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スリランカの悪魔祓い

2018.02.04 09:57

http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/1532 【「スリランカの悪魔祓い」から考える】より

 上田紀行著「スリランカの悪魔祓い」(徳間書店)を読んだ。本書で、文化人類学者の上田氏は、スリランカの悪魔祓いの風習のもつ「意味」をフィールドワークによって明らかにしている。

 スリランカの悪魔祓いは、南部の農村地帯で主に行われている民俗医療行為のひとつである。「悪魔」に取り憑かれているとされるのは、一般的な近代医療でも治すことのできなかった人々。それらの人々の心には、いつも「孤独」が巣くっている。悪魔のまなざしは「孤独な人」に常に向けられている。

 悪魔祓いの儀式は、村をあげて、夕方から一晩かけて行われる。呪術師がそれを司り、多くの村人が参加する一大イベントである。

 儀式は、「悪魔へのお供え物」からはじまる。呪術師の進行によって、「患者」の心に巣くっている「悪魔」を外に出すことが試みられる。密教的で不思議な世界がそこにはある。

 続く後半部は、雰囲気はガラリとかわる。それまでおごそかに儀式を進行していた呪術師は、ダンサー兼お笑い役者になる。村全体が参加する、ダンスあり、お笑いありの、いわゆる「演芸会」。お供え物も、村人たち全員に振る舞われる。悪魔祓いの会は、前半部とはうってかわって、「村人たちの社交の場」と化している。患者を取り囲み、談笑がかわされる。そして朝を迎える。

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 一般に「病気」は「個人」に宿るものとされる。だから近代医療、いわゆる病院では、「個人」を対象に「治療」が行われる。「治療」はあくまで「パーソナル」なものである。

 しかし、そんな「治療」にも癒せないものがある。心身症的な「病い」は、典型的にそれに含まれる。

「病い」は「孤独」から生まれる。そして「孤独」とは、ある個人をとりまく「社会的関係」が機能不全に陥っている状況である。そうであるとするならば、その「病い」の改善はいかにして行われるべきか。

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 著者も指摘しているように、「悪魔祓い」で実施されていることは、機能的には、「共同体への再統合」である。別の言い方をすれば、患者を取り巻く「社会的関係」のもつれを解きほぐし、編み直す営みであるとも言える。

 呪術師が外部から介入することで、「患者」と周囲のあいだで失われた「つながり」を回復し、編み直す営みである。

 そして、ここが僕にとっては、大変興味深い。「悪魔祓い」といわゆる「組織開発」の理論の共通点を見いだせるからだ。

 会社や組織において、個人のパフォーマンスと信じられているものの多くは、社会的関係の網の目を通して達成されている。

 いわゆる状況的認知アプローチは、個人還元主義を廃し、個人の知的な振る舞いが、外界にある道具や他者によって支えられていることを明らかにした。

 そうであるとするならば、パフォーマンスの向上のために我々が外部からなしうる介入の「単位」はいかにあるべきか? それは個人なのか、それとも個人をとりまく「つながり」なのか。この問いが、非常に興味深い。

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 本書は、内容は専門的であるが、極めて平易な用語で書かれているので、一般の方にも楽しんでいただけると思う。なお、同書を編集した文庫本もでているようだ。


https://takuyabooksdiary.wordpress.com/2012/09/25/%E3%80%8C%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94%E7%A5%93%E3%81%84%E3%80%8D/ 【「孤独」を治療する合理的な方法ー『スリランカの悪魔祓い』】 より

旅行に行くにあたって読んだスリランカ関連の本の中で、いちばん面白かったものが『スリランカの悪魔祓い』。

スリランカの田舎に伝わる悪魔祓いについて調べるため、若き人類学者であった上田紀行さんがフィールドワークをする。当時でも都市や高地地域での洗練された仏教文化から見ると、この悪魔祓いのような伝統的な風習は軽視されていた。

スリランカの仏教は昔からあったものだけど、今のような形になったのは、近代になってからアナガーリャ・ダルマパーラという人によって立ち上げられた仏教がシンハラ人に大きな影響を与えてからだという。それはキリスト教に対抗するためのナショナリスト的な仏教であった。

悪魔祓いは一見、ただの「出し物」のように思える。けれど病気治療のメカニズムから考えると、とても理にかなっているものだと著者は考えた。病気になった人には悪魔が取り憑いたと考え、その悪魔を呪術師による儀式によって取り払うというのが悪魔祓いの治療法だ。

儀式は一晩かけて行われ、ドラムの音楽あり、踊りあり、最後にはギャグの応酬による笑いもあり、というイベントである。近所の人も招き、飲食物などを振る舞う必要があるので金がかかり、それも悪魔祓いが近年少なくなってきた理由のひとつだそうだ。

こういう治療は非科学的に思えるかもしれない。しかしいわゆる西洋医学の薬も、その効果の3割くらいはプラシーボ効果だという。つまり治療においては心理的な面も無視できない。このことを合理的に利用しているのが悪魔祓いであり、実際多くの人が「治る」のである。

もちろんスリランカには西洋医学の病院もあり、しかも無料だそうだ。西洋医学で治らないときに悪魔祓いの出番となる。病の原因は「孤独」から来る、とスリランカの人は言う。その孤独が悪魔祓いを経て、再び村のコミュニティに戻されるとき、病が癒される。

病の原因となる「孤独」というのは、優劣の比較で考えてしまう左脳的な思考に根源があるのではないか。日本に帰って日本の現実を目の当たりにした著者は、そう考察している。他者より優れているということでしか幸せを感じられない社会がストレスを生み、病気を生む。そこをなんとかしないと、日本の根本的な「憑きもの」は離れない。

海外の文化を自分自身のところまで一本の線を繋げるように考える。そんな著者の態度に共感した本だった。今もこういう風習は残っているのだろうか。スリランカ旅行に向けてひとつ新しい視点が加わった。