第5回目 ミャンマー モンユアへ 2014年8月
ずっと待っていました
1:いつのまにか5回目
気が付けば、日本の兵隊方からの日本への帰還依頼は5回目になっていました。毎年の恒例の行事のようになってきていて、『何となく、このまま、しばらく続ける事になるのだろうな』と思い始めていました。だが、この時点でもタイ王国・ミャンマーであった戦争にまだ興味が湧かず、単純に日本の兵隊の幽霊方と私共家族との間の出来事としか単純に捉えていませんでした。『人助けが出来て嬉しいね』と家族で話すくらいの事でした。そして夏前になると、自然と心の準備をしていました。
しかし、この年から子供の気持ちに変化が現れてきました。子供が妻に『今年は一緒に旅行に行きたい』と話していたようでした。昨年までは、妻の実家で親類の子供たちや隣人の子供たちと遊ぶ事がとても楽しく、タイ王国に私が行っても姿も見せないくらいにずっと現地の子供達と一緒に過ごしていましたが、『何かあったのか?』と思い、子供に理由を聞くが『面白くない』と答えるだけでした。なので、今回の子供の心変わりには、きっと特別な理由があるのだろうと思い始めていました。すると妻がこっそり教えてくれました。子供が一緒に行くと言い出したのは、もし両親が旅行先で死んだら、一人になるから嫌だという事から一緒に行くと言っているようでした。私はそんなことを考える子供に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。そういう事を考えるようになる我々の行動にも問題があるように思いました。確かにしている事は良い事だと思いますが、子供に心配をかけさせては良くないなと思い、費用的には少々かかりますが、親子3人で日本の兵隊の帰還依頼を全うしようとこの年は決めました。そうすれば、子供も我々の海外での動きを知る事になり、安心と理解に繋がるのではないかと思ったからです。
2:日本の兵隊方からの依頼と懐かしい思念
2014年の5月、“タナカ”と名乗る兵隊から、ミャンマーから日本への帰還依頼の連絡が来ました。『場所はどこか?』と聞くと、頭の中に映像だけが送られてきました。地名については語らず、映像のみ・・・。どうすればいいかわからなかったが、今年は、霊媒者Sさんのお手伝いがあった昨年とは違い、私が日本の兵隊方が待っている場所を見つけないといけない事になりました。自信は全く無かったが、インターネットで頭の中の映像を調べ始めました。
気が付けば、『あっ!』と思うような写真を見つける事が出来ました。どのように調べたのかは、ほとんど覚えていません。ミャンマーなら何処にでもあるような風景でした。気が付くと、いつの間にか、私の意識がその写真に写る場所の背後に私が立っていて、その風景を眺めていました。観光客の姿も見え、きっと有名な場所であることは間違いないなと思っていました。その反応した写真の場所がどのような場所なのかをインターネットで探すのは至難の業のように思いました。すると、ある特徴的な場所で、私が立たされている場所の背後に、直立不動の大きな仏陀像がある事がわかりました。その時の集中力の高まりと言うか精神状態はいつもと違う感覚に満ちていて、『スッ』と場所を無意識の中で特定出来たような感じでした。そして、その後、この写真がポイントになるだろうと思い、妻のスマートフォンに写真を送り、共有する事にしました。しかし、送った当時は、妻は何も返事をしてきませんでした。
3:行先は何処にするの?
妻との話し合いが始まりました。“タナカ”さん(今回、帰還依頼に来た日本の兵隊さん)は何処に迎えに来て欲しいのだろうか?と考え始めた瞬間、間髪を入れず、『マンダレーに行って、そこからサガイン(川を渡った反対側の街)に行こう』と私は提案をしていました。妻は、直ぐに納得しました。妻も同じ事を考えていたらしい。理由は以前(3回目の帰還依頼に行った際:ミャンマーのマンダレー)にサガイン方面から日本の兵隊方が呼ぶ思念を受け取っていながら、行けなかった事にありました。あの強い存在感が忘れられなかった事とその思いが、今回の“タナカ”さんと重なり、意識の何処かで繋がり、“タナカ”さんこそが、2012年に私に来て欲しいと呼んでいたサガイン方面からの思いの主だなと感じました。
今回は子供も一緒に行くという事で予算的にも絞り込む必要もあり、それ以上に旅行会社を通しての個人旅行でも、行動上都合が良くないように思いました。妻はインターネットでタイ人の間で評判の良い現地ガイドを調べ始めました。すると一人のミャンマー人ガイドが浮上してきました。さっそく彼にメールを送るとすぐに返事が返ってきたようでした。まずは現地でどういった旅行をしたいのかと聞いてきました。我々は、現地では観光ルートはそれほど重要視しておらず、運転が出来て、タイ語が話せれば良いと答えました。すると、ミャンマー人ガイドは彼の息子を紹介しました。息子はタイ王国との国境で何年か仕事をしていたことがあり、タイ語が少し話せるようでした。妻は、3日間、彼の息子さんにドライバーとしての仕事を依頼しました。後は宿泊するホテルの話でしたが、行動の基地となるサガインには2軒のホテルがあると紹介され、その内の1軒に何も考えず決めてしまいました。こうやって全てを決めてミャンマー・サガインへの旅の計画を立てていきました。
そんな折、妻の友人が叔母と共にヤンゴン市内まで御一緒したいという事になりました。旅は道連れで知らない人ではなかったので、私は『全然、構わないよ』ということでヤンゴンまで御一緒する事になりました。
4:今までとは違う顔ぶれでミャンマーへ向かう
妻と子供はこの年も夏休みが始まると先にタイ王国チェンマイへ向かいました。私は例年通り、盆前までは仕事を黙々とこなし、タイ王国チェンマイで後日、合流しました。今年は子供も一緒に行くという事で少し緊張感を持っていましたが、妻の友人とその叔母が同行するという事でその分だけ安心感がありました。
今回はタイ王国チェンマイからスタートし、バンコク経由でミャンマー・ヤンゴンへ行くルートを選択しました。チェンマイ空港から5人揃って旅立ち、その日の夜にヤンゴン空港へ到着しました。初めてガイドのいないミャンマーでの旅という事で、心に余裕が無く、空港から出た景色が今まで来たものとは全く違うものに見えました。過去2回来た事があるとは言え、その経験が何の役にも立たず、ただただ不安を感じました。各々が荷物を持ってタクシー乗り場に向かう。空港の外は多くの客引きがいて、不安を一層煽りました。その中でリーダー性を発揮したのはやはり妻でした。タクシー運転手と値段の交渉をしながら、相場を探り始めました。なんだか私はすっかり子供と同じくらい大人しくなり、妻の後ろをついて行くだけでした。妻が2台のタクシーを手配し、予約しておいたホテルの住所を運転手に伝えました。ギラギラした目の運転手は笑顔でわかったと答え、たいそうですが、何とも複雑な気持ちで命運をドライバーに任せました。
ヤンゴン空港からホテルまでは30分もかからない内に到着しました。料金を支払い、これがミャンマーでの初めてのタクシー価格の相場感を知る機会となりました。ホテルは妻任せにしていたので、良いとか悪いとか言えませんが、今まで旅行会社にお願いしていたホテルとは月とスッポンくらいにグレードが下がったように感じました。フロントではミャンマー人が優しく話してくれるが、声と目に勢いがあるので何だかおっかないようにも見えました。ホテルスタッフが部屋に案内してくれ、チップを手渡しました。部屋に入ると綺麗ではあるが、何と言うか部屋が狭く感じました。3人だから余計にそう思うのかもしれません。しかし、妻は日本にいた時にホテルのサイトで見た部屋の大きさじゃないとフロントにクレームを言いに行くと、次の日はとても大きな部屋に変更してくれました。熱湯もよく出るし、エアコンがあるし、リフォーム仕立てで清潔感はありましたが、ただ工事の仕上げがあまりよろしくなく、折角の新品に近い部屋の質を下げているように思えました。だが、決して悪くもなく良い方だなと個人的には思いました。子供はこれが初めてのミャンマーなのでそんな事は気にせずただただ、はしゃいでいました。
5:バラミー寺院訪問
7時過ぎに起床し、ホテルでの朝食を摂る為、別の階へ皆で向かいました。あまり期待はしていなかったのですが、思った以上に立派な料理がたくさん並んでいて、嬉しくなりました。味も美味しく、思った以上に食が進みました。宿泊客に日本人も多数見られ、日本語が聞こえてきました。何だか異国の地で日本語を聞くと嬉しいものである。お昼はどこで食事に有り付けるかわからないので食い溜めを心掛けました。また、食事中に気付いた事があります。それは私以外全員がタイ語で会話をしているという事でした。なんとなく、他の日本人宿泊客と共に食事をしたい気分になりました。私達のグループの内2名が家族とは言え、何となく寂しく気がしました。
ホテルからタクシーを拾い、最初にシュエダゴンパゴダに向かいました。私と子供以外は皆、仏教徒でしたので、此処に来ることが目的で妻の友人と叔母は一緒に来たようなものでした。3人は仏教徒らしい正装をして、お供え用の献花を買っていました。私と子供もそれなりの服装をし、5人揃ってシュエダゴンパゴダに到着しました。妻と友人、友人の叔母は“タンブン(お布施)”と手を合わせ何かを祈っているようでした。私もサガインで無事に日本の兵隊方と合流し、日本への帰還が無事出来るように、ミャンマーの土地神様にその許可を頂けるようにお願いをしました。
その後もヤンゴン市内にある仏跡を辿る巡礼のような行動となりました。仏教徒である妻とその友人、友人の叔母は当然の如く、観光というよりはそのような場所でお布施をしてお釈迦様に手を合すというのが自然の動きとなっていきました。
そして、ミャンマーでいつもお世話になっているバラミー寺院にも5人で伺う事になりました。過去2回来た際は夫婦だけの訪問でしたが、今回は初めて子供を連れて行くのでバラミー寺院ご住職の反応が楽しみでした。寺院に着き、お坊様に我々が来た事を伝えると、今回もお寺の最上階にあるご住職の寝室に招かれました。昨年(2013年)は訪れる事が出来なかったので2年ぶりの再会となりました。今回の旅の事をご住職にご報告させて頂き、子供を紹介させて頂きました。ご住職は笑顔で子供を受け入れてくれ、優しく接してくれました。どちらかというと、うちの子供の反応・表情の方が面白く、かなり緊張し、顔がこわばっているのがわかりました。子供にとっては、貴重な体験をしていて当然の反応でした。昼食を摂っていなかった我々にご住職が食事を用意して下さり、そのまま、また長居する事になりました。ご住職の計らいにはいつも感謝する事しか出来なかった。このような時は、仏教徒である妻は話が尽きる事が無く、妻が延々とご住職と話をしていて、『いったい何を話しているのだろうか?』と思うくらいでした。ご住職も妻の信仰心と真摯な姿勢がとても気に入っているようでした。
いつもミャンマーで優しく迎えて下さるバラミー寺院ご住職
ご住職との再会の時間を楽しんだ後、また サガインでの合流が成功したら、再び立ち寄る旨をお伝えし、バラミー寺院を後にしました。一度、ホテルに戻り、休んだ後、今度は夜のシュエダゴンパゴダに行く事になりました。日中のシュエダゴンパゴダと夜のシュエダゴンパゴダは妻にとっては何か違いがあり意味があるようで、とても幸せそうにお釈迦様に近づけるような思いを抱いているような表情をしていました。妻の友人や叔母も同じような気持ちを持っているようで、一日に2回行く事に面倒な気持ちはなく、むしろ、嬉しい出来事のようでした。私と子供は、それに従い、ついていく他選択枝がありませんでした。
ホテルに戻り、夕飯を摂る為、ホテルスタッフに紹介されたレストランに向かいました。すると、ブッフェがあり、その中に日本食もあったのでそこで食事をする事になりました。味は期待が過ぎると駄目だが、美味しく頂けるかどうかのラインで食べると、そこそこ美味しく感じられました。次の日から我々家族は、日本の兵隊方と合流する為、国内線にてマンダレーに飛行機移動となる。ヤンゴンに再び戻ってきた時はこのホテルまで同行しているタイ人2名とまた会う事になります。彼女たちは次の日からはミャンマー国内ツアーを予約していて、ゴールデンロックなど見て回るようでした。
6:日本の兵隊の思念を感じる方向サガインへ
朝早く起き、ホテルスタッフに国内線までのタクシーを手配してもらいました。国際線と国内線では空港の印象が違い、よりミャンマーという国に入り込んでいくような緊張感を持ちました。今回はガイドが居ないので、聞き違いがないか、不備はないか、といろいろ心配していましたが、妻が全て交渉をしてくれました。妻は元々旅行については慣れていて、大学で観光学の講師をしていました。ですので、旅においては、妻に全て任せていました。恥ずかしながら、何処に行っても、商売関係の人たちは私よりも妻に話しかけています。何となしにリーダーが誰であるかわかるのだろうと思います。日本の兵隊方からの帰還依頼が始まったのも、元を辿れば妻からでした。2010年7月を契機に私にも連絡が来始め、気が付けば、日本人である私に帰還依頼が直接来るようになりました。もちろん、年によっては、私の多忙さ加減によって妻に日本の兵隊方が連絡を取ることもありました。
ヤンゴン空港を出発する時は雨が降っていました。国内線の飛行機に乗り、あっという間にマンダレー空港へ到着しました。空港には我々の名前を書いた紙を持った一人の若いミャンマー人男性がいました。彼がタイ語を話せる運転手でこれから3日間お付き合いしてもらう事になる男でした。所謂、ミャンマー人のイケメンで、なかなかの男前でした。早速、荷物を車に乗せ、サガイン市内のホテルに向かいました。空港からサガインまでは1時間半程でした。サガインのホテルに到着すると、外装がとても綺麗で最近造られたであろうホテルのように見えました。ホテル前に着くと車から下りず、一日の値段の話やこれからの観光地ルートについて話し始めました。タイ語しか共通言語がなく、全て妻と会話していたので、私は会話内容を把握出来ず、ホテルスタッフが車の外で立ち、待ち続けているのが気になりました。私がこのドライバーなら、窓を開けて、『悪いが少し待ってくれ』くらいは声を掛けるのだが、彼はホテルスタッフに対し、意を介さないような態度をとっていました。何だか日本で言う舐められないような態度を最初に見せておくか的な雰囲気を醸し出しているように思えました。それにしても、ホテルスタッフ側の人間は全て笑顔でホスピタリティーに富んだ人柄が表情に滲み出ていて、その反面、この運転手大丈夫かと心配になりました。
妻との話が終わると、荷物を降ろし、部屋に案内されました。ホテルロビーも綺麗でミャンマー人オーナーが経営するホテルのようでした。部屋に案内される際、ホテル内を見回していくのですが、高級ホテルでもなく、ヤンゴン市内で滞在していたような普通のホテルでもない魅力的な雰囲気を持ったホテルですごく気に入りました。部屋に入ると、子供が嬉しそうに『ここのホテル好きやわ』と言うので、やはり子供は正直だなと思いました。部屋はとても清潔で余裕が感じられる空間が何となく気にいりました。朝食スペースも見せて頂き、とてもお洒落な感じで食が進みそうな場所でした。日本に居る時、サガイン市の中にはホテルが2軒しかないと聞いて、どんな田舎ホテルかなと心配していましたが、ホテルスタッフの人柄も良く、このホテルが1番好きになりました。さて、軽くシャワーを浴びて、待たせてある車に乗り込み、サガインでの観光案内をしてもらう事にしました。
サガインの見晴らしの良い山の上にあるお寺に連れて行ってもらい、お寺の前で降りました。運転手は車の中から指し示すだけで降りてくる気配がない。きっと俺はドライバーだから、ガイドのような観光案内はしないという意味だとわかりました。我々としてはもう少し丁寧な説明が欲しかったが、妻は、足取りの重い私をグイグイと引っ張ってくれました。このような彼の態度を全くもって意に介さないで、その場を楽しむのは妻の十八番でした。妻の良いところであり、私が敵わない部分でもありました。
サガインの山の上に立つお寺からの眺望はサガイン市と川を挟んだ反対側のマンダレー市まで見え、最高でした。天気も良く、青空が広がり、日本のそれと比べると大気も透明度があり、遠い所まで見渡す事が出来ました。しばし時を忘れ、景色を楽しみました。お寺では、ミャンマー語はわかりませんが、お寺の本堂のような場所に行き、妻がお布施をしていました。表現が間違っているかもしれませんが、本当にタイ人はお布施(タンブン)が好きだなと思いました。日本で言う浄銭と一緒なのかもしれないが、その頻度が多いなと思いました。そうかと言って、大きな金額のお金をお布施するわけでありません。そんな事をしていたら、我が家が破産してしまいますので、あくまで小額です。
次に山の峰に沿って車を走らせ、今度は大きな仏陀像が座るお寺に到着しました。此処はどうやら観光地のようで、霊験あらたかなお寺としても有名なようで仏陀像の周囲からはイラワジ川も一望する事が出来ました。多くの人々が仏陀像の周囲をぐるぐる回りながら、各々の位置からの眺望を楽しんでいるようでした。妻はそこで座っている仏陀像の前にお供えものをしていました。『ここでもか・・・』と思いながら、妻の好きなようにさせてあげる事にしました。ちょっとした一言で旅の雰囲気が変わってしまいますし、妻は仏教徒。私は宗教には興味ないですが、妻の生き方は尊重すべきだと思いました。
ちょっと昼食が遅くなりましたが、この後はサガイン市内で運転手がよく行くお薦めの食堂に行きました。『この辺りではここが一番美味しい』と彼が言うように確かに種類も多く、目で見て陳列ケースの中にある惣菜を選ぶ方式で料理を選び、それを皿に盛ってくれてテーブルに並べてもらいました。好き嫌いの多い私でしたが、ここでの料理は非常に美味しく、どれも食べる事が出来ました。言葉にするのは難しいですが、料理の中に気遣いと優しい心を感じ、味付けも濃くもなく薄くも無い丁度いい塩梅の京都料理を連想されるような味付けでした。この時点で私はサガインで食べ物に困ることは無いと自信を持ちました。この後、いろいろな観光名所を訪れました。藪が茂った舗装されていない狭い道をあちらこちらと移動するので方向感覚が追い付かなくなり、途中から運転手を信頼し、警戒心が薄れていきました。今回は子供を連れているので、やはり親としてはそのような感覚を怠れない部分が有りましたので、少し注意してドライバーを見ていました。
そんな中、割かし新しい時代の歴史的建造物で見回りの塔(Watch Tower)に観光ルートの一つとしてやってきました。そこには露店が並んでいて、骨董品が売られていました。テーブルの上に並べられた売り物の中に日本のコインがありました。偽物だとは思いながらも、なんとなくそれに興味を示し、店主に値段を聞いてみた。そこから少し値交渉をしてみました。普段なら、そんなに欲しいと思わないコインにいつのまにか執着してしまった自分がいました。結局、コインの価値がわからないまま、その1枚を手に入れてしまいました。戦時中、こんなコインが使われておらず、軍票が使用されていたと思いながらも、その偽物であろうコインを手に入れたことが非常に嬉しかった。私はそのコインを大事に財布に入れました。
こうしてサガインでの初日が終わり、ホテルに戻りました。ホテルの前で『明日は何処に行きたいんだ?』と運転手が話し掛けてきました。妻は私に『何処に行けばいいの?』と聞いてきました。私は不意に日本で日本の兵隊方が伝えてきた頭の中の映像の場所の話を始めようとしました。その時、運転手が観光用の写真付きノートを開きました。すると、見開いたページに私が日本で見た映像の写真がそのままあり、『ここだ!』と瞬間的に答えると、運転手は非常に驚いていました。『ここはサガインからだと2-3時間はかかるよ。それに今日の値段じゃ行けない。100ドルはかかるよ』と言ってきました。妻もすぐに反応し、『じゃ、その値段でOKよ。明日は何時に迎えに来てくれるの?』と聞くと、運転手は『遠いから出発は早い方が良い。8時にはここを出たい』と言い出しました。『じゃ、ホテルの前で8時に集合ね。明日もよろしくね』と言って、あっという間に話がまとまりました。こういう時のこの感覚というのは間違いなく、自分たちの会話に対して何かの力が働いたと思える瞬間でした。独特の瞬間と空気感を経験された方なら、きっと感覚的に御理解して頂けると思います。
ホテルに戻り、部屋でゆっくりとしていました。飛行機移動というのは、ただ乗るだけの移動に感じるが、結構、疲れが出て、その日は早々に寝床に就き、明日の遠出に備えました。が、そこがどのような場所なのかさっぱり分からず、ただただ日本で見た映像と同じ場所が有り、そこに行く事が出来るという現実に、驚くとともに、今、起きている流れにだけに身を任せるしかないと思いました。合流地点としての下調べは無く、どのような場所かも分からないまま、果てして無事、本当に行くことができるのか。 不安と興奮が入り混じったような気持ちで明日の場所に向かう心の準備を整えました。
7:モンユアへ導かれる 『ずっと待っていました』
早めに起き朝食を摂りました。出てくる食事も上品さが感じられ、やはり美味しかった。雰囲気で、使われているお皿も綺麗にされているのがわかりますし、調味料の入れ物も綺麗にされていて、全てが安心して食事を摂る事が出来ました。
準備が出来、ホテルロビーに下りると、運転手が待っていました。イケメンで身形はしっかりとしているのですが、何と言うか太々しさが相変わらず態度に出ていました。妻は運転手の態度に対し、意に介さず、相変わらず、自分のペースでズケズケと話かけていました。そして、子供は何か彼のそんな態度に共感できる部分があったのか徐々に彼との距離感を縮めていきました。車は走り出し、見慣れない風景を最初は見て楽しんでいたが、直ぐに飽きて、家族全員がうとうとしていました。途中、休憩をした際に何故か子供が助手席に座り、運転手との交流を始めました。運転手も徐々に私の子供と打ち解けていき、緊張感が解けていくのがわかりました。(ファインプレーだったかもしれない子供:雰囲気を徐々に和やかにしていった息子とドライバーの仲。とても重要だったと思います)
3時間程、車は走り続け、景色が随分と変わり始めました。外を見ると、荒野の中に間隔を置いて木が立っていました。土肌は見えていたので、なんとなく目的地が近い事もわかり、標識に英語で地名が表示してあったので、モンユア市内に着いているのだろうという事もわかりました。車でうたた寝をしていた子供も目を覚まし、窓から外を見始めました。すると誰かが突然、私の心の中に直接、話しかけてきました。『こちらの道を使うと近道です』といった内容でした。しかし、ミャンマー語は話せないですし、仮にそれを説明出来たとしても、その近道を走るのは、この乗用車では危険だろうと考え、何も言わず黙っていました。
すると、やっと今日初めての観光スポットで運転手が車を止めました。車を降りると、また、声が聞こえてきました。『ここではないです。あちらです』と気が付けば私はあらぬ方向を指さしていました。そして運転手が連れてきてくれた観光スポットとは違う方向に歩き始めようとするのです。私は『ちょっと、待って。小便もしたいし、必ず行くから待ってくれないか!君の言う所に行く為にここに来たのだから、後で行かないなんて事はないから!』と言うと、彼の思念はそこで止まり、普段の私に戻りました。早速、急いでトイレに行き、その後は、ドライバーが紹介してくれた観光スポットに行ってみました。そこには見晴らしの良い塔があり、ここら一帯の眺望を楽しめる場所でした。最上階まで登り、ある方向を見た時に日本で見ていた場所が目の前にあるのがわかりました。思わず興奮してしまい、妻にその事実を伝えましたが、その驚いた内容をうまく伝えられず、一人で『凄い凄い』と唸っていました。今回、私に連絡をしてきた日本の兵隊の亡くなった場所もおおよそわかりました。が、彼が私を呼んでいる場所は別のようでした。そこで少し景色を楽しんだ後、車に戻ると、私は車に乗り込まず、その先の道を徒歩で案内し始めました。運転手も驚き、『何が起こっているんだ』と少し萎縮しているように見えました。事が普通でないことは感覚に運転手もわかったのだと思います。妻が私に『彼がちゃんと連れて行くから、車に乗って』と言って、車の中に押し込まれました。私は私である事は十分にわかっているのですが、日本の兵隊が焦り、私の身体を使いコミュニケーションを図ろうとしていることがよくわかりました。私の意識は正常であるにも関わらず、私の身体に入り、日本の兵隊が身体を使い、彼らが待っている場所に進もうとする強引な現象に少々戸惑いを感じながら、それでも彼と私のコミュニケーションが成り立ち、彼を含めた日本の兵隊方が待っている場所に私が辿り着ければ、それで問題は無いと思いました。
次に運転手が涅槃像の前で車を停めました。観光として涅槃像の中に入れるというので早速、妻と子供が車から降りたのですが、日本の兵隊が、『ここじゃない。もっと向こうだ!』と言い始め、それを妻に言うと、妻が運転手に『向こう側には何かあるの?あっちに行きたいと言っているみたい』とドライバーに話しました。ドライバーは、話の流れは掴めていないが、『あちらもある。じゃ、向こうに行こう』と急に協力的になりました。一旦、下りた車に再度乗り込み、子供もあまり状況が掴めていない表情で何がなんだかわからない状態で後部座席に再び座りました。車は再び走り出し、指示した場所の手前の駐車場に到着しました。すると、私は直ぐに車から降りて、ある方向に向かって歩き始めました。目の前を見上げると大きな仏陀像が立っていました。すると日本の兵隊が力強く話し掛けてきました。『我々はずっとずっとあなたが来るのを待っていました。早く来て下さい。向こうに皆います』集まった日本の兵隊全員の積年の帰還への思いが私の心の中にどっと流れ込んできました。気が付けば、『ごめん。遅くなってごめん。本当に申し訳ない』と何度も何度も言葉にしながら、引っ張られる方向へ歩いて行きました。立仏陀の前に来た時に涙が溢れて止まりませんでした。やっと皆を迎えに来る事が出来たと思っている自分がいました。これがおそらく初めてインパール作戦で亡くなった日本の兵隊を家族のように思ってしまった瞬間でした。何の縁なのか、60年以上も前に亡くなった日本の兵隊方が我が家に連絡を取り始め、こんなにも嬉しい再会のような気持になれるのは理解し難いが、私は嬉しくてたまりませんでした。本当にここで彼ら日本の兵隊の皆さんと会えた事が私には嬉しかった。
私が涙を流していると、妻と子供が追いついてきました。『ここで皆待っていたよ』妻も『良かったね~』としみじみ声に出していました。彼らと会えたのは妻の手配・段取りのおかげでした。日本の兵隊方に代わって妻に御礼を言いました。日本の兵隊方の帰還の為にこんなに手を貸してくれる妻は他にはいないなと思います。改めて感謝の意を表したいと思います。
立仏陀の前には献花台があったのでそこにペットボトルの水、ごはん、お菓子、お花、現地で用意したもの、日本から持ってきたもの全てを目の前に並べました。これも妻が用意したものでした。私はそっと座り、手を合わせ、彼らに『どうぞ食べてください。お腹が減ったでしょう』と労いました。暫くして、妻はその時、私の上空の写真を撮りました。すると大きな球体が昇っていくのが撮影されました。ひょっとしたら私達が迎えに来たという事実だけで満足し、天に昇っていった人達かもしれません。無事に日本の兵隊方との待ち合わせ場所で合流が出来、嬉しさでいっぱいになりました。これで日本の兵隊の皆さんと帰還が可能となりました。皆で手を挙げて万歳をしたい気分でした。
思えば、ここに辿り着くまで、綿密な計画を立てず、来ました。サガイン方面に行くことと、日本で頭の中に残った風景の場所とネットで検索した写真のみが、今回の日本の兵隊方との合流に辿り着く為のヒントでした。本当にこんな計画性と情報でよくここまで来れたなと自分の行動力について振り返ることとなりました。今考えると、ほんとにすごい賭けだったなと思います。とにかく、無事、今回も合流が出来て良かった。
私の目的はやはりここまでで、あとはどうでもよくなりました。観光はどうでもよく、早く日本の兵隊の皆さんと共に日本に帰りたいだけでしたが、そう言う訳にもいかず、この素晴らしい立仏陀の中に入ったり、中の仏像に手を合わせ、この地で日本の兵隊の皆さんと会えた事、そして共に日本への帰還が可能になった事への御礼を述べました。本当にミャンマーの土地神々様、そして目に見えない存在、あの世の配剤に対し有り難うという気持ちで頭を下げました。
立仏陀から車に戻ってくると、運転手が待っていてくれていました。彼には何が起こったのか、きっとわからなかったと思います。ここまで連れてきてくれた運転手にも感謝しました。車に全員乗り込むと来た道を下りはじめ、この付近で一番美味しいと言われているレストランに連れて行ってくれました。大仕事が終わると、急にお腹が減ってきました。席に着くと、テーブルもその上に並ぶ調味料も綺麗でした。このレストランに連れてきてくれた事で運転手が好きなレストランの条件の一つがわかったような気がしました。もちろん、仕事としてお客さんを良いレストランに連れて行かないといけませんが、彼の場合、自分の好みで大きく左右されているように感じました。料理が卓上に並びましたが、ミャンマーの郷土料理のようで、絶対に食べる事は出来ないと思いましたが、並ぶ料理は全てきっと上品な料理なのであろうという事だけはわかりました。私は白いご飯とミャンマーカレーと鶏の唐揚げを頂きました。妻は出された見慣れない料理を美味しそうにたくさん食べ始めました。『全部美味しいです。タイの田舎料理と同じだわ』と満面の笑顔で黙々と食事を楽しんでいるのを見て、今回の功労賞は妻かなと感じました。飛行機の予約、ドライバー探し、宿の手配など、旅の手配がとても大変だったと思います。
この後は現地の有名なお寺を訪れ、そこで少し余った時間を費やし、帰る事になりました。暫くすると、この時期のこの周辺は西瓜の収穫時期のようで、とても美味しそうな西瓜が道端の露店に並べられていました。我々は『あの西瓜を皆で食べてみましょうよ!』という事になり、車を道路脇に停め、西瓜売りの現地の人々に声を掛けました。すると、試食出来るように、西瓜をカットしてくれました。中は赤色ではなく黄色だったので、なんだかレモン味のかき氷を連想させ、いつも以上に美味しそうに見えました。早速、私も試食させてもらったところ、新鮮で甘くて最高に美味しく感じました。普段、西瓜を食べない私でさえ、数切れをペロリと平らげました。戦時中もこの西瓜はあったのだろうか?だとしたら、結構、美味しい果物にありつけていたのではないかと思うのでした。そして、妻は、果物には目がなく、試食のレベルを超えるかのような食べ振りでした。試食でお腹一杯になりましたが、それでは申し訳ないので、西瓜を買って帰り、滞在先のホテルスタッフへのお土産としました。ホテルの朝食としてテーブルに並べば、ホテルスタッフのみならず、ホテル宿泊客の皆さんとも、このミャンマーの西瓜の味をシェアできれば幸いだとも思いました。
ホテルに到着し、明日の最終日はミングンという場所を観光し、マンダレー空港に向かう事に決まりました。ホテルに戻った私達はシャワーを浴び、ゆっくりと寛いでいましたが肩の荷が下りせいか、妙にお腹が減り、ホテルで何か食べる事が出来ないか調べると、いろいろと注文出来そうなので、フロントに電話をし、焼き飯などを頼みました。すると、その料理が、運転手に連れられて行ったレストランから届けられている事を知りました。ホテルからも信頼されているレストランだったのだなと改めてあのレストランの質の高さを認識しました。
サガインホテルのスタッフのホスピタリティーはベスト1でした。
翌朝、昨日より少し遅めの朝食を摂り、車に乗り込んだ。荷物も車に乗せ、観光の後はそのままマンダレー空港に向かい、夕方の便でヤンゴンに戻るという予定でした。まずはミングンという場所に向かいました。車はイラワジ川沿いを走り始め、景色を楽しんでいました。戦時中、多くの日本の兵隊方がこの風景を見ていたのかと思うと感慨深いものがありました。今のミャンマーの景色と当時の景色はどれだけの相違があるのかわかりませんが、現在の日本のように大きな高層ビルや住宅街があるわけでもなく、川沿いの家屋はまだ木造で立派な建物とは言い難いものでしたので、景色的にはそれほど変わりが無かったように思えました。そうだとすれば、街の中心地とは逆方向を見たときの景色は戦時中と同じだったのではないかと思いました。ミングンの観光スポットであるお寺跡の高い場所へ登った時、此処にもまた素晴らしい眺望がありました。高い場所に上り素晴らしい景色を見る度に、私達家族に日本の兵隊方が当時のビルマの姿を見せたかったのではないかと勝手に想像しました。
この後、マンダレー市内のデパートに行き、買い物をして空港へ向かいました。お世話になったイケメンドライバーにお金を支払い、一日分、余分にチップを渡しました。彼は当惑した表情を浮かべていましたが、何か少し味気無い別れとなりました。しかし、彼の心の中に少し変化があったようにも見えました。
初めての個人手配でのミャンマー国内線移動でしたが、帰りは堂々としていました。度胸が少しついたというか、ミャンマーという国をツアーではなく、個人で動く事によって少し勝手を知る事が出来たからかもしれません。
この後は無事ヤンゴン空港へ到着し、タクシーに乗り、先日宿泊していたホテルに戻る事が出来ました。そこで妻の友人達と再会し、双方のこの3日間の出来事を楽しく語り合っているようでした。 最終日、再度ヤンゴン市内を回り、市場で買い物をしてタイ王国チェンマイへ戻りました。その数日後、我々家族は日本へ帰国の途につきました。
今回は、前回と違い、相談する霊媒者がいない中での、ミャンマー訪問で、非常に自信が無かったですが、無事、合流した日本の兵隊方の誘導があって、彼らの帰還依頼を完遂出来ることが出来ました。次回の依頼もあるだろうけれど、今回の経験が活かせればと思います。とは言え、どこまでこんな我々が彼らの帰還依頼を受け続けられるのかは、相変わらず、自信が無いですが。