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妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.8

2020.10.08 07:54

この企画では、経験者の声、お医者さんの言葉、

妊活や不妊治療にまつわるアレコレを綴ります。


どんな未来が待っているんだろう。

あなたのいろんな未来の可能性を見つけてみてください。




これまでの記事

妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.1

妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.2

妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.3

妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.4

妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.5

妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.6

妊活ダイアログ ワタナベミユキさん Vol.7




うらぎりの子宮8 〜当たり前がありがたくて〜


私が先生に自然と笑顔を向けたのは、おそらく初めてだっただろう。


「よく頑張りました。最短で治せる人中々いないよ。もう大丈夫。」

そう話す先生の雰囲気は、今までと違うように感じた。

あれだけ冷たかったのに、物腰も発する言葉も柔らかくなっている。


もしかしたら、こっちが本当の先生なのかもしれない。

癌を治すことも妊娠することも、簡単な事ではないと誰よりも理解している人だ。

だからこそ、軽々しく希望を持つような言葉や励ましを、今までくれなかったのかもしれない。


私のいつもの、自分に都合の良い解釈かもしれないが、あの先生が安堵している様子を見て、この治療の大変さ改めて実感し、この期間で完治できた事は奇跡なのだと感じた。


今後の検査頻度などが一通り説明され、先生による最後の診療が終わった。


帰り際先生は、

「妊活するんでしょ?今治療が終わって、子宮が綺麗な状態だから、すぐ妊活に入りなさい!ね!」

といつもに増してハキハキした声で私を送り出した。



子宮頸がんの治療にかかった期間は半年強。

改めて見ると、『短い』と思うだろう。


だが私はこの期間、


子供が欲しい・痛い・気持ち悪い・消えたい・やめたい・恨めしい・辛い・頑張りたい・心配されたくない・心配されたい・まだやれる・お金かかるな・ありがとう・変わって欲しい・諦めるか・もう少し・まだやるのか・いつまで……


これよりもっと多くの感情に、常にこねくり回されながら生きていた。

正直、気が休まっていた日なんか1日だってない。


当時は病気とも、そんな感情とも常に戦っていた。

なのでこの時、癌が治り妊活に入れる事はもちろんだが、やっとドス黒い感情に振り回されずに生きていける事が、本当に嬉しかった。


先生の勧め通り、私たちはすぐ妊活に入った。

いよいよだ!ようやくスタートなのだ!これでまた壁にぶち当たったら、潔くまた先生の世話になろう!折角きつい治療で治したのだ、長期戦になっても頑張ろう!


……と、そんな事を考えながら、鼻息荒く始めた妊活。


治療のおかげなのか、タイミングが良かったからなのか、

予想に反し妊活を初めてわずか3ヶ月後に、私は妊娠した。



心底嬉しかった。いや、もはや底からも上からも嬉しさが漏れ出てきていた。

私が『羨ましい』と思いながら見ていた妊婦さん達も、こんな気持だったのだろうか。

私今なら、抱き合って、お腹を撫であって、祝福しあえます!!

と、完全に有頂天になっていた。



妊娠初期からつわりがひどく、毎日ふらふらだったが、お腹の中にいるまだ見ぬ我が子が愛おしくてしょうがなかった。



ある日の会社帰り、少し前まで毎日通院の為に降りていた病院の最寄り駅を、そのまま通過した時、ふと以前の自分を思い出した。


『羨ましい。そっち側になりたい。』

街で、電車で、病院で、SNSで、妊婦さんを見かける度にそんな気持ちになっていた。


今自分は、あの時なりたかった“そっち側”になれたが、今度は別の人が以前の私の様に、今の私を羨んでいたりするのだろうか。


誰でも、どっちの立場になりうる事がある。

そう思うと今の結果は、『本当に運が良かった、奇跡だったんだ。』と思えた。



もしかすると、癌を完治することが出来なかったかもしれない。

妊娠する事ができなかったかもしれない。妊娠しても問題があるこの子宮で、子供を無事に育てられていたかも分からない。


でも言ってしまえば、それらは誰が悪い訳でもなく、突然やってくる“どうにもならない事”だ。


“どうにもならない事”は責める対象も、根底の原因もぼんやりとしていたり、そもそもなかったりもする。

だから対策も取れないし、気持ちのぶつけどころも分からなくて、どんどん精神が参ってしまう。


妊娠・出産は未知に溢れていて、大小はあれど“どうにもならない事”がたくさん待ち構えている出来事だ。

私の癌も、難がある子宮も、ウイルス免疫を持ち合わせていないこの体も、全てどうしようもない事だった。

だが“どうにもならない事”があったからこそ、今お腹に子供がいる、運よく当たり前になったこの状態に、精一杯喜んで心から感謝しなくてはと強く思った。


結果として妊娠して子を授かる事ができたから、『綺麗事だ。』と捉えらそうな、こんな事が言えるのかもしれない。

確かに完治できず、妊娠もできなければ、こんな風に思えていたかは分からない。

でも、どん底の日々で良くも悪くも、全部が当たり前ではないと肌で感じた今、心からそう思えるのだ。



結婚式の1週間前に子宮頸がんが分かった日から、5年が経った。

妊娠していた子は無事に生まれ、今では頭を抱えるぐらい元気な4歳児である。




今回このコラムで私は、『妊活』をスタートさせる為の、手前部分を書かせてもらった。

私は妊娠する為に、一般的な『妊活』を行っていた訳ではないが、

子供が欲しい一心で、ほぼ毎日治療に励んだあの期間も、私にとっては『妊活』の一貫だった。



妊活も、妊娠してからも、そして出産も。

神秘的で不明確で思い通りに行かない事の方が多かった。

『もしあの時、あれをああしていたら……。』などと考えたりするが、どうなっていたなんてのは、全然想像がつかない。

おそらく何回経験しても、分からない事だらけで、ずっと思い通りに行くことなんてないのだろう。



そして私は今、やはり“どうにもならない事”が尽きない、子育てという仕事の真っ最中である。

今後何があるかは分からないが、これから先何度もまた心にモヤがかかったり、折れそうになったりする事だけは見えている。


だから厚かましくも、周りには、「まだまだこれからも私の事を支え続けてください。(一礼)」と懇願する。

無理だと感じたら「ちょっとすみません。」と、堂々と肩を借りるつもり満々である。


申し訳ないがそうさせてもらえると、

この先また、“どうしようもないこと”があっても、心に余裕が出来、“運よく当たり前になった事へのありがたさ”がある事に気づける。

そして『どうにかなるんじゃないかな。』と、少しでも前向きに生きていける気がしているのだ。



(文/ワタナベミユキ)

※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。