葦原中国
オオクニヌシさまの葦原中つ国の国づくりにおいて、色々なことが分かってきました。
わたくしたちの祖国の形成が、あくまでも神話の範疇なのですが、かなり顕かになってきました。
その詳細に関しては別の記事に書きますので、今回はオオクニヌシさまの国づくりの話の最後を読んでいきましょう。
(現代語訳)
大国主神が宗像の奥つ宮におられる神、タキリビメを娶って生んだ子は阿遅{すき}高日子根神(アヂスキタカヒコネ)、つぎに妹高比売命(イモタカヒメ)、またの名は下光比売命(シタテルヒメ)。この阿遅{すき}高日子根神は、今、迦毛の大御神という。
また、大国主神が神屋盾比売命(カムヤタテヒメ)を娶って生んだ子は事代主神(コトシロヌシ)である。
また八島牟遅能神(ヤシマムヂノ)の娘の鳥取神を娶って生んだ子は鳥鳴海神(トリナルミ)である。
この神が日名照額田毘道男伊許知邇神(ヒナテルヌカタビチヲイコチニ)を娶って生んだ子は国忍富神(クニオシトミ)である。
この神が葦那陀迦神(アシナダカ)、またの名が八河江比売(ヤガハエヒメ)を娶って生んだ子は速甕之多気佐波夜遅奴美神(ハヤミカノタケサハヤヂヌミ)である。
この神が天之甕主神(アメノミカヌシ)の娘、前玉比売(サキタマヒメ)を娶って生んだ子は甕主日子神(ミカヌシヒコ)である。
この神が淤加美神(オカミ)の娘、比那良志毘売(ヒナラシビメ)を娶って生んだ子は多比理岐志麻流美神(タヒリキシマルミ)である。
この神が比々羅木之其花麻豆美神(ヒヒラギノソノハナマズミ)の娘、活玉前玉比売神(イクタマサキタマヒメ)を娶って生んだ子は美呂浪神(ミロナミ)である。 この神が敷山主神(シキヤマヌシ)の娘、青沼馬沼押比売(アヲヌウマヌオシヒメ)を娶って生んだ子は布忍富鳥鳴海神(ヌノオシトミトリナルミ)である。
この神が若尽女神(ワカツクシメ)を娶って生んだ子は天日腹大科度美神(アメノヒバラオオシナドミ)である。
この神が天狭霧神(アメノサギリ)の娘、遠津待根神(トホツマチヌ)を娶って生んだ子は遠津山岬多良斯神(トホツヤマサキタラシ)である。
右にあげたヤシマジヌミから、トホツヤマサキタラシまでを十七世の神と称する。
※実は、この文章のあとに、前回ご紹介した「大国主神と少名毘古那神の国作り」の文章が入ってきます。
これは構成上はとても不自然なんです。
時系列として書かれているのでしょうが、それだけではない作為的なところも感じます。
さらに言えば、この文章の前は「八千矛神の妻問」ですから、ここも結構、唐突に始まってます。
例えば、「オオクニヌシさまは、スセリビメさまの嫉妬に悩ませながらも、国づくりのために領土を広げつつ、氏族の繁栄のため、各地に妻を持ち地方の豪族との関係を強固にしていきました」というような一文が必要だと思います。
わたくしは古代史の研究者ではないので、これらを裏付ける確証はなにもありませんが、一日本史ファンとしては、かなりこの辺りの構成には、逆に興味を持ってしまいます。
そして次の訳文は前述のように、スクナビコナが常世にわたった( 「大国主神と少名毘古那神の国作り」 )あとに語られています。
(現代語訳)
さて、かのオオトシが神活須毘神(カムイクスビ)の娘、伊怒比売(イノヒメ)を娶って生んだ子は大国御魂神(オオクニミタマ)、つぎに曾富理神(ソホリ)、つぎに白日神(シラヒ)、つぎに聖神である。
また香用比売(カヨヒメ)を娶って生んだ子は大香山戸臣神(オオカグヤマトミ)、つぎに御年神である。
また天知迦流美豆比売(アメチカルミヅヒメ)を娶って生んだ子は奥津日子神(オキツヒコ)、またの名は大戸比売(オオヘヒメ)である。この神は人々が祀っている竈の神である。
つぎに大山咋神(オオヤマクヒ)、またの名は山末之大主神(ヤマスエノオオヌシ)である。この神は近江の国の比叡山に鎮座し、葛野の松尾に鎮座して鳴鏑を神体とする神である。
つぎに庭津日神(ニハツヒ)、つぎに阿須波神(アスハ)、つぎに波比岐神(ハヒキ)、つぎに香山戸臣神(カグヤマトミ)、つぎに羽山戸神(ハヤマト)、つぎに庭高津日神(ニハタカツヒ)、つぎに大土神(オオツチ)、またの名は土之御祖神(ツチノミオヤ)である。
上にあげたオオトシの子、オオクニミタマから下、オオツチまであわせて十六柱の神である。
羽山戸神が大気都比売神を娶って生んだ子は若山咋神(ワカヤマクヒ)、つぎに若年神、つぎに妹若沙那売神(イモワカサナメ)、つぎに弥豆麻岐神(ミヅマキ)、つぎに夏高津日神(ナツタカツヒ)、またの名は夏之売神(ナツノメ)、つぎに秋毘売神(アキビメ)、つぎに久々年神(ククトシ)、つぎに久々紀若室葛根神(ククキワカムロツナネ)である。
上にあげた羽山の子より若室葛根まで、あわせて八柱の神である。
※まず、注目したいのはこの綴り方に関してですが、これはイザナキ、イザナミさまの国産み、神産みの表記と同じ、いわゆる「系譜」です。古事記においてのこれは「国づくり」の特徴でしょう。すべての表記はありませんが、オオクニヌシさまの御子神は全部で180柱 (日本書記では181柱)と言われています。このようにして表向きは、葦原中原で行われている新しい国づくりも、古事記の文章上ではそれまでの高天原の神々と同じであるという正当性を示しているのです。しかし、前述のように、スクナビコナの話がなぜ挿入されているのか。それも、とても大事な部分なのに...
この辺りは後日、別記事で徹底解明いたしますので、それまでお待ちください。
ここに、葦原中原の国づくりは、略、完成されたのです。