Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

臍帯とカフェイン

「ギジン屋の門を叩いて」⑦奈落の底でも(1:2:0)

2021.02.12 06:52

要 梔子:人探し。小説家。呪われました。

寺門 眞門:店主。男性。いわくつきの道具を売る元闇商人。

猫宮 織部:助手。女性。家事全般が得意です。

 : 

 : 

 : 「ギジン屋の門を叩いて 奈落の底でも。(ならくのそこでも)」

 : 

 : 

 : 

要 梔子:では、あのバカタレはここには来ていないと言うことですね。

寺門 眞門:……ああ。来ちゃいないよ。

猫宮 織部:あ…え…。

要 梔子:では、失礼します。お時間取らせてしまってすみません。

寺門 眞門:まあ、待ちなさい。

寺門 眞門:せっかくお茶を入れたんだ、飲み終えるまで、話をしていってもいいだろう。

要 梔子:……。

寺門 眞門:猫宮さんの淹れるお茶はすごく美味しくてね、かの千利休も飲みたくてたまらなかったと

寺門 眞門:いううわさがあるとか、ないとか。

猫宮 織部:だ、旦那様、さすがに時代が違います。

寺門 眞門:冗句だよ冗句。ほら、座って。

要 梔子:……お断りするのも無粋ですね、頂きます。

猫宮 織部:よ、よかった。旦那様は、ホットミルクです。

寺門 眞門:ありがとー、猫宮さん。

要 梔子:……いいかおり。

猫宮 織部:あ、よかった。静岡県の新茶を仕入れたばかりだったんです!

要 梔子:素敵ね。さわやかなのに、深くて、澄み切った香りがする。

猫宮 織部:えへへ、うれしいです。

寺門 眞門:猫宮さんの淹れるお茶は、ふしぎとまろやかでやわらかな味になるんだよ。

要 梔子:へえ……淹れるのがお上手なのね。

猫宮 織部:そ、そんなに褒められると照れちゃいますよ!

寺門 眞門:ほんとうの事だからねえ、仕方ないねえ。

猫宮 織部:えへ、えへへ、えへへのエンジニアです!!

要 梔子:……仲がよろしいのね。

寺門 眞門:そうかな?そう見えるかね?

要 梔子:ええ、とても。

寺門 眞門:よくできた助手だからねえ、信頼しているよ、私は。

要 梔子:……羨ましいこと。

寺門 眞門:君にも、いるだろうよ。

要 梔子:……「居た」のほうが正しいのではないかしら。

寺門 眞門:そんなことはないだろう。

 : 

寺門 眞門:「獄門 京太郎」。

 : 

要 梔子:……。

寺門 眞門:私の記憶ではね、「獄門先生」。

要 梔子:ええ。

寺門 眞門:聞道(きくらなく)、「耳が聞こえない」はずだったんだがね。

要 梔子:ええ、その通りです。

寺門 眞門:しかし、どうにも、君は、私の声を聴くことができているように思うがね。

要 梔子:……ええ、聞こえています。

寺門 眞門:だましてたのかい?先野橋を。

要 梔子:いいえ。

寺門 眞門:では、どういうことなのだろうね?

要 梔子:「聞こえるようになった」のです。

寺門 眞門:聞こえるようになった?

猫宮 織部:それは、手術とかをされたということですかね?

要 梔子:いいえ。

要 梔子:私の耳は鼓膜などではなく、内耳がぐずぐずに溶けてしまったことによる弊害ですので。

要 梔子:人工内耳を取り付けたところで、聞こえるようにはなりません。

猫宮 織部:そ、それならどうやって。

要 梔子:買いましたの。

寺門 眞門:……買った?

要 梔子:はい。

寺門 眞門:何を……だね?

要 梔子:「聞く力」を。

寺門 眞門:ほう。

寺門 眞門:誰から?

要 梔子:それは言えません。

寺門 眞門:なぜ?

要 梔子:そういうお約束ですので。

寺門 眞門:怪しい商売だな、それは。

要 梔子:あら、貴方が言いますか?それを。「ギジン屋さん」

寺門 眞門:……言葉も出ないね。

猫宮 織部:……本当に、あの「獄門 京太郎」先生なんですか?

要 梔子:?

要 梔子:ええ、そうよ。

猫宮 織部:偽物、とかじゃなくって…?

要 梔子:あら失礼。

猫宮 織部:だ、だって。

要 梔子:貴方も、「人を蘇らせてしまう」力があるんでしょ?

要 梔子:猫宮 織部さん。

猫宮 織部:えっ

寺門 眞門:それをどこで聞いた、獄門。

要 梔子:もうわたしは、獄門 京太郎じゃないの。

要 梔子:生きる価値を与えられた、「要 梔子(かなめ くちなし)」なのよ。

寺門 眞門:どこでそれを聞いたと言っている。

寺門 眞門:「リビングデッド」か?

要 梔子:「リビングデッド」?どなたですか?

寺門 眞門:違うのか

要 梔子:存じ上げませんね。

猫宮 織部:……その「聞く力」を買ったところ、で……?

要 梔子:まあ、そうですね。

寺門 眞門:……「呪い」の力か、それは。

要 梔子:そう、なのでしょうね、恐らく。

寺門 眞門:代償はなんだ?都合よく、耳が聞こえるなどという力を得られるものがあるか?

要 梔子:さあ、どうだってよいのです。代償など。

猫宮 織部:よ、よくないですよ!

要 梔子:しいて言うなれば…今までの人生が「代償」だったのです。

要 梔子:耳というものを奪われ、音のない世界で生き

要 梔子:しまいには、声すらも奪われました。

要 梔子:音の聞こえない私の発する声は、どこか異物じみていて

要 梔子:聞くに堪えないと、何度蔑まれたことか。

要 梔子:いつしか私の声は「文」と「手」だけとなっていました。

要 梔子:ですがやはり、聞こえるというのは良いものですね。

要 梔子:喋れるというのは、こんなにも愛おしいことなのかと。

要 梔子:私、感動致しました。

寺門 眞門:……先野橋は、喜んでいたか?

要 梔子:わかりません。

寺門 眞門:わからない?

猫宮 織部:どういうことですか?

要 梔子:もうあのバカタレのことなど、どうでもいいので。

寺門 眞門:……。

猫宮 織部:ど、どうでもいいって。どういうことですか。

要 梔子:言葉通りの意味ですよ。

寺門 眞門:恋人だったのではないのか?奴と。

要 梔子:ああ、あのバカタレ。そんなことまで話してたんですね。

要 梔子:ええ、恋人でしたね。

寺門 眞門:……奴の書く、恋愛小説を、どう思った。

要 梔子:ああ、「あれ」ですか。

要 梔子:彼、才能ないですよね。

猫宮 織部:そ、そんなことないです!!すごくいい文章で……

寺門 眞門:(割り込むように)奴は才能の塊だった。

猫宮 織部:え?だ、旦那様?

寺門 眞門:獄門、あんたもそれには気づいていたように思うがね。

要 梔子:さあ、なんの事やら。

猫宮 織部:だ、旦那様?

寺門 眞門:……奴の書く文章は、情景も心理描写も、読み手の気持ちを文の中に引きずり込む

寺門 眞門:不思議な魅力を持った物書きだったはずだ。

寺門 眞門:ただ一つ欠点があるとするならば「自分が体験したことをストレートに表現」することしかできない。

寺門 眞門:「1を1として」投球する、阿呆(あほう)の文章だっただけだ。

寺門 眞門:恋人であるあんたの立場から見れば、大事な恋人であり、大事な弟子が持ってくる文章が

寺門 眞門:「自分以外の女」との「愛した軌跡」しか書かれていなければ

寺門 眞門:「くだらない」「才能がない」と一蹴せざるを得ないものだと、そう、思っていたのだがな。

要 梔子:さあ、どうだったんでしょうね。

要 梔子:少なからず彼の書く文章はチープそのものでしたよ。

要 梔子:どうして、彼を弟子にしたのかも、今ではよくわからないの。

寺門 眞門:獄門。貴様、今、小説は書いているのか?

要 梔子:いいえ。

猫宮 織部:えっ、か、書いてないんですか?

寺門 眞門:……獄門、貴様、名前を「要(かなめ)」と言ったな。

要 梔子:ええ。要。要 梔子。

要 梔子:死人にクチナシ、とはよく言ったものよね。

要 梔子:今、クチのある私はもう死人ではない。

寺門 眞門:……「閪(スオ)」だ。

猫宮 織部:「閪(スオ)」?

寺門 眞門:日本ではあまり馴染みの無い漢字だがね、「西」という漢字が「門」を通ると

寺門 眞門:「閪(スオ)」……「失う」という意味になる。

猫宮 織部:え……

寺門 眞門:この女、呪物の影響で名の「西」を取られている。

寺門 眞門:「要」から「にしかんむり」をとって、ただの「女」と成り下がっている。

猫宮 織部:そ、そんなことって

寺門 眞門:「真名」(まな)とはそういうものだ。

寺門 眞門:……こと、作家として真名を隠し、活動をしていたこいつには特に効き目があったのだろう。

要 梔子:なんとでも言ってくれて構いません。

要 梔子:私は生まれてからずっと、弱者だった。負け続けの人生。敗退者だった。

要 梔子:そんな私が唯一戦えたのが、言葉の、「文字の世界」だったというだけ。

要 梔子:何が何でも書かなければならないなんて、そんなものではないのです。

寺門 眞門:馬鹿なことを。

寺門 眞門:あの文学狂い、文学奴隷の先野橋がほれ込んだ相手だぞ。

寺門 眞門:そんな簡単な感情で、文を紡いでいたわけではあるまい!

猫宮 織部:そ、そうですよ。わたし、全部は読んでませんけど

猫宮 織部:獄門先生の本を読むと、胸が締め付けられて、気づいたら涙が浮かんでいて

猫宮 織部:誰かの心を動かすことのできる文章を書いた人が、そんな、そんな軽々しく文を捨てられるだなんて思えない!

要 梔子:わかった風なクチを聞かないでくれ。

要 梔子:何も知らないくせに。わたしの事など、一ミリも知らないくせに。

要 梔子:わたしの書く文章を見るだけで、やれ芥川を彷彿とさせるだの、心の刺激する文だの

要 梔子:きれいなものを扱うみたいに、腫物を扱うみたいに、そんな風に隔離された私の文章が

要 梔子:心を動かす?大概にしろ。

寺門 眞門:「もう二度と君を手放そうとしない。この手がどんなに、奈落の底でも。」

要 梔子:……っ。

猫宮 織部:あ、そのセリフ。

寺門 眞門:先野橋が書いた小説のセリフの一部だ。

要 梔子:……そうね。

寺門 眞門:あいつの小説のほとんどは、あいつ自身のあまったるい恋愛がモチーフになっている。

寺門 眞門:だが、このセリフのある短編だけは、「奴の恋が終わる話」だ。

猫宮 織部:確かに、言われてみればそうでした。

猫宮 織部:夕陽の差す中、名残惜しそうに、抱きしめた二人が離れていく。

寺門 眞門:そうだ。夕陽の落ちる速度と共に、ゆっくりと身体を引きはがし、指のさきまで

寺門 眞門:一秒たりとも離れたくないという心理描写を「手」に集中させている。

要 梔子:チープな表現よ。

寺門 眞門:この物語の、このセリフは、貴様に宛てられたものだろう?獄門

要 梔子:……。

寺門 眞門:現実みのあふれる情景描写が多い、先野橋の文章の中で唯一

寺門 眞門:このセリフにだけ急に「奈落」なんて言葉が使われる。

寺門 眞門:それは、「獄門」の前でたたずむ、「自分は死者だ」と嘆くお前に向けての言葉だったのではないか。

猫宮 織部:旦那様……

要 梔子:そうね、その通りです。あれは私と陽介がまだ学生だったころの話を

要 梔子:あのバカタレが書いたものよ。

要 梔子:でも、だからなんだっていうの?

要 梔子:あのバカタレが才能なしで、私は音を拾うことができた。この事実がただ、そこにあるだけよ。

要 梔子:耳の聞こえない私を、ずっとサポートしてくれたのは感謝してる。

要 梔子:でもそれだけよ。もう。

要 梔子:音の無い私の世界には、彼しか居なかった。だから彼を選んだ。ただそれだけ。

猫宮 織部:そんな、そんなことって……

寺門 眞門:「では、なぜ、先野橋を探す」

要 梔子:それは……

寺門 眞門:どうでもいいのなら、放っておけばいいだろう。

要 梔子:……私のスケジュールの管理はあのバカタレがしてるの。そのためだけよ。

寺門 眞門:ほう。

猫宮 織部:……先野橋さんは、秘書じゃなくて、大事なお弟子さんで、恋人じゃないですか。

寺門 眞門:もういい、猫宮さん。いくら言っても無駄なようだ。

要 梔子:……私は、ずっと苦しんできた。

要 梔子:聞きたい音も、声も聞こえない、街を歩く自分の足音さえも。

要 梔子:わかる?クリスマスシーズンににこやかに連れ歩く恋人たちは、クリスマスソングなんてものを

要 梔子:耳にして、あんなに幸せそうにしている。

要 梔子:バレンタインの活気づき、色気づく街で、愛の言葉がささやかれている。

要 梔子:抱いて、抱かれても、わたしの声は届かないし、「彼」の声も届かない。

要 梔子:どんな、どんな切ない声をあげるのか。どんなに、私で気持ちを高めてくれているのかもわからない!

要 梔子:朝起きて、スズメの声を聴きながらコーヒーを飲む朝にあこがれた。

要 梔子:イヤホンを片耳ずつ使って、ラブソングを聞く恋人たちのコマーシャルを見るたびに

要 梔子:何度も何度も何度も何度も、テレビを叩き壊したい衝動にかられた!!!

要 梔子:わたしには文しかなかっただけ!!わたしには言葉を紡ぐしか能がなかっただけよ!!!

要 梔子:でも今は、なんでも聞ける!!!なんでも話せる!!!!

要 梔子:それを否定しないでよ!!!

猫宮 織部:あ、あの……

要 梔子:なによ!

猫宮 織部:……獄門先生、は……なんで「聞こえ」たかったんです……か?

要 梔子:……え?

猫宮 織部:いや、わかります、よ。そりゃ、音が聞こえない世界は、つらいですよね。

猫宮 織部:でも、その、なにもかもを犠牲にしてもいいって思えるくらい、「音」を欲したのは、なんでなのかなって。

要 梔子:…………。

寺門 眞門:自分で言っていたじゃないか、貴様。

要 梔子:え……?

寺門 眞門:「彼の声」が聴きたかったのではないのか?

要 梔子:……っ。

猫宮 織部:ごく……あ、えっと……要、さん。

要 梔子:……「彼の、声」が、聴きたかった……?

寺門 眞門:「彼」とは。

要 梔子:「彼」……とは。

猫宮 織部:……先野橋さんの、こと、ですよね。きっと。

要 梔子:……そんなはずは……。

要 梔子:そんなはずない、だって……私はあんなバカタレ、もう、どうでもよくて。

寺門 眞門:どうでもいい人物を、探すことなんてせんだろう。

寺門 眞門:スケジュール?そんなもの、手帳を見れば済むことだ。

要 梔子:それ、は……。

寺門 眞門:最後に先野橋を見たのは、いつだね。獄門。

要 梔子:……一昨日の、昼頃。

猫宮 織部:旦那様、それって。

寺門 眞門:ああ、間違いない。商店街で、猫宮さんが掴みかかられた日だ。

寺門 眞門:おい、獄門。

要 梔子:え…………?

寺門 眞門:先野橋を探すぞ。特別サービスだ。

猫宮 織部:戸締りしてまいります!

寺門 眞門:頼むよ、猫宮さん。

要 梔子:え……あ……わたし……。

寺門 眞門:いいか、獄門。わたしはお前の書物は一冊も読んだことはない。

要 梔子:……。

寺門 眞門:だから正直、お前という人物がどんな人物なのか?なんてわからないし

寺門 眞門:心底どうでもいい。

要 梔子:あ……。

寺門 眞門:だがな、獄門。

寺門 眞門:「文学とは尊い」!!!「小説とは尊い」!!!

寺門 眞門:いつか貴様の作品が、巡り巡って「聖書」として扱われる日が来るかもしれない。

寺門 眞門:そんな世迷言を、本気で熱く語る男が傍にいるかぎり、貴様は『敗退者』などではない!!!

要 梔子:あ……あ……

寺門 眞門:「敗」という字が、「門」を出たら。

寺門 眞門:「闝(ヒョウ)」、「女に溺れる」という意味だ。

寺門 眞門:溺れるな、溺れさせるな。お前自身の「1」を、先野橋にぶつけてみせろ。

寺門 眞門:お前も、まごうことなき文学奴隷なのだから!