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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

啓蒙の光12-ヴォルテールとモンテスキュー

2021.02.04 08:58

1726年、ヴォルテールが渡英した時代はジョージ1世末期だった。イギリスではウォルポールのもとで責任内閣制ができていた。絶対王政のフランスで育ったヴォルテールには何もかも新鮮だっただろう。彼はフランスで知己となっだボリングブルック卿の世話になった。

彼は、イギリスの自由な宗教を見たり、商業の繁栄に驚き、シェークスピア劇やニュートンの葬儀に感動した。イギリスで、彼の自由主義思想はますます確固としていく。そしてこのイギリスを、フランスに紹介しようと、早くから思いついたようだ。それは帰国して「哲学書簡」として結実する。

ところがその前に同じことをやった男がいた。同じ英才シャルル・ド・モンテスキューである。彼はボルドーの貴族出身、実は同じくイエズス会で幼年教育を受けている。イエズス会は、幼年教育に熱心で、修辞学を徹底的に習わされて文章と論理力がついた。

21年、モンテスキューは匿名で「ペルシャ人の手紙」を発刊した。国も文化も違うペルシャ人が語ったという形式を通じて、当時バブルが崩壊して、金計算に踊っていたフランス社会をからかい、キリスト教の三位一体の計算がわからないという。国際的知識がフランスに流れこんだのだ。

下左はヴォルテール右はモンテスキューいかにも頭が良さそうな2人