お金と時間の優先順位が逆転。
社会システム劣化が激しい。この修復は難しいと最近強く感じる。
政治のニュースやネットでの過度な誹謗中傷、マスコミレベルの著しい低下。そもそももともとそうだった、ということかもしれないが。
どこかおかしいな、と思いながら、みんなそれを具体的にどうしたらいいのか、がわからない。どこから手を付けても、壁にぶち当たる。もはや末期がんのようである。
端的に言うと、資本主義的民主主義をベースにした社会システムの限界だと思う。
価値観そのものを大きく変えない限り、この混沌とした状況に適応することはできない。
今自分たちが生きている社会を構成しているものと、そのゴールとするものを見ると、ほとんどすべてのものが、「資本を生み出すのか?」という概念に縛られている。
これは、十分に豊かになった(なりかけている)社会においては、あまり意味をなさないということを示していると思う。
命の危機に瀕していたとしたら、毎日をもっと有効に生きようと人はするはず。多くの人がゴシップに夢中だったり、暇つぶしの材料を求めて生きている。なぜなら、十分に豊かだから、余裕があるから、だ。貧困といえども、日本で飢えて死ぬということは、まずない。
ということは、「食いはぐれることのないように、勉強する、いい学校に行く、いい会社に行く」ということを第一目標にしていることが、今、人々が置かれている状況には合わないということである。
それよりも、人に認められたい。人に愛されたい。自己を実現したい。などの、感情面精神面での充足を本当は求めているはず。欲求の段階が、「生命維持」から全体として進化しているということ。
つまり、次は、資本主義的な考えでは、退屈になってしまった人々に、別の主義を上乗せするタイミングにさしかかっているということ。わかりやすいものでいくと、「時間」だと思う。お金よりも時間の優先順位を上げるということ。これは、国がどうにかしてくれるものではなく、「自分で選ぶ」という側面が強まる。
「大きな社会の流れ」と「個としての自分の選択、自分の行動」この両者をバランスさせて、自分の時間を最大限有効に。お金はその中では重要な一要素ではあるが、すべてではない。この考え方にシフトしていく。
お金という制限を一度取り払って考えてみると、わかりやすいと思う。当たり前、絶対、と思っていたことが、意外に大したことがなかったり、逆に、あまり気にしていなかったことが、実はとても大事だったり、他人を傷つけていたりすることがわかってくる。
「お金」ももちろん大事だが、「時間」と「感情」をもっと大事にしよう。目を向けてみよう。