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からだ、こころ、たましいの学び屋

【 BOOK】「納棺夫日記」著者:青木新門(しんもん)

2021.02.02 06:47

217

生老病死(しょうろうびょうし)

218

蛆(うじ)

223

感応道交

感応道交(かんのうどうこう)とは、仏と人間の気持ち、また教える者と教えられる者の気持ちが通じ合うこと。 衆生の機根と仏の応化が相互に通じて融合することをいう。 広義では、身近な人と分かり合うことを指していう場合もあるが、本来は師匠と弟子などといった立場の違いがある。 「感」は衆生が仏菩薩の救済しようとする心を感じること、「応」は仏菩薩がさとりをもとめる衆生の願いに応ずることを意味する。 「道交」とは衆生と仏菩薩の心が行き交い、共鳴することを表す。 「菩提」とは仏の悟りのことで、「発菩提心」は、求道者がその悟りに後押しされて、自ら悟りを求める心を起こすこと。

226

稿(こう)〜下書き、原稿

24

隠亡(おんぼう)〜火葬する係の人

29

蔑まれる(さげしむ)

30

疎まれる(うとまれる)

30

罵られる(ののしられる)

31

人の心なんて他愛ないものである。

人を恨み、社会を恨み、自分の不遇を恨み、すべてが他者の所為だと思っていた人間が、己をまるごと認めてくれるものがこの世にあると分かっただけで生きていける。

そして、思想が一変する。

社外通念を変えたければ、自分の心を変えればいいのだ。

心が変われば、行動が変わる。

早速、医療機器店へ出向いて、外科医師が用いる施術用の衣服やマスクや薄い手袋などを買ってきた。

服装を整え、礼儀礼節にも心がけ、自信をもって堂々と真摯な態度で納棺をするように努めた。納棺夫に徹したのである。

すると途端に周囲の見方が変わってきた。

34

穢らわしい(けがらわしい)

72

忌み(いみ)〜神につかえるには、汚れている

74

しかし、釈迦や親鸞は、生死を超えたところから言葉を発している。

それはどんな所からということになるが、善悪や生死を超えた第三のところで、生と死や善と悪などが双方とも見えるところでなければならない。

77

永訣(えいけつ)〜永遠に別れること。死別

膾炙(かいしゃ)〜広く社会の人々に知れわたっていること

77

生きとし生けるもの思いやりから賢治は、肉食をしないで菜食で通し、ほとんどそのことが原因で病気に倒れ、三十七歳の若さで死んでしまうのである。

宮沢賢治

78

清明(せいめい)〜節句のひとつ。4月の上旬頃。

78

嫩芽(どんが)〜草木の若い芽。

焼痕(しょうこん)〜焼け跡。野焼きのあと。

藺草(いぐさ)〜畳表などに利用される植物。

79

魂魄(こんぱく)〜死者の魂。

82

俗信(ぞくしん)〜迷信など。

82

魑魅魍魎(ちみもうりょう)〜さまざまな怪物。

82

葬送儀礼(

83

枕許(まくらもと)〜

83

アニミズム〜生き物にはアニマ(霊魂)が宿っている、という考え方。

83🟢

釈迦は、霊魂(自我)の実在を否定して、無我を縁起とした新しい仏教を説いたはずである。

85

第三章 

ひかりといのち

92

悶々と(もんもんと)

92

あの不思議な光に最も明快な回答を与えてくれたのは親鸞であった。

🟢 ・

親鸞の主著は、「教行信証」である。

(きょうぎょうしんしょう)

95

この不思議な光現象は、理性では理解できない異次元の現象であって、実体験以外に理解の方法はない。

96

あらゆる宗教の教祖に共通することは、その生涯のある時点において、「ひかり」との出会いがあることである。

すべての教祖は、「初めに光ありき」から出発した体現者であった。

97

見えないが存在するそんな何かを、人類は遠い昔から神と言ったり仏と言ったりしてきたようだ。

親鸞は、この「ひかり」のことを、

「無碍光(むげ)」と言ったり

「不可思議光」と言っていた。

またその光如来は、「大無量寿経」に十二の性質の光として説かれている。

無量、無辺、無碍、無対、炎王、清浄、歓喜、知恵、不断、難思、無称、超日月と名づけられ、真宗では十二光と言っている。

98

はかりなき、きわもない、すきとおった自在の光であり、ならびなき明るさの光で、きよらかな、よろこびにみちた、知恵の光であって、ときつくすことも説明することもできない光だというのである。

98

「歎異抄」たんにしょう

98

親鸞の如来の世界

相反する言動も注意深く考察すると、一つ方向からやってくる光に照射されていることに気づくのである。

それは「最初にイメージありき」というスタンスから全てが成り立っているということにほかならない。

100

イメージとは、行き先(結論)のことである。行き先が先にあって、生き方が決まるのである。決していく方法が先で、行き先が後ということはありえない。

101

親鸞

あらゆる文章が結論から導かれていることを見ても、確かである。

101

青磁色の空(せいじいろ)〜うすい緑色


101

光顔巍巍(こうがんぎぎ)

https://kouhei1112.wordpress.com/2007/12/17/%e3%80%8e%e5%85%89%e9%a1%94%e5%b7%8d%e5%b7%8d%e3%80%8f/

相手が眩しいと感じるのは

私が光をその人に対して放っているから。

発している本人は

眩しくない。自分が光を放って、照射してる相手が明るく光って見える。

????

102

親鸞がこの「ひかり」を不思議光と名づけた通り、この光に出会うと不思議な現象が起きる。

まず、生への執着がなくなり、同時に死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、すべてを許す心になり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。この光に出会うと、おのずからそうなるのである。

103

親鸞は、「教行信証」の冒頭に、

謹んで浄土真宗を按ずるに二種の回向(えこう)あり

一つは往生、二つには還相(げんそう)なり

往生〜死ぬこと

還相〜一度死に、この世に生まれ変わり。この世を浄土とするために、あること。

103

この二種の回向(えこう)こそが、親鸞の全思想の結論であり行き先なのである。

このことは、どういうことかと言えば、親鸞以前までの回向(えこう)は、自分の積んだ善根を仏の方へさしむけることであったが、親鸞は逆に、仏の方から衆生の方へ向かうのが回向であるとした。そして、仏への感謝が往生回向で、その仏からの慈悲が還相回向であるとし、この二種の回向がおのずから同時にはたらく現象を、光如来の本願ととらえたのである。

104

他力本願とは、人間の意思や行為とは関係なく、如来の本願(宇宙の真理)として現れる不思議な光現象といえよう。

107

親鸞の回向(えこう)は、生きとし生けるものへのあふれ出る報恩感謝が阿弥陀如来の本願(宇宙の真理である光現象)によって、おのずから生じるとしたのである。

107

引導(いんどう)〜みちびき

107

他力とは、如来が成仏されるのであって、人間が沙汰することではない。

真宗〜浄土真宗 阿弥陀仏の他力回向を往生の本義とする。沙汰するには阿弥陀如来如来ならなければならない。

開祖は親鸞。

108

親鸞の思想の大きな特徴の一つは、光如来に出合って「死即仏」となることである。如来とよって死即仏となるから、引導もいらないし、位牌も、手甲(てこう)脚絆も、六文銭もも、杖もいらない。三途の川も閻魔大王も関係ないから、追善供養も必要ない。

だから真言宗では追善供養と言わないで、法要とか報恩講といっている。要するに親鸞は、仏教伝播の途中で中有(ちゅうう、中陰ちゅういん)の思想にまとわりついた中国の十王思想を排除したのである。しかし、中有まで完全に否定したのではない。

このでの「中有」のとらえ方が、親鸞の思想を理解する上で重要なポイントとなる。

わが国のほとんどの宗教では、人が死んでも霊魂がさまようことが前提になっている。

そのことが、彼一本線香や追善供養といった霊魂に関わる葬送儀礼様式や風習を生んできた。しかし、親鸞は何日間も、何ヶ月間も、さ迷う霊魂に関しては完全に否定していたのである。

親鸞の中有の理解は、宮沢賢治の臨死体験の詩「眼にて云う」にあるような、対外離脱した私が、宙に留まる時間を指しているようである。その宇宙に浮いた第三の視点からは「さんたんたるわが身」も見え、「きれいな青空」も見えるのである。

そこから、さんたんたる景色(現世)を横目で見ながら、すきとおる空(浄土)へと直行するわけで、死はどこにない。

109

死体や霊魂や死後の世界などは、さんさんたる世界にいる人々の関心ごとであっても、死者にとっては、さわやかな風の世界からすきとおった世界へ往くだけである。

そこには死もないから、「往生」という。

釈迦や親鸞には、霊魂や死後の世界など介在する余地もなかった。

死さえなかった。あなたの大涅槃だけであった。確かに死体はあったにちがいない。

しかし、それは光の世界「真仏土」へ往ってしまった後に残った蝉の抜け殻みたいなものである。

死骸の処理など在家のものに任せておけばいい、と言ったのは釈迦であり、親鸞も死骸に関しては、「それがし閉眼せば加茂川へ入れて魚にあたふべし」といっているわけで、抜け殻扱いである。

裏返して言えば、己の死体を抜け殻扱いきた者だけが、覚者といえる。

釈迦の説いた仏教の教理は、すべて実践との関係においてのみ意義が認められているのであって、実践に関係の無い形而上学の問題には、釈迦は答えられていない。

親鸞も、そのことを忠実に守って、真実に生きた求道者だった。

だから、親鸞の「浄土」や「正定聚」(しょうじょうじゅ、菩薩)のイメージは、実証可能な真実の範囲を逸脱(いつだつ)していないのである。

正定聚(しょうじょうじゅ)〜

必ず悟りを開き仏になることが決定している人々、のこと。

110

「正定聚」というのは、悟りをうる菩薩のことである。菩薩とは、仏となることを約束された人のことである。

113

親鸞の思想の全てが、成仏した釈迦の顔の光輝に収斂されているのである。

115

神や仏が光であって、キリストや釈迦が光の正統な子であるならば、、

117

あの「光」に出合うと、生への執着が希薄になり、同時に死への恐怖も薄らぎ、安らかな清らかな気持ちとなり、すべてを許す気持ちとなり、思いやりの気持ちがいっぱいとなって、あるゆるものへの感謝の気持ちがあふれでる状態となる。

こうした状態になった人のことを、仏教では菩薩という。

137

末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉にならない。

きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい。

139

弄ばれる(もてあそばれる)

139

回心(かいしん)⭕️

140

人間の欲望や自我は、恐しい。あの不思議な光の本質である真・善・美の世界など、いとも簡単に踏みにじっていく。

144

帰命無量寿如来 とわのいのちと

南無不可思議光 ひしぎなひかり

                                    に帰依します

153🟢

道元(1200〜1253)わが国曹洞宗の開祖。三歳で父を失い、八歳で母と死別したため、世の無常を感じて十三歳で出家。後に永平寺を建立。「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は後世の宗教哲学や文化へ大きな影響を及ぼした。

153🟢

親鸞なし(1173〜1262)浄土真宗の開祖。八歳で父母と別れ、出家。



⭕️⭕️⭕️⭕️⭕️⭕️⭕️⭕️⭕️

157

『納棺夫日記』を著して(あらわして)

159

この本を書き終えて、ふと浮かんだのは、

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬことかと思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」

という正岡子規の言葉であった。

160

人が死の概念の真の回答を得るには、自らが死に直面して体得するか、あるいは如何なることがあっても平気で生きている人(人間はそういう人を菩薩とか聖人と称してきた)から直伝されるかしかない。

そして、もし生者がその真理を体得するなら、永遠の中の一瞬の人生が、どれほど大切で、どれほど尊いか実感する。と同時に、生かされて生きていることが喜びとなって、如何なる場合でも平気で生きていくことができるようになる。

そのことが、仏のいう「悟り」なのだと思うようになった。

163

訝しげ(いぶかしげ)

168

頻繁に(ひんぱんに)

198⭕️

回向(えこう)

198⭕️

漸愧(ざんき)

200

箴言(しんげん)

205

ト部文麿さん

バイオサナトロジー学会


キューブラロス

キュブラー・ロスのワークショップ

204

自然を「じねん」と読み、「みずからしからしむ」としてきた思想

https://kei-horii.com/2020/11/04/holos-133/

206

神を一つだと幾何学的に証明しようとしてのは、十七世紀の哲学者スピノザである。そして、「神即真理」「神即自然」「神即愛」と結論づけた。

私も、宇宙の真理は一つだと思う。しかし、私もまた、私自身の心を納得させるためには仏教的にならざるを得ない。

釈迦によってインドで生まれた仏教が、中国、朝鮮を経て、日本に伝播し、この北陸の風土が仏教風土の世界的北限になっているのが不思議である。親鸞は越後で、道元は越前で、日蓮は佐渡で、その各々の思想を深化させたのは、この北陸の風土であった。

そんな風土に生まれ、そこに育ち、そこに風向を見るものとして、日本の、北陸の、香や色が、風にまとわりついてもしかたがない。

だが、宇宙の真理は一つだと確信する。

2021/02/02