハイノート(高音域)もなぜ苦手に感じるかと言えば、異常に高い体内の空気圧が通れる道などどこにもないのに無闇に腹筋に力を込め、それによって全身に力が入って喉も締まり空気が通らず、その結果「苦しい」って、そりゃそうだ!とこんな感じです。

本来の目的や趣旨がどこかに行ってしまい、根拠なく「これだけ頑張れば...!!!」と一生懸命になる理由も意味もありません。


これ、トランペットに限ったことではくて、人間はそもそも何かの結果を求めるとき、要素をかき集める傾向にあります。本来必要ではない分量を用意するのは、「これなら安全だろう」と自分に思わせる「精神的な充足感」を得るためだけであると思われます。


精神的充足感を得られる要素がどの程度必要かは個人差があって、小さな器が満たされるだけでOKな人もいれば、極端な場合は器に穴が空いていて、どれだけかき集めても満たさることはなく、常に不安がつきまとう人もいます。常に不安がつきまとっていると、そんな思考が極端な行動を起こさせ、時には問題になることもあります。


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「マスク警察」なるものをテレビのワイドショー中心にマスコミが面白おかしく報道しているようですね。僕はテレビという存在はもはや思考をかき乱すだけの不要な存在としか思えず、テレビのスイッチを入れるのは年間を通してジブリの映画と紅白歌合戦とその後にあるジルベスターくらいです(NHKの受信料を4,000円以上毎月払って紅白しか見ないのは、50,000円のチケット代払っているようなものだと今気づきました。金返せ。)


そして今度は「不織布マスク警察」にレベルアップしたようですね。もうちょっとしたら「二重マスク警察」が現れた!と楽しそうに報道し始めると僕はふんでいるのですがいかがでしょうか。

ともかくマスコミは人を不安にさせることでしか視聴率を稼ぐことができないくらい窮地に立たされているのでしょうが、本当に世の中に存在意義がなくなったと思っています。


世の中がコロナコロナと騒ぐようになってからというもの、不安を払拭するための「(自分にとっての)安心要素をかき集める傾向」「心配が強い人ほど精神的充足感を得るために過剰な行動を取る」性質がより強く現れるようになり、飲食店の営業時間短縮や飲み会の自粛要請が始まり、行動も精神も抑圧される状態がすでに一年近く続いています。

今までできていたことができなくなるストレスや、収入が減って精神が非常に不安定になると人間は、ストレス発散不安要素払拭のために、自分へは害が及ばず、反論してこれない立場(スポンサーとクライアントとか主観的に弱者であると認識した相手)、もしくは、その対象がいない場所でのいわゆるグチとか事実無根の底質な悪口、無機物へ向かっての攻撃などをする傾向にありまして、結果的に僕のところにも被害が及んで非常に迷惑被っているわけです。こっち見んな。


こうならない他の人はどうなっているかと言うと、静かに自分の中へ一生懸命「我慢我慢ガマン...」と抑えつけてしまいます。もちろん社会的立場などで周囲から圧力がかかっている方が圧倒的に多いのでしょうが、日本人ってやはりとても真面目で、先祖代々培ってきた根性精神がこういったところでいかんなく発揮されます。

日本人はガマン強いとか、列を乱す人がいなくて礼儀正しいとかよく言われますが、それは言い換えるなら自分の欲求をガマンしている状態であり、過剰にこれを推し進めることは決して健康に良くありません。抑鬱状態は絶対に長持ちしないので、前述のように爆発するか、もしくは何をするにも希望が持てず面倒になって動けなくなります。


人間は欲求を持つ生き物であり、それが行動の原動力です。欲求を抑えつけることは限界があり、それが「コロナで死にたくない」という「死」がテーマだったとしても、こんな精神を抑えつける状態がこれから先も続いたらコロナで死ぬ前に他の理由で体や精神が死にます。


自分が好きで続けていたことや約束事を「コロナがこの先どうなるかわからないから、自分からは何とも言えない(だから判断できない/動けない/辞める)」という思考になっている人があまりにも多いように感じますが、その先に何があるというのでしょうか。社会的責任が自分にかかるのを恐れていることもわかりますが、だからと言ってやりたいことがあるのに全部ガマンするなど、ただ思考が停止して時間が過ぎていくだけの生産性のない状態でしかありません。

人生なんてどのみち短いんだから、そんなことしている時間なんてないと思います。


もちろん、わざとコロナになろうとか感染防止対策をせずに無闇に拡大させるなんてのが許されるはずがありませんが、だからと言って部屋の片隅で体育座りをして誰にも接触せずにこの先も過ごし続けるなんて無理な話であって、新型コロナウイルスに対する『正しい』情報を手に入れる努力と判断力を持ち、その『正しい』知識で『正しい』行動を『正しい』範囲で無理なく行えばそれでよくないですか、と思うわけです。


できることをできる範囲でやる。

やりたいことをできる範囲でやる。

そのために『頭を使う』。


すべての方向性はプラスにしておかないとダメだと思うのです。


僕はもともと保守的思想をあまり持たない性格なので、今までやっていたことができないなら、今できる新しいことを考えたり、変化、変形させたりとチャレンジし続けたいと思う傾向にあります。そしてそれが結果的に失敗しても、そうした経験と学びを得たこと、自分の欲求を出せたことですでに自分の中では成功を得ているし、次またアップデートしてチャレンジすれば良いだけなので問題ない思っています。


いろんな立場の人やいろんな意見があるからそれは当然尊重します。だから自分も自分の意見を言います。



コロナはもうわかったから、前に進もう。



※今回の記事は自分の考えをアウトプットしただけなので別に議論したいとは思っていませんので承っておりません。言葉の一節だけをピックアップして口撃する人はもれなく「この人頭悪うい」って思いながら無視しますからよろしくね。




荻原明(おぎわらあきら)