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株式会社 陽雄

論語読みの論語知らず【第77回】 「先進の礼楽におけるは」

2021.02.05 08:00

私が生まれたのは北海道札幌市だ。小学、中学、高校までは札幌で教育を受けた。ところが、振り返ってみるとアイヌ文化や民族についてはそれほど学習の機会を与えてもらった記憶はない。学校の社会科や日本史で習ったことで覚えているのは、かつて「明治政府」が和人(本州からの日本人)の北海道への移民増加から、アイヌが「活路」を失っているので、「救済」することを国家の義務として、明治32年に「北海道旧土人法」を公布したこと。ただし、その実態はアイヌの独特の文化や先住の権利を保護するというよりも、その生業や文化などを抑圧して日本文化への吸収をはかる性質がつよかった。


もうひとつは、松前藩が交易などを巡りアイヌへ過酷な扱いをし、業を煮やしてアイヌが立ち上がった「シャクシャインの蜂起」(1669年)。シャクシャインはシブチャリ(現・静内町)一体のアイヌの首長であり、当初こそ快進撃を続けたが、松前藩は戦いを和睦すると偽ってシャクシャインを呼び出して謀殺、シャクシャインの根城でもあったシシブチャリ砦を焼いてしまったことで鎮圧している。なお、松前藩はシャクシャインが蜂起した段階では、藩全体で火縄銃など16丁程度の保有で火力と兵力が著しく劣勢で、あわてて幕府や他藩に援軍を頼み、弘前、盛岡、秋田などの藩から増援をもらってどうにか戦う格好をつけた。要は普段は威張り散らしていたわりに、いざ有事となると武士らしからぬグダグダぶりを見せつけている。学校教育で習ったことで記憶にあるのはこのくらいで、アイヌがどのような文化を持っているかについては座学や現地学習などほとんどなかったと思う(現在の教育事情は知らない)。


アイヌの文化について改めて興味を持ったのは大人になってからだ。知里幸恵の「アイヌ神謡集」(岩波文庫)などを読むことで、その物語や世界観は知っていたが、アイヌの人たちがどのような生活様式を持ち、どのような文化を継承してきたのか長らく知りたいと思っていた。そんな折、昨年オープンした北海道は白老町にあるウポポイ(国立アイヌ民族博物館)を訪れる機会があった。メインの大きな博物館では「ことば」「世界」「くらし」「歴史」「しごと」「交流」の6つのテーマでアイヌ民族を紹介している。興味を惹かれる展示が多いにある一方で、その展示の方法も内容もまだまだ発展途上だなというのが正直な感想だった。一番難しいのは歴史の展示の仕方であり、ウポポイは「民族共生象徴空間」とも銘打っていることから、かつて和人(松前藩)、明治政府がアイヌをどのように扱ったかについてどこまで掘り下げるべきか、展示を行う内部でもまだ議論が割れているのではないかと感じさせる。たとえば、展示の説明文の箇所箇所で「明治政府」が主語になるが、このことによって現代の日本政府とは違うとの線引きを醸し出したい意図があるのか、苦しいところだなと思わせるものが結構あるのだ。なお、私はこの主語を単純に日本政府に変えることで解決するとは思ってない。共生という単語を掘り下げていくとどうしても根っこにあった深い闇が出てくるものであるし、それでも国立博物館としてウポポイという外枠が誕生したことが一つの進歩であるし、今後より一層大いに議論を深めてベクトルを探りゆくことで良いのだと思っている。


ウポポイでもっとも感動したのは、博物館展示よりもアイヌ文化を現在に継承する人々がその歌、踊り、語りを実際に実演してくれたことだった。体験交流ホールと名付けられた半円形のシアター型の舞台上で、アイヌの男性が民族衣装に身を包み、その住居内を再現した居間に座り、アイヌ語でもっとも格式の高い挨拶を口上してくれることに始まった。そのアイヌ語は私にはまったくわからないが独特の抑揚とリズムを聴いていると次第にアイヌの世界に誘われていくのだ。次にムックリやトンコリと呼ばれる伝統楽器を演奏し、そして舞台はいつしか多くのアイヌの人々が出て来て踊りを披露してくれる。この踊り中で強烈なインパクトを残してくれたのが、「イマヨンテ リムセ」(熊の霊送りの踊り)と呼ばれるものだった。


アイヌの文化でとても大切な考えは「カムイ」であり、これは神格を有する高位の霊的存在をされる。アイヌではあらゆるものに魂が宿ると考え、そうしたなかでも強い力を持つものをカムイと敬称している。カムイが住まう本来の世界では、人間と同様の姿で生活しているが、カムイが人間の世界へとやってくるときには、他の様々な姿になると信じられている。

その中でも熊は「キムンカムイ」と呼ばれて、熊の毛皮や肉を頂くことになる人間は、それらをキムンカムイからの贈物として考えた。「イヨマンテ リムセ」はそのカムイに感謝をして踊りでもてなして、本来のカムイの世界へと送り出す大切な伝統儀礼とのことだ。


この「イヨマンテ リムセ」、動画検索などでも見ることはできるが、生の舞台でみていると深い感動が沸き起こる。男女が輪になって回りながら歌い踊る極めてシンプルな構造なのだが、いくつもの歌を歌いつなぎゆく中で、リズムや踊りも次第に変化していく。「ホロロセ」と呼ばれるお囃子、適度のタイミングで力強く響く掛け声など彩を沿える格好だ。このイヨマンテリムセは宴のピークで用いられるとのことだが、その迫力とともに漂う独特の神秘さは終演後に拍手喝采をとどろかせるに充分なものだ。力強くて獰猛で巨大なヒグマの如き「キムンカムイ」でもこの踊りの前には一目散にカムイの世界に送り返されてしまうだろう。


さて、この踊りを見ているだけで充分に感動したのだが、この輪の中に入って共に踊ることができたらもっと素敵なのかもしれないと思いつつも、そこを越えるには目には見えない境界線があるとも感じた。無論、形式だけなら真似ることはできるだろうが、その文化の本質に生きて、それを信ずることとはやはり違うのだ。そうした意味では「分」を弁えることも大切な気がするのだ。ところで、こうした踊りを見せてくれたアイヌを継承する人たちと実演の後に少し話をする機会を頂けた。「普段はこうした民族衣装を着ているわけではなく、われわれももちろん洋服を着て普通に皆さん同様の生活をしています」との言葉が妙に印象的だった。民族共生の問題とは、今日ではいかにもわかりやすい和人とアイヌ民族の歴史上の二項対立の問題だけではなく、今を生きるアイヌの人々の心なかで現在進行形でおきている問題なのかもしれない。日本人としての生活様式を生きつつも、アイヌ文化の本質を生きることに葛藤が生じる人たちがいるならば、少なくともそれに対して寛容な国柄であってほしいとは願っている。ただ、いずれにしてもアイヌの最高の格式をもつイヨマンテリムセは派手な演出はなく素朴ではあるが大変に素晴らしかったのだ。最後になるが論語の一文を引いておきたい。


「子曰く、先進の礼楽に於けるは、野人なり。後進の礼楽に於けるは、君子なり。如し之を用いなば、則ち吾は先進に従わん」(先進篇11-1)


【現代語訳】

老先生の教え。周王朝のはじめのころの人たちの礼楽のありかたは、素朴であった。後世の人たちのそれは、華やかで整っている。もし礼楽を用いるとあらば、私は素朴なありかたに立ってみよう(加地伸行訳)


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筆者:西田陽一

1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。