新たな排外主義の「感染拡大」に警戒すべき
黄 文葦
2021年1月23日、「武漢封鎖」の一周年である。現在、武漢市民には日常生活は戻りつつあるが、振り返ってみると、忘れてはいけないことがある。 昨年の年初、武漢で新型コロナ感染拡大が始まった。それから、世界中、新型コロナのパンデミックに関連した人種差別と外国人嫌悪に基づく暴力や差別とも「感染拡大」事態になってしまった。
昨年の春、特に、ヨーロッパでは、一時、まるでアジア系全員が保菌者扱いのようなこともあった。フランスの中国系社会では、街中やソーシャルメディア上で人種差別的な言葉を浴びせられたと訴える声が相次いでいた。イタリアの中国系の著名人らも、同胞に向けられた「潜在的人種差別」について警告した。 昨年、残念ながら、アジア人やアジアにルーツを持つ人びとへの人種差別に基づく攻撃が多発していた。
スイス・ルツェルン大学に留学の台湾人女性は、ネット上、アジア人であることでさまざまな差別的言動を受けたと証言した。ヨーロッパで日本人が追いかけられ唾かけられることもあった。 新型コロナのパンデミックの中、アジア人に対する差別、そして、今、中国では感染者が最も多いアメリカに対する嘲笑、9.11後イスラム系への差別に似ているではないか。新たな排外主義の「感染拡大」に警戒すべきである。
一年来、中国も日本もネット上で「外国人の入国を禁止しろ」という声が多かった。2020年末、多くの国で再び感染拡大の兆しがあった。そして、本国の感染拡大は海外から入国する人がもたらした結果だ、と多くの人が結論を出した。あまりにも似っているような反応であった。
新型コロナのせいで、世界中、人々の流れは停止してしまった。国境を越えることは難しくなった。そして、地球村とグローバル化に疑念を差し挟む人が増えているではないか、と考えられる。 自国さえよければいいという考え方は「排外主義」へとつながると思う。他国の禍を喜ぶのはいけない。人々が国境を越えられなくても、各国が水際対策を強化しても、国と国、人間と人間の間、分断してはいけない。もう一つのグローバル化を促進すべきである。それは新型コロナの治療薬・ワクチンなどを含める情報連携である。
今年に入って、中国国内にも、ある種の「排外主義」が見えた。新型コロナの対策で、各地域の間の「差別化」が垣間見えた。例えば、1月20日、中国政府の衛生管理機関が旧正月に帰郷する人には7日以内にPCR検査陰性証明書を提出する必要があると規定し、しかも14日間の在宅健康監視を実施する。 しかし、その「帰郷」の「郷」は田舎地域に指すもの。
特に中国のある農村地域では、感染拡大が著しいので、全国の「帰郷」の人には厳しく行動を制限するわけである。 さらに、感染態勢によって、現在中国では、各地域が低リスク地域、中リスク地域、高リスク地域に分けられている。まさか、戦時状態らしい。都市と田舎、村と村は分断され、互いに警戒している。