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他人の可能性を私が決めてはいけない

2016.10.05 23:45


本来、可能性は無限大なはず。


なのに、相手の事を思ってきっと大変だろうな。

って思ってやるかやらないかを迷っていた

ホント直前まで。


話は太陽礼拝。


前にも書いたように、私はこの太陽礼拝が嫌いだった


理由は ハードだから。


しかし、先日は太陽の下でやっていた事もあって、やりたくなって


トライしてみたんだけれど。


やさしいヨガ教室に通用するかどうかは、不安があった。


だって、アラウンド母親世代の方たちにやってしまっていいものか、、、


はたして、母世代の方たちに出来るのか。。。。と。


タイトルも「やさしいヨガ」をうたっているだけに、ハードすぎたらダメなんじゃないかと


不安であった。


そして、もう一つ、この太陽礼拝、やるのも大変だけれど、


ガイドするもの結構大変で、そっちの不安もあった。



私が その大変さを知っていたから、変な親御心的な過保護的な気持ちが大きくて、


嫌われたらどうしよう。。。とも思っていた。


でも、、、、


呼吸をたっぷりした後、チャレンジしてみたい!って直感的に思ったの。


そして、初めてだからポーズ中心にフローをお伝えした。


そしたらさ、


結構出来ているわけですよ。


はじめて私がやった時よりも上手なんじゃないか?ってくらい。


私は、感動した。


トライして良かったと。


そして、何よりも良かったのが参加者さんの満足そうな顔でした。




私は、ひとつ この経験から、学びました。



私が相手の可能性の範囲を決めていはいけないんだなって。



そう、可能性は無限大。

こちらがここまでと、決めてはいけないんだね。 

勝手に思い込んでラインを引いてしまったら、

せっかくのチャレンジの気持ちも活かせない。

満足も得られない。

そして、私は、参加者さん一人一人ではないからその人の事はわからないんだ。

無理というのはその人が決めていいんだ。

私はこの太陽礼拝の効果を知っていて

それを体験してもらいたかった。

だから出来ると信じて伝えた。



私が勝手に「できないだろう」「難しいだろう」「つらいだろう」

と考えるのはいいとしても、

トライもせずにチャンスまで奪ってしまっていたら、

それは相手にとってありがた迷惑であり、

私自身に対して忠実ロイヤル(Loyal)じゃなかった。と言う事になる。


そう、私は、やりたい気持ちを伸ばしてあげなきゃいけないんだね。


  




「善」「悪」の話にも通じるものがある。

ためになるか、ならないか 基準で考えると、

チャレンジする事がためになる事(善)で、

その機会を逸することは悪に繋がろうとしていた。。。



だから思い込みをせず、フラットな状態で過ごしたいと思いました。

そして、私がどうしたいか、と言う気持ちもやっぱり大事だな。って。



これってきっと、子育てもそうだし、

きっとパートナーとの関係や家族の関係ともそうなんだろうな。

って思った。




毎回、気付きをありがとうございます。

間違いなく、ヨガが私を成長させています。

ありがとうございます。

これからも精進します。