2月7日(日)降誕節第7主日(公現後第5主日)
「カナンの女の信仰」
マタイによる福音書 15章21~31節
今日は、「カナンの女の信仰」と題してマタイ15章21~31節のみことばから学び、そこから信仰の糧を与えられたいと思います。
21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」28 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。29 イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。30 大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。31 群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。
今日の箇所でイエス様が足を運ばれた「ティルス」(アラビア語で岩という意味、アレキサンダー大王に唯一抵抗したフェニキアの都市国家)や「シドン」(アラビア語で漁場、フェニキア人の拠点となった都市のひとつ)は、ガリラヤ地方の西に隣接するフェニキア地方の地中海に面したところにあります。ユーフラテス川上流に定住し内陸交易を担ったアラム人などは、ラクダを用いてシリア砂漠などで隊商を組んで交易したのに対して、フェニキア人は地中海を我がものとして海上交易で活躍しました。
さて、そのようなある程度文明都市とされる地で生まれ育ったカナンの女が、ガリラヤ地方の寒村ナザレで育ちガリラヤ湖周辺で活動したイエス様に、娘の病のことで懇願しているのですから、驚きです。
文明都市化された土地柄、さまざまな宗教が交易によってもたらされていた土地柄、そのようなところの一女性が、ユダヤ人でありガリラヤ人であるイエス様のもとを訪ねたということに驚きを感じます。ひとえに娘の病を癒して欲しいと懇願する姿には、母親の子に対する強い愛情を感じずにはいられません。
おそらくは文明から取り残されたような娘の病ではなかったでしょうか。娘の病が母子を社会の片隅へと孤独へと追いやっている様子が浮かんできます。娘をどうにか癒してもらいたいと強く望んだこの母親は、イエス様が行く先々で多くの病者を癒していると評判を聞いたのでしょう、とにかくイエス様に会いたいという一心、イエス様に娘の病を癒してもらいたいという一念で、イエス様のところに来たのだと思います。
このような娘を思う母親の一途な強い懇願の姿に、イエス様は、信仰のあるべき姿を見ています。この母親の熱情は、「しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」(25)や「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(27)と答える彼女のことばやふるまいからもわかってくると思います。旧約聖書の出エジプト記には、「あなたはほかの神を拝んではならない。主はその名を熱情といい、熱情の神である。」(34:14)と記されていますが、まさにこの「熱情の神」という言葉にマッチするようなこの女性の熱情に、イエス様は、信仰のあるべき姿をみているのだと思います。教養はややもしますと人をクールにしますが、信仰は熱情が伴ってこその信仰なのかも知れません。
この箇所全体を読むと、わたしたちは、イエス様の分け隔てのなさ、を見ることができると思います。「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とイエス様は言葉にされていますが、彼女の熱情によって、なお、その外へと広がっていくイエス様の姿に、わたしたちは目を向けたいと思います。
そもそも「イスラエルの家の失われた羊」とは、イスラエルの同胞から見捨てられ、いないものとされているような人々のことではなかったでしょうか。イスラエルの民すなわち主の民とは言われず、「地の民」と言われた人々であり、イスラエルの主の民からは、見下され排除され罪人と言われた地の民とされている人たちではなかったでしょうか。そのような彼らに遣わされ、隣人として彼らを導き、癒し、救われるために、神の国の福音をもたらされたイエス様ではなかったでしょうか。それゆえ、彼らから救い主と言われたお方ではなかったかと思います。そのようなイエス様にとって、文明によっては癒されない、ある意味見放されていたと言ってもいいようなカナンの女とその娘は、やはり顧みられるべき神様の被造物としての隣人ではなかったでしょうか。そのようなことを考えさせられる今日の箇所だと思います。
イエス様の神の国の福音と活動は、どうしても、この世の底辺の民(福音書で「貧しい人々」と言われている)へと、向けられるように思います。癒しや救いがもっとも求められている民の間にまず告げ知らされなければならない、なぜなら、被造物存在のいずれの誰一人であっても、そのかけがえのなさが顧みられないということがあってはいけないということが神様のみこころなのですから。そうでなければ、そもそも救いということなどあり得ないからだと思います。
イエス様は、誰をも決してお見捨てにならないお方というこのことにこそ、救い主の救い主たる所以があると思います。そのようなお方に信頼し、そのようなお方を通して、被造物存在が、ひとりひとりのかけがえのなさを顧みられながら、救いへと導かれていくことを信じ願うとするなら、誰しも信仰者だと言えるように思います。カナンの女の信仰と熱情を見て取り、みずからの信仰者としてのあり方の鏡とすることは、とても望ましいことのように思います。
(もう一言)
今日、わたしたちが親しんでいるアルファベットの文字は、ルーツをフェニキアに持っています。
アラム人はアラム語を作り、それがヘブライ文字、アラビア文字、シリア文字、ソグド文字、ウイグル文字の母体になっていったと言われますが、フェニキアが古代アルファベットを改良して象形から線上文字へと変化させて今日のアルファベットの元を作ったそうです。
カナンと言われたパレスチナは、エジプトの言語、アラム語系の言語に加えてエーゲ文明、クレタ文明、マケドニア・ギリシャ文明やローマ文明など海上交易によってもたらされた文明的背景を持つフェニキアからの多言語が交差するところでしたから、イエス様は、きっとバイリンガル(二ケ国語話せる)やトリリンガル(三ケ国語話せる)のようだったかも知れませんね。ギリシャ語やラテン語を耳にしながら日常をアラム語で、みことばをヘブライ語で、というようにイエス様は過ごされていたかも知れませんね。パレスチナは東と西と北と南を結ぶ中継点のようなところだったので、世界意識が当たり前に入ってくるところとして特異な場所であったと思います。イスラエルの宗教、ユダヤ人の信仰の系譜にイエス様があらわれて神の国の福音を説いたということは、特別な意味深い出来事だったと言えるのです。