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命に生たる桜

2018.02.07 06:33

Facebook・竹元 久了さん投稿記事 ·🌷🌷自然は脈動する

ヴィクトル・シャウベルガー自然学者(オーストリア)

水エネルギーの諸段階

物質的実体は何十億個もの原子からなっているが、それぞれの原子はさらに小さな素粒子からなり、その素粒子はエネルギーの渦なのだ。原子より小さな素粒子は、渦の中でたがいの周りを回転しながらより重いエネルギーをもつ粒子を形成し、だんだん密度を高めて速度を落とし、ついには目に見え、触れることすらできる存在となる。私たちが目にする物質的実体は、エネルギーが振動して物質状態になったり解消ししたりして、目に見える「残像」を作り上げた結果生じており、その周波数と密度のために物体は静止しているように見えているのである。

無数の粒子がたえず加速、減速して私たちの目に物質として映る形をとり、個体としてそこにある錯覚を生み出しているのだ。あらゆる物質実体がつねに動いている原子や素粒子から成っていることを理解すれば、あらゆるものがエネルギーであるということが理解できるだろう。

ヴィクトルは、現代の人間は物を見ることはあっても、本質を見ない表層的な生き物だと考えた。私たちの視覚は認識するのみに限定されており、深い考察とは関係ない。私たちは外見を全体と、結果を原因と取り違えてしまっているのだ。実際に目にしているものは発現したものの外側の殻であり、形式的エネルギーが遺していったものにすぎない。私たちには、生物を創ったエネルギーが見えないのである。

「人は生きている」と言ってもおかしくないが「水は生きている」と言ったら多くの人はおかしいと思う。しかし人の60パーセント以上は水でできていて、血液の90パーセントは水分である。現代科学は水を化学式H2Oとしてしか教えていない。これが多くの現代人がもつ思考の限界を表している。

人も水もエネルギー体であり、同じように素粒子の集まりであり、脈動し同じように振舞い、この世界に存在しているのである。だから真実は人と同じように「水は生きている」のであるとしなければおかしいのである。おかしという思想を植え付けた現代社会がおかしいのである。

水は古くから人にとって最も必要であり、人の肉体の重要な構成要素である物質化した水を神性なものとして精神的に感じ取っていた。

だからこそ水素と酸素との化合物であると知る以前から世界の構成元素として水を重要視し貴重なものとして、古き文化こそ物質と精神の融合した知性によって、水に対して神秘性と敬意と尊厳と深遠なる感性で接していた文化をもっていた。

私たちの地球は水の惑星である。世界の地表の70パーセントは水に覆われている。私たちの体の約60パーセントは水である。水はあらゆる生命にとって欠かすことのできないものだ。しかし、現在の科学は水の真の性質についてほとんど理解していない。人類は水に対し敬意を払わず、たいていは廃棄物や汚染物質を運ぶのに使っている。タービン、パイプ、直線化した川岸に流すことで、水の複雑な構造を破壊してしまっている。水を日用品のように扱っているのである。ヴィクトルは水を生きた有機体、「地球の血液」と呼び、それは血液、樹液、いわゆる水などのさまざまな姿をとる、あらゆる生命の基礎なのだと主張した。

水を単に資源として扱うことが、この文明の破綻をもたらす。現代社会は、この地球が長い年月をかけて培ってきたエネルギー源である石油、鉱物、生物、植物そして水資源を人類だけの近代化の名のもとに収奪し尽くそうとしている。人類の叡智である思想としての自然崇拝は今や異端視されるに及んでいる。


Facebook・草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL) さん投稿記事·

命とは、その人に与えられた生きるためのエネルギーです。

空っぽの今の中に命を注ぐこと、それが生きることです。

学校も職場も家庭も、そんな感覚を育てる畑です。

仲間と過ごす膨大な時間、人間の「芯」になる部分がそこでつくられるのです。だからこそ、いい仲間といい思い出を大切に。一生の宝物にしてほしいのです。

「知る」ということのなかに想像力を高めることができれば、自分も幸せになり、世界中がひとつになって平和もそこから生み出すことができるでしょう。

命とは、かけがえのないものだから、その命をどう使うかが大切であること思います。


Facebook・相田 公弘さん投稿記事

「いのち」 あとにもさきにも かけがえのない たったひとつの いのちゆえ

あすしれぬ はかないいのちゆえ いまここに 生かされている いのちゆえ

ただひたすらに 初日をおがむ いのちいっぱいに 日の出を おがむ  みつを


Facebook・西尾仁さん投稿記事

企業がこのまま売上げと利益を伸ばし続けることは難しくなって来ています。それを継続すれば、人類の将来を早く潰してしまうことに繋がると思います。

そういう点で、これからは世の中の仕組みを変えなければならないと思っています。

そのヒントはいくつかあります。

ヒント1. 正しい3つの人間の生き方を知り、それに従って生きることです。

正しい生き方以外には、これから人類が生き延びる道は残されていないと思われます。

①.人間は地球上の生命体の全ての遺伝子を持っており、

地球上の全ての生命体の運命にも責任を持たなければならない。

②.人間は理性的存在であると言うこと。

知的生命体としては、今の人間はまだエゴの段階を抜け切っていませんが、

努力してエゴを出来る限り少なくすればよいのです。

競争から共生への転換が、試金石になるでしょう。

③.知識や技能を修得し、それによって世のため、人のために尽くすような生き方が出来るはずです。

ヒント2.自然の掟に従うことです。

これだけ進んだ文明社会でも、人間は明日の天気ひとつ変られないのです。

ヒント3.本物を目標にすることです。

本物かどうかは、それによって蘇生化するか崩壊化するかで分かります。

私達は本物を識別する目を養う必要があります。

ヒント4. 考え方を変えることでしょう。

どんなことも肯定、感謝、プラス発想するようにかえるのです。

世の中に生起することは、全て必要、必然でベストのことであると考えるのです。

人間は生来、人生を楽しむために生まれてきたのですから、

この考え方に立つことが、最も自然に合致したことであり、最も正しく、また本物の生き方なのです。

私達の創造主であるサムシング・グレートは、私達に原則自由を許しています。共産主義がつぶれ資本主義が残ったのは自由を認める資本主義の方が自然の掟に合致しているからです。

そして更に、その本質に合致させるべく、世の中の仕組みを変えるよう促されているのだと思います。

船井幸雄 著「未来への言霊」より


http://inkyodanshi21.com/lifestyle/4470/ 【松尾芭蕉も現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。】 より

歴史の中に、自らを位置づける。

王朝の人々が達成したものと遜色ないものを追求したい。現世の素晴らしさ、俗の素晴らしさを。

「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ。」

歴史の中に自らを位置づける。そこには責任性がある。ミッションや使命がある。千年にわたる財産を正しく継承し、後世に伝えなければならない。

新しい美をつくりあげようとした。芭蕉は美を自分の目で作ることを決めた変革者だった。それまでの美意識をガラッと変えてしまった。

雅と俗を掛け合わせる。どちらか一方だけではダメ。コントラストをはっきりさせる。読み手が王朝のコードを知っている事が大事。

「蛙飛び込む 水の音」心の世界としての古池。

「いかに死ぬか」から「いかに生きるか」

深川に隠棲して、新たな生き方を模索した。

時代は、憂世から浮世へ変わっていた。「いかに死ぬか」ではなく、「いかに生きるか」にパラダイムシフトし始めていた時代。芭蕉もその可能性を探っていた。

立身出世を願ったこともあった、僧侶を目指そうとしたこともあった。そして芭蕉は遂に俳諧一筋となった。

身分制度が固まった時代、立身出世を願っても所詮は枠の中のこと、芭蕉はその価値観の転換をはかった。

全てを捨てる暮らし。身分を超えた生き方。芭蕉は、捨てることで人生の豊かさ、楽しさを見出そうとした。

100年の平和。かつては古典が金科玉条。芭蕉は「いかに生きるか」を模索する中で、「新しい価値観」を現実や俗世界、自然世界の中に求めようとした。

芭蕉にとって旅とは?

中世における旅とは、現世から立ち去る全てを捨てた人の姿。世捨て人、西行や兼好法師等。無一物が良いという生き方。

芭蕉にとっての旅は、世の中が嫌いなわけではなく、世の中と一線を引くための旅。

1人で作る俳句は明治以降のもの。俳諧はもともと仲間と一緒に句を作る言葉遊び(連句)だった。芭蕉はほとんどを連句として捉えている。

物事を言い尽くしてしまえばあとに何が残るのか、言い切らない、語りきらないということが想像力をかきたてて、芸術的な奥行きを創りだすと考えていた。

旅先では身分関係なくその地の人々と共に、連句をして楽しんだ。

結果として、都会だけではなく地方でも俳句が非常に盛んになり、深まっていく。明治以降の文化のあり方として影響を与えた。

芭蕉の行いは、一極集中ではない、日本の古来の文化の根強さと多様性を思い出させてくれる。

楽しく生きる。いいことと悪いことの境目が見えない。しかし必ず「環(たまき)」のように苦楽がワンセットなのが人生。

黙っていたほうが気持ちが伝わるという日本人の感性。俳句は更にそれを助長させた。

沈黙を重んじる文芸があるというのが日本らしい。グローバルの中からみると、非常にわかりにくい。しかしそれが良さでもある。

最後に

毎度予防線の様に書いていおりますが、今回もまた、松尾芭蕉という人物を一ミリも理解できていないと思います。でも面白いんだから仕方ない。書き残しておきたいんだから仕方ない。

それにしても、この「BS歴史館」という番組、本当にクオリティ高いです。

昔は「プロフェッショナル仕事の流儀」などドキュメンタリー番組とかの方を見漁っていましたが、最近はこっちの方が断然面白い。

YouTubeよりニコ動より、Huluより、NHKオンデマンド派です。

興味ある方はぜひ観てみてください!