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節分や富士宝永を従へて

2018.02.02 05:22

http://izumo.u-shimane.ac.jp/campus/healthcenter/blog_cms/2016/5/6.html 【保健管理センター長の一言【森羅万象万物に神宿る】】 より

浄土思想で信じられている極楽浄土(彼岸)は西方の遙か彼方にあると考えられています。そのため西方浄土とも言います。春分と秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりであるとされています。

 この時期は彼岸と此岸(私たちが住んでいる世界)がもっとも通じやすい日になると考えられ、この時期に先祖供養をするようになったとされています。そして、米などの作物を作ってきた日本人にとって、春の訪れはとても喜ばしく、これからの豊かな実りを願う時期で、秋は豊かな実りに感謝を捧げる時期でもあります。こうした自然に対する感謝や祈りが、ご先祖様に感謝する気持ちにもつながっていると思います。彼岸は夕日信仰が始まりとも言われています。

日本人は朝日、夕日、お月様、山、海、川、木々、虫の音、実った作物や稲穂などの自然そのものを神のように崇拝してきました。日本独特の「森羅万象万物に神宿る。」という考え方です。おそらく、人間の生命に関わると言っても過言ではない“自然の力”に対する敬意と畏怖の気持ちの表れだと思います。実際、私たちは自分の意志とは関係無しに自分がよい方向に導かれていると感じることがあります。おそらく、自分の能力では説明できない神様仏様の御陰ではないかと感謝しています。

小泉八雲著の松江の夜明けからの一日を描いた「神々の国の首都」に「・・・たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。或る人たちは太陽に向かってだけ柏手を打っているが、ずいぶん多くの人たちは次に西に向かって聖なる杵築の大社を拝む。又、少なくない人々は引き続き顔をあらゆる方角に向けて数知れぬ神々の御名を唱える。また一部の人は日の神を拝んだ後は薬師如来の寺である一畑様の方向を望む。・・・」と書いてあります。120年くらい前の松江では毎朝こんな光景が見られたと思います。120年も前の話ではないですが、私の子どもの頃に毎朝、祖父母、父母がやっていたことと似てますからその光景が目に浮かぶようです。おそらく、あの頃は今のようにこころの病が社会的に問題になるようなことはなかったと思います。

毎日家内安全で健康に過ごさせていただいていることに感謝して、今後もよろしくお守り下さいませと願いながら、神様仏様を拝むと何とも言えない心地よさを感じると思います。120年くらい前の松江の人々のようにすることは今では憚られますが、毎朝、家の神棚、仏壇に手を合わせる気持ちは大切で、心を浄化してもらえるような気がしています。


https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00420/ 【活火山・富士山の歴史 : 1707年「宝永噴火」では江戸でも大量の降灰】より

東海道新幹線、できれば「山側」の席に座りたいという人が多いのではないだろうか。何度見ても、その美しい姿に心躍る富士山。ここ300年余りは平穏期が続いているが、富士山は活火山であるということを忘れてはならない。富士山の噴火の歴史をひもとく。

日本人なら誰もが知っている富士山。日本一高く、末広がりで美しく均整の取れた姿は神々しくすらあるが、実は、それは火山活動を繰り返したことで形成されたものなのだ。1707年の宝永大噴火を最後に310年余平穏な時期が続いているが、富士山が活火山であるということを忘れてはならない。これまでの富士山の活動の歴史を振り返る。

【70万年~20万年前】

富士山周辺一帯では数百万年前から火山活動が活発だった。約70万年前、現在の富士山の位置で小御岳火山が活動を開始した。小御岳火山の山頂は、現在の北斜面5合目付近にある。

【約10万年前~】

「古富士火山」と呼ばれる。爆発的噴火が特徴。大量のスコリア(多孔質の岩石)、火山灰、溶岩を噴出し、標高3000メートルに達する山体を形成。

【約1万1000年前~9000年前】

噴火の形態が溶岩流主体に。南側に流出した溶岩は駿河湾に達した。

【約5000年前~現代】

約4000年間の平穏期を経て新しい活動期に入り、現在に至る。「新富士火山」と呼ばれる。溶岩流、火砕流、スコリア、火山灰、山体崩壊、側火山の噴火など「噴火のデパート」と呼ばれる多彩な姿を見せる。

【800~02年 延暦大噴火】

800年4月15日北東山腹から噴火、降灰多量。多量の降灰砂礫によって、当時の重要幹線だった足柄路が埋没。

【864~66年 貞観大噴火】

北西側斜面の長尾山から噴火。溶岩流で多数の人家が埋没。北西側に向かった溶岩流が「せのうみ」と呼ばれていた巨大な湖を2分し、現在の精進湖(しょうじこ)と西湖(さいこ)となった。青木ヶ原樹海は、この時の溶岩流の上に1000年を掛けて形成された樹林。最盛期は噴火開始から2カ月続いた。869年に東北地方の沿岸に大きな津波被害をもたらした貞観地震(震源は三陸沖)が発生している。

【1707年 宝永大噴火】

南東山腹(宝永火口)から噴火。黒煙、噴石、空振、降灰砂、雷。その日のうちに江戸にも多量の降灰があり、房総半島まで被害が及んだ。2週間にわたって断続的に噴火し、家屋や農地が埋まった麓の村では餓死者多数。宝永大噴火の49日前には宝永東南海地震(推定M8.6)が発生している。

(上記の3回の大噴火も含めて、新富士火山の噴火は781年以降、古文書などに17回記録されている)

【江戸時代晩期~昭和中期】

山頂火口南東側で噴気活動。1854年の安政東海地震をきっかけに始まったと言われる。1960年代に終息。

【2000年10~12月 2001年4~5月】

深部低周波地震の多発。

【2008年8月~10年初】

GPS連続観測から地下深部の膨張を示すと考えられる「伸び」の変化が観測されたがその後終息。

【2011年3月15日】

東日本大震災4日後、富士山の南部付近でM6.4の地震。

静岡県富士市「富士山の噴火史」、内閣府「防災情報のページ」、気象庁「富士山 有史以降の火山活動」ほか富士山周辺自治体のウェブサイトの情報を参考とした