ニクソン訪中機密会談録【増補決定版】
本書で扱っている「ニクソン訪中会談」というのは、1972年2月21日にアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンが中華人民共和国を初めて訪問し、毛沢東主席や周恩来総理と会談して、米中関係をそれまでの対立から和解へと転換して、第二次世界大戦後の冷戦時代の転機となった20世紀の世界史の中でとても重要な会談の一つです。(Wikipediaより)
この会議を行うことになったアメリカと中国の事情ですが、アメリカでは、当時ベトナム戦争を抱え、その戦争からの撤退を模索していましたが、単なる撤退では戦後築き上げた世界最強国家アメリカとしての威信や自由世界のリーダーとしての面目を保てないという事情があり(つまり、自分達の威信を損なわない名誉ある撤退方法を模索していた。)、また、当時の冷戦構造下において、軍拡競争の相手であるソ連との軍縮交渉も硬直化し、その打開方法を模索していたのです。一方、中国では、フルシチョフが1956年にスターリン批判をおこない、それに不信感を抱いた中国は、ソ連と共産主義運動の方針をめぐって対立、中国とソ連の間に不和が生じ始め、1969年3月に中ソ国境付近の珍宝島(ダマンスキー島)で国境線をめぐる武力紛争が起こります。この中ソ対立はやがて戦争状態に突入すると懸念されるほどの緊張状況を起こします。同じ共産主義国であるのに、ソ連からの援助が期待できなくなるだけではなく、戦争を覚悟するほどの不信の増長と深まる対立。一方で自由主義国に目を向けると、当時はアメリカ(を始めとした自由主義諸国)は、もう一つの中国である台湾(中華民国)を支持していたため、世界的に見て中国存在感はなんとなく台湾の後ろに隠れてしまうような状況がありました。
そういったアメリカ、中国にとってお互いの閉塞状況を打破する最適解がこの「ニクソン訪中」であったわけです。本書は1999年から2003年にかけて機密解除になった当時の会談記録を翻訳したものです。面白かったのは、こうした歴史的会談における雰囲気とか、会議に出席する人物の会話における話題の取り上げ方とか、機転を利かせたジョークとか会話におけるニュアンスです。我々と同じ人間が世界の運命を左右するような会議にあたり、どんな交渉を繰り広げたのか興味ありますよね。
読後私的に思ったのは、「仮にアメリカ軍が台湾から撤退しても(*)、日本軍が台湾へ進攻しないと言い聞かせる、」とか、「日本をソ連と接近させると、アメリカと中国にとって良くない。」とか日本の行動に心配する中国に対し、アメリカは日本を自分の言うことを聞く子分扱いにしていることや、(日米安全保障条約に基づき日本に駐留している)アメリカ軍に対し早期に日本から撤退して欲しいという中国に対して、「我々(アメリカ)が日本に駐留しているからこそ、日本軍のコントロールができるのです、」とか日本人が聞いたら、文句をつけたくなるようなことを平然と当事者たちが話していることです。また、この会談記録を読むと、中国側の交渉を一手に引き受けていたのはやはり、毛沢東ではなく、周恩来であったことがわかったことなどです。(毛沢東は2月21日から28日まで行われた9回の重要会談のうち出席したのは最初の一回だけ)ニクソン大統領が後年出版した「指導者とは」の中でも、周恩来のことを称賛していたいましたが、当時の中国国内は文化大革命のような動乱期、四人組の政治・文化的体制の破壊活動の最中で、周恩来自身も四人組に敵対視されていた状況下(おまけに、健康面ではガンも患っていたはず)で、一人で「大国中国」の看板を背負い孤軍奮闘、アメリカのニクソンやキッシンジャーといった曲者(くせもの)たちをと渡り合ったのは称賛に価すると思います。リー・クワンユーもそうですが、この周恩来も同じアジア人として、とても尊敬できる人物だと思いました。また、こういった会議に出席するトップは皆、それぞれ個性が際立ち、会話もウイットに富んで人間的にとても魅力があると思いました。
(*)当時、アメリカ軍が台湾に駐留していた。
(下:大統領専用機から降り、周恩来総理と握手するニクソン大統領、北京空港にて)