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僕たちは健康純情不良少年だった

2021.02.06 07:19

18歳で見事に藤木の脱出に成功したオレには、

残念ながらみんなほどの藤木愛はないのかも知れません。

とは言えもちろん春と秋には実家の田んぼの手伝いもするし、

盆と正月にはしっかり家族や親族との宴会にも参加するし、

懐かしい場所にいけば「ちゃんと懐かしい」と思うし、

好きだった子の事は今でも時々懐かしく思い出す事があるし、

「みんな」とだって関係性は良好なつもりです。

でもだからと言って「藤木」に何か特別な愛情を持っている訳でもなく、

むしろ田舎者が永遠に抱えるコンプレックスみたいな感じなのかなー?、

潜在的にずっと自分のルーツが藤木ってのがなんかちょっと「ダサい」と思っていて、

この感じちゃんと伝わるかなー?、嫌いだとかじゃなくてなんかちょっとダサいんです。

コンビニも食堂も商店街も藤木には何にもないからなのかなー?、

時代にまんまと飲み込まれてお祭りや盆踊りも思い出の商店すらも無くなって、

「誇れる物」も「話の種」も「シンボル的な何か」も何もない、

角間川はあんなにノスタルジックでカッコいいのに藤木はなんかどんどんダサくて、

ふじまさ食堂が無いから?田牧寿司が無いから?打川商店が無いから?

お菓子の大久保が無いから?なんでなんだろう?

せめて今でも仲の良い永遠の友達でもいればもう少し違ってくるのでしょうが、

同級生とは言え「ずっと友達」なんて簡単には言えないよね?、

もちろん「その当時」はちゃんと友達だったはずなんだけど、

今はそれぞれが「それぞれの世界」を持って「それぞれの立場」でそれぞれ生きている訳で、

今回みたいに仕方なくね、「同級生」って「持って生まれた宿命」のような星の下、

会えば楽しいふりをして、会えばたくさん作り笑いをして、無理して「友達ごっこ」をして、

先輩も後輩も含めて多分みんなだって同じなんじゃないのかなー?、

それでも無理して笑うのが大人だし、そもそも「それ」が当たり前なのかも知れません。

そんな訳で「オレ」と「藤木」の間には「何もありません」でした。

あるのは「やさしさ」くらいのもの、

確かに藤木にはオレにやさしい人が多い気がして、

同級生も先輩も親世代も今会ってもみんな超やさしいの、

そのやさしさの素晴らしさにちゃんと気付けたのは、

もしかしたらこの厄祓いが全部終わってからだった気もしています。


「藤木には何もない」、

そんな気持ちを抱えたまま呪いのようなこの厄祓い梵天に参加して、

最後に八幡神社で叫んだあれがオレのロックンロールで、

「藤木には何もない!でも藤木にはロックンロールがある!」、

「やさしいロックンロール!」ってのがオレなりの「地域の呪い」への1つの解答です。

八幡神社に響き渡ったたくさんの歓声とロックンロール、

「藤木」と「四十二歳」と「厄払い」と「梵天」に直接「ロック」が関係ない事はオレも知っているけど、

そこに何か1つでも「自分の信じるモノ」が加わるだけで世界がまるで違って見えるもので、

「呪い」どころか「魔法」が掛かったんだと思います。

「藤木」に「四十二歳」に「厄払い」に「梵天」にオレは「ロック」を詰め込んだので、

「ロック」と「やさしさ」は相性抜群だからオレは本気で「藤木の四十二歳厄祓い梵天」を楽しめた気がします。

多分みんなも同じように「それぞれのロック」を詰め込んでたんじゃないかなー?

ロック梵天の「ロック」は決して音楽的なロックって事じゃなくて、

もっとそれぞれの自由な精神の下にある「それぞれのロック」って事で、

きっと「お祭り」っていうのは自分の中から「非日常」をひねり出すもので、

別に「大した事」をしている訳でもないのに「さも非日常に見せる事」が大切で、

自分たちの内側から非日常を捻り出せば良いんなら別に藤木には何もなくても良くて、

大人が真剣に「自分の信じる何か(オレの場合はロックね)」に誇りを持ってバカやって、

子供に「オレもやりたい」って思わせる事が「本当の継承」だとオレは思います。

なので今も変わらず「藤木には何もない」のかも知れないけど、

もしもあの日あの場所にいた少年少女たちが、

「藤木のロック梵天カッコいいな!」って思ってくれたらサイコーで、

「いつかオレも藤木のロック梵天をやってみたい!」なんて地域の呪いを楽しみに思ってくれていたらサイコーで、

「あー、そうか、継承ってつまりそういう事なのか!と妙に納得しています。

結局忘れちゃいけないの少年少女の心、つまりは「子供騙し」で、

だからこそ圧倒的にカッコ良くなきゃいけないし、イケてなきゃいけなくて、

それが小さな町の小さなお祭りには結構大事な要素の1つで、

「そんな遊び心」を忘れると多分藤木の梵天なんかその内必ず消滅しちゃう気がしました。

結局ダサかったらそれだけで見向きもされないからロックも梵天も子供騙しが大事だとオレは思います。

子供騙しに成功したらあとは簡単、どんなにダサくても一周回って逆にイケてる様になります、まさにブルーハーツがそうだった様にね。

なのでバカにでも分かりやすく、だからこそ「意味のあるリンダリンダ」だった気がしてて、

「藤木はダサい!」ってずっとバカにされてたのもオレは知ってるんだ!

バカにされてたはずの藤木の梵天が今ではクソカッコいい象徴の様な気分です。

ただ「カッコいい」じゃないよ、藤木の梵天は「クソカッコいい」んです!

これってオレだけかな?でもオレには事実なんだよ。


本当は高校から6年くらい一緒にバンドをしていたマーくんと二人で、

ここぞとばかりにオリジナルソングまで用意してて最後にあの場で歌ってやろうと企んでいたんだけど、(「僕たちは健康純情不良少年だった」って世界で一番やさしいロックンロールだよ)

なんかみんなでリンダリンダしたらオレの自己掲示欲なんかどうでもよくなっちゃって、

これ以上むずかしい事をしたら、余計な事をしたら、全然「うつくしくない」気がして、

なので残念ながら美味しいところ総取りの「藤木伝説のロックスター」にオレはなり損ねたけど、

でも「藤木昭和五十五年會」って「イカれたロックンローラーたち」が「ロックした事」は、

きっとあの場所にいた何十人かの人の心にちゃんと刻まれたはずで、

多分嫉妬しちゃった人もいたんじゃないかな?

それくらい藤木のロック梵天はとにかくイケてた気がします。(自画自賛)

なので随分と乱暴に感覚的に偉そうな事ばかりベラベラ書いてますが、

つまりは「藤木にロックンロールが帰ってきた!」って話で、

つまりは「藤木にロックンロールの種をまいた!」って話で、

「ロック梵天」なんて「ありもしない祭り」を作り上げ、

大人も子供も関係なく「ありもしない祭り」にあれだけ熱狂出来たなら藤木もまだまだ捨てたもんじゃなくて、

もちろん「あんなにふざけて、あんなの梵天とは認めない!」って声はあるかもだけど、

「真面目」にとか「まともに」とか「普通に」とかそういうのは全部「呪い」で良いよね!

藤木には「そんな呪い」すら包み込む大きなやさしさがあったんだから!

羨ましいでしょ?

なので、いつからか「伝統」って「くだらない呪い」で自分たちの首を絞めて身動き取れなくなって、

ダサくなって、廃れてしまって、だったらせめて自分だけでも楽しくやったら良いんだよね!

なのでそもそも「藤木の梵天」ってこのくらい熱狂してたんじゃないかなーと、

今年が異常なんかじゃなくてこれが藤木の梵天で、

楽しいから来年も続けたくなったはずで、きっとこれで継承できたはずで、

「これが本当の伝統文化だよ!」って大声で叫んでやりたい気分です!


なんにせよ、みんな一緒にリンダリンダしてくれてありがとうね!

リンダリンダはみんなでするからいいんだよ、やさしい人たちとするからいいんだよ、

間違いなくあれが「正しいリンダリンダの形」でした!

常々オレは「人生はリンダリンダするか、しないかだ!」って思ってて、

なのでオレは死ぬまでずっと例え1人でもリンダリンダしちゃうんだけど、

せっかくだから「やさしいみんな」とリンダリンダできて嬉しかったです!

ところで「リンダリンダって何なの?」って思わない?

多分「リンダリンダ」ってみんなの心の中にあるものだとオレは思うよ!

意味も解釈もそれぞれ違っていいんだ!

ただ「リンダリンダ」って「その人の人生そのもの」だから、

だからあの日いろんなリンダリンダが見れてオレは楽しかったです。

まさにドブネズミみたいにうつくしい奴らばかりでした。

それにしても四十歳になれば勝手に「大人」になるんだと思っていたけど全然ダメだったね!

でも藤木には「ダメな大人」がまだまだたくさんいてくれて、オレはそれが嬉しかったです!


本音を言えばね、負け惜しみと言うか、弱い犬ほどよく吠える的なね、

「どうせ大曲の梵天には勝てっこないよな!」って思っていたし、

「ヒエー!角間川の梵天もイケてるなー!」ってバッチリ弱気になったりもしたけれど、

結局オレらは最後までちゃんとできなくて「不良」のままで終われて、ある意味「やってやったぜ!」って気分でした!

ちゃんとした梵天は大曲と角間川に任せて、オレらは結局これしか出来なかったんだよ!

そもそも「教科書」も「参考書」も見る気もなかったんだからこれで精一杯で、強制的にオレの自己満足の世界に巻き込まれてしまってみんなの本当の気持ちはどうだったんだろう?

未来に誇れる自慢の梵天になったかな?多分みんなイカれてるから大丈夫かとは思うけど!


なんにせよ、オレは真面目で詩人で芸術家でロックだからすぐに難しくなっちゃうから、

とりあえず静香(シズコばっちゃ)と後輩たちが撮影してくれた素敵な写真を見て下さいね!

静香ご自慢の極太一眼レフがみんなの笑顔と股間を狙い撃ちしています!ズキューン!

とにかく数が膨大だったので写真をしっかり時系列に並べ替えたり選別するようなセコイ事はしないのでちょっと見づらいでしょうが、

これでもそれなりに並び替えしたつもりなので、少しくらい見づらいくらいの方がロックなので、ロックに免じて許してね!

それにしても2日目に静香が写真撮影に来てくれて本当に助かりました!

静香の写真がめちゃめちゃ良くて、こんなにカッコ良く写真に残してもらえるなら頑張った甲斐もありました!

でもどうなんだろう?本当にちゃんと写っているかなー?伝わりますか?

オレ達にはさー、「写真にはうつらないうつくしさがあるから」ね。


ちなみに写真の中でオレとマーくんと肩を組んでる女子中学生が静香の娘なんだけど、

静香の娘的厄男イケメンランキングの第一位は残念ながらヒサッさんだったそうです!

ヒサッさんはミチに続いて二冠なので来年も三冠目指して頑張ってください!



そんな訳でまずは初日編!

出発式の梵天唄は気合い空回りで、声が裏返ったり高い方に音を外したりでみんなに笑われたけど、そっちの方がむしろ「パンク」な気がして、むしろ「ロック」な気がして、ダムドとかピストルズみたいにクソ度が高い気がして1人でテンションが上がって途中でツバまで吐きました!

オレのロック梵天、全く幸先の良いスタートでした!



ここから二日目!止まらない初期衝動!!今日の出発式は天狗で登場!!


さすがはロック梵天です!突入の際にあのぶっとい梵天の心棒が折れました!

こんな奉納初めてです!イカれてます!おかげで大厄もスッキリ祓われた気がします!

翌日はつわものどもが夢の跡(直樹心の俳句)



そんな訳で最後まで見てくれたあなたに神様からの祝福を1つ!

せっかくオレが梵天頭だったんだから最後は才能を生かしてさようなら動画?、

さようならスライドショー?みたいなのを作ったから見てみてね!

まあ今貼り付けた写真のおさらいになるんだけど、ロック梵天の最後に相応しくロックンロールに乗せてセンセーショナルにエモーショナルにお送りしてますので!

ちなみに最後の曲はオレが作詞作曲した「僕たちは健康純情不良少年だった」って歌で、

このブログのタイトルをそのまま歌にしたのです、まさに伏線回収ってヤツだよ!

やっぱりここまでやってのオレだよね!最後までロックだね!えらいね!本当に真面目だよ!

多分ライブで聴きたい人も多数いるでしょうから打ち上げがあったらマーくんと演りますね!

先輩後輩も交えて三学年でやりたいよ〜、企画して〜、お願いエラい人〜!


そんな訳で本当にこれで終わりだよ!

いざ別れの時が来た!

好きにやらせてくれて本当にありがとね!

さらば読者よ!

命あらば、またどこかで会おう!

元気で行こう、絶望するな!

リンダリンダが聴こえない?

ハロー、グッバイ、ファックユー、でも前方の光!


追伸:出席簿はおいおい気分で更新しますのでちょっとお待ちを!


藤木昭和五十五年會 梵天頭 進藤直樹