デザイン未経験からメガネ業界の風雲児に。『ayame』のポリシー
今でこそ眼鏡は視力の矯正器具ではなく、ファッションの一部という見方は当たり前。
でも一昔前までは、眼鏡は「ナード」の象徴的なアイテムだった。
サングラスはファッションアイテムとして親しまれていた一方で、眼鏡は「ガリ勉くん」みたいなイメージが付きまとっていた気がする。
——世間の認識が少しずつ変わる背景には、異端児の暗躍あり。
今回は世間の眼鏡の印象を変えた立役者のひとりと言っても過言ではないブランド『ayame(アヤメ)』クリエイティブディレクター、今泉悠さんに迫る。
欲しいものがないから、作る。
未経験からはじまったブランド作り
今泉さんは『ayame』のデザイナーとして活躍する前は、まったく違う仕事をしていたという。にもかかわらず、眼鏡ブランドを立ち上げることになったのはどうしてだろう。
「16歳から21歳まで、美容師やヘアメイクといった美容関係の仕事をしていたんです。友達のお手伝いでモデルみたいなこともやってました。だからずーっと眼鏡を作りたいと考えていたわけではないんですよ。
10代の頃から眼鏡をかけていたのですが、一利用者として日本から発売されている眼鏡に欲しいものがなかった。それで『CUTLER AND GROSS』などのイギリス系ブランドを好きになったんですけど、海外ブランドの眼鏡は日本人の骨格に合わせて作られているわけではない。そもそも骨格が違うから鼻にきちんと乗らないんですよ。気に入ってるのにそれがうまく馴染まない。だったら『自分で気に入るような眼鏡を作っちゃえばいいんだ』と思ったのがはじまりです。
でも、もちろんそんな簡単に物事が運ぶはずもなく…(笑)」
「知ってる方も多いと思いますが、国内の眼鏡作りの生産の約9割を占める、いわば“眼鏡づくりの本場”が福井県鯖江市にあるんです。『作りたい』なら、ひとまず作っている現場を見せてもらおうということで、仲間と盛り上がって。たまたま福井県のNHK支部に勤めていた友人がいて、鯖江の職人さんに取材をしたことがあるというので、間を取り持ってもらって教えを請いに伺ったんです。
でも、最初は門前払いされましたね。職人さんではなくて眼鏡屋さんに話を聞いても『そんな簡単にできないよ』って一蹴されてしまった。でも『できない』と言われると、逆に意地になっちゃうじゃないですか(笑)。そこから何度も足を運んで、熱意を伝えました」
一端の若造。しかもやけに顔立ちの整った青年に「眼鏡を作りたい」と言われても、「そんな簡単なもんじゃない」と言ってしまいたくなる職人の気持ちは分からないでもない。
ただ、今泉さんはそこで「わかりました」と、簡単に踵を返すようなヌルい若造ではなかった。
そもそもデザイナーとしてのキャリアがなかったのに、どうして作れると思ったのか、と問うと間髪をいれずに笑って答える。
「馬鹿だったんでしょうね(笑)。馬鹿だったし、時間もあったし。僕は『できない』と言われることにこそ燃えるし、魅力を感じる性格なんです」
「とはいっても、ヘアメイクの仕事をしていたし、眼鏡作りはメイクアップと似てるんですよ。眼鏡は顔の一部だし、それに付随することはよくわかっていたという自負はあります」
おもむろに10代の頃からずっと嗜んでいるサーフィンの話をしはじめる。
「よくよく考えると眼鏡を作りに本気になったのも僕が10代の頃、サーフィンにのめり込んだ理由と一緒で。
サーフィンって自然が相手のスポーツだから、毎日波の様子が違うし、天気や風の影響も受けるし、自分でコントロールできないことばかり。だからこそ、そこに魅力を感じてしまうんです。いやらしい言い方かもしれないですけど、他のスポーツは練習すれば、ある程度はできるようになったけれど、サーフィンだけは簡単に上手くならなかった。だからハマったんです。
眼鏡作りもお金を貯めて、軍資金を作りながら、鯖江に何度も足を運んでみてもダメで。悔しくって。だから意地になって続けたところもあるかもしれないですね。いよいよ『これは素人には無理そうだな』と諦めそうになった矢先に、なんとか一緒にお願いできそうなブランドの方にお会いすることができて。まずサンプル制作をお願いして、『眼鏡を量産して作れるようにするには、どうしたらいいですか?』と相談しながら、デビューしたのを覚えてます」
「順風満帆」とは言い難いデビュー
それでも曲げなかった信念
念願叶ってブランドデビューを果たしたのが2010年。はじめに作ったのが『NEWOLD』というタイプの眼鏡だった。
「僕は古いプロダクトデザインが好きで。18世紀〜19世紀に作られた眼鏡をはじめとするプロダクトの形やバランスや雰囲気に普遍的な美しさがあると思ってるんです。
当時と今で圧倒的に違うのは、技術力じゃないですか。昔はチタン製の眼鏡はなかったのですが、鯖江が世界で初めてチタンを用いた眼鏡フレーム製造技術の確立に成功したんです。だから昔と比べて強度が高くて軽量な眼鏡を作ることができる。
フォルムは古いんだけど、機能は最新。例えて言うなら、クラシックカーを改造する感じです。クラシックなフォルムのままに、燃費のいいものを作っている感じに近いかもしれないですね」
自信を持って作った最初の眼鏡。だが、ブランド立ち上げ1年目は順風満帆ではなかったという。
「眼鏡とサングラスも両方の機能を兼ね備えたものをやりたかったので、サングラスでも眼鏡でもどちらで捉えられてもいいものも作ったんです。
今でこそシャドーが入ってるものをファッションとして当たり前に使っている方がたくさんいますけど、当時卸しに営業にいった眼鏡屋さんからは『矯正眼鏡なの? サングラスなの? こんな中途半端なもの作っても絶対売れないね』って言われて。
僕は『お客さんが決めればいいことです』って思って、クライアントにお伝えしていたんですけど、最初はまったくといっていいほど売れなかったですね。在庫しかなかったです。超問題児を作ってしまったと思って、心折れそうになりましたね」
「それから2〜3年経って気付かないくらい徐々に売れていって。『あれ、最近出てるな』って思いはじめて。今では年間200〜300本作っていて、生産が追いつかないくらい売れています。心折れずに続けていてよかったな、本当に風向きひとつなんだなぁって思いますね」
自分の信念を貫いたことが、そう簡単に世間に受け入れられなかった。そんな状況なら誰しも当然傷つくもの。それでも一度展開した商品を取り下げることはなかった。
「時代の風向きが変わっていった」と、今泉さんは笑うが、先見の明で数歩早い取り組みをしていたこと、そしてそのときの潮流に飲まれないで自分のポリシーを貫き通したことが功を奏したのだ。
『ayame』を通じて、
日本の眼鏡業界を盛り上げたい
6年が経ち、Instagramに掲載された商品はすぐ完売。こぞってファッション誌なども取り上げるような一流ブランドとなった『ayame』。今泉さんはこれからどうなっていきたいと考えているのだろうか。
「ここ最近でようやく眼鏡というもの自体がファッションアイテムとして市民権を得てきたなと感じています。
とはいっても今の日本の眼鏡業界の市場規模は20年前の半分程度なんですよ。洋服の『しまむら』さんあるじゃないですか? 『しまむら』一社の売り上げより小さい市場なんです。
世界からみた場合、市場規模が小さいとどれだけクオリティーの高いものを作っても軽視されてしまう。それは悔しいので、業界をどう盛り上げていくかを考えていますね。
変な話、『ayame』が客寄せパンダみたいにメディアに出るのもそのひとつの手段かなとも思ったりしています。元も子もない話かもしれないですけど、最悪うちで買わなくてもいいんですよね。やっぱり合う合わないはありますし。
まずは『眼鏡って格好いいな』『眼鏡を欲しいな』と思ってくれる方を増やしたいですね。そうして市場規模が膨らめば、鯖江の職人さんに
払われる賃金も増えるし。彼らがある程度潤わない限り、工場の数は減ってしまう。つまるところ僕らのために回してくれる生産機の台数が減ってしまいますから」
自分のブランドの今後について聞こうと思った質問に対して、業界全体のことを言われるとは思っていなかったので、心底驚いてしまった。
今泉さんはどうすれば、眼鏡を楽しんでくれる方が増えるのか、という本質的な考えを常に自問自答しているのだろう。だからこそ、出てくる言葉もシンプルで明瞭だ。
必要なことだけを
淡々と続けていく
『ayame』は現在自前のECサイトで売ることは考えていないという。そこにも確固たるポリシーがある。
「今は必要ないですね。生産数も限られているし、少ない人数でそこまでやるのは無理があるので。僕は自分がいいと思うお店にしか置きたくないんです。売り上げのことを考えれば、いくらでも広げられるかもしれないですけどね。
クリックひとつでものが買えてしまうのって、プロセスとしてはとても簡易的で便利ですよね。だから愛着もその程度だと思ってるんですよ。こういう時代なんでみんなすぐにECやりたがりますけど、『時流に流されちゃってるだけなんじゃないの?』って思うこともあります。
今ではありがたいことに、いろいろな店舗さんからお声がかかっていますけど、全部には応えられないんです。今置かせてもらっている『blinc vase』さんは、箸にも棒にもかからない頃から、リスペクトを持って話を聞いてもらいましたし、高い熱量でコミュニケーションできた。それこそ共倒れしてもいいみたいな覚悟で受注してくださいましたし、そういうところと一緒にやりたいんです。
お店の担当者の方と顔を付き合わせて現場で話をしながらコミュニケーションを進めて、置いてもらうようにする。やってることは単純ですよ、本当に」
「作るもの自体も、あまり意識しすぎないで、機能性とデザインのバランスを見極めてやっていけたらいいですね。
そういえば、このあいだ展示会に来てくれたお客さんに『自分は眼鏡似合わないと思っていたのに、これ似合いますね。やっと自分の顔に合った眼鏡を見つけることができました』と言われたんですよ。
その言葉ってそのまんま自分が眼鏡を好きになった理由と一緒で。自分の欲しい眼鏡がなくて、売られているものだと似合わなと思っていたから『ayame』を立ち上げた。『ayame』がだれかにとって、当時の自分が叶えたかった願望を叶えたのがうれしかったです。
結局は、初心を忘れずにそういう風に使っていただける方のことを思って作るのが一番だと改めて思わせてくれましたね」
どこまでもブレない、ayameのポリシー。
「もちろん、そのときそのときで影響を受けるものもありますし、流されることもありますよ。
去年なんか時流にのってめちゃくちゃ服買ったりしたけど、結局ベーシックなおじいちゃんぽい服しか着なかったし(笑)。突き詰めて考えてみたら去年あんまりサーフィンできなかった反動でしたね。
やっぱりこの歳になると自分自身に必要なものは決まってくるんでしょうね。自分のタンスや引き出しにも限りあるし。必要ないもの持ってもしょうがないじゃないですか」
できるだけシンプルに、必要と思えることをやり続ける。それを実践しているからこそ『ayame』をここまで拡大してこれたのかもしれない。最後に今泉さんの考え方について聞いてみた。
「いろんな方の言葉に耳を傾けつつも、自分自身を客観的に見続けること。自分がそのとき何が楽しいか、自分の置かれている立場がどのようなものなのか、それをいかに客観的に俯瞰できるか。僕の人生のテーマです」
photography:Yukiko Tanaka / 田中 由起子