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新型コロナのパンデミックについて考えたこと

2021.02.03 04:58

この間から「現代棟梁 田中文男」という本を読んでいて、なかなか人生において意味のある言葉が書かれていて面白いと思うのだけど(最近、名言とか、引用とかが実は結構気になって、人生の指標にしようなんて思ったりすることが多い)、この人は棟梁と言いながら、いろいろ建築について研究して「学者棟梁」なんて呼ばれていて、実際早稲田工業高等学校建築家で勉強していて、そうそうたる建築家とのつながりもあったらしい。

氏によると、昔は住んでいるところの山に生えている木や茅など、分量が決まっているわけで、それに合わせて集落の軒数も決まってくるし、順番に「ある資源」を見んんで分け合っていて、たとえば修繕なども順番で行ってうまく回っていたという。

また、家を建てる敷地を選ぶ際も、たとえばマムシを捕まえて皮をむいて投げておくと、そこに蟻が集まってきて、その蟻を見ると木を食べる蟻がいるかどうかわかって、あ、この土地は家を建てるのに向かないなどとわかるのだと。

また、お堂の前には家を建てるなという言い伝えがある地方もあって、なぜならお堂というのはその土地でなにか災害があって、その供養のために建てられる場合がおおいから、なのだそう。

ちょうどコロナで緊急事態宣言があり週2回在宅勤務になったので家でワイドショーを見ていたら、中国に近隣の人が「死の山」と呼ぶ山があり、そこに「バットウーマン」と言われる女性の研究者がコウモリのウイルスをたくさん(数は忘れましたが)採取して、研究所に持ち帰ったそう。そこからウイルスが漏れたのでは、という説もあるらしいのだけど、それなども、「死の山」と近隣の人が呼んでいたのも、きっとその山で何らかのウイルスに感染して死んだ人がいたから、なのだと思うし、その言い伝えを無視して入ったことでウイルスが山の外に出てしまったのだろう。

また、さっきの「集落」ではないけれど、文明が発達する前は「集落」内でいろいろな資源が調達され独立していたのが、いろいろな物資がやり取りされるようになり、「集落」が村になり町になり、今や都市となり、その大きさもどんどん巨大化し、今や物資のやり取りは地球レベルだし、例えば日本でもアメリカでも韓国でもベトナムでも(私が訪ねたことのある国々)、田舎だったら町と町の間に何もない荒地があって、密になりにくい環境があったのに、今や東京から埼玉中部(私は埼玉の中央部といわれる鴻巣市在住)にかけて、高崎線でいくと、ほぼ町と町の境などなくくっ付いていて、まさに「密」。これは、大阪から神戸など、大都市間では同じ状態だろう。そういう場所では人の行き来も常時ある。これではウイルスの伝播を止めるのは難しい。


そういう世の中になり、密で生活することが普通になってしまっている以上、昔の「集落」での暮らしに戻ることはできるはずもなく、ここは一人一人が自覚してウイルスを拡散しない行動をするしかないのではないだろうか。ワクチンが全国民に行き渡るにはまだ少し時間がかかりそう。また、これからも未開の地から未知のウイルスが広まることもあるだろう。ここは自分が「巨大な集落」の住民としての意識をもって、自分だけでなく「集落」の住民すべての命に危険がないように自分の行動を気を付ける意識をもつしかないのではないか、と思う。