意味の共創、共創的思考という考え方
最近の妄想の一つで、インターンシップ、採用、ボランティア参加など、マッチングと呼ばれる瞬間を「人と組織がともに意味をつくる場」と捉えたプログラムができないかと思い、先週、藤枝未来型人材育成プロジェクトの場で実験。松田さん、ご感想ありがとうございます!
まだまだ未完成な概念・ワークでありつつ、気づきをいただけたのはとてもありがたい時間でした。
この発想のきっかけとなるエピソードとして、首都圏で働くワーカーが、本業を持ちながらも地方のプロジェクトに関わる動きが生まれ、増え続けている。
例えば、「ふるさと兼業」を経由して、静岡では東京、名古屋、横浜、大阪、千葉など、静岡に縁がなかった方々が、ボランタリー(自発的に、無報酬で)にプロジェクトに参画されている。これは決して新しいことではない。市民活動におけるボランティアははるか以前から、自発的に、有償ではなく無償で活動に関わることは起きていたし、利他的(誰かのために、社会のために)だけではなく、利己的(自分の成長や経験のため)な動機での参画も指摘されている。ただ最近は、本来金銭的な報酬が発生してもおかしくはないレベルの業務内容を、「自らの経験のために」「自分の力試しのために」という目的意識から、「無報酬でも取り組みたい」というワーカーが生まれている。ふるさと兼業を仕掛けるNPO法人G-netでは、こういった金銭報酬ではない経験や成長や学びの対価を「意味報酬」として説明している。
ここから考え方を拡大させ、ワーカーに限らず、例えば大学生が企業でインターンシップを行ったり、あるいは就職をしたり、主婦や高齢者の方がNPOの活動に参画したり、そういったマッチングのあり方、参画の仕方を“「意味」を「共に」つくる行為”と捉えたのが、「意味の共創」である。
従来や現在、マッチングは、労働条件・雇用条件・組織の事情や希望などと照らし合わせ、面接・選考・採用を行うという考え方が前提にある。ここではマッチングは、決して対等な場ではなく、参画を希望する個人側が下位の立場にあり、面接・選考・採用する組織側が上位の立場にある。立場の上下による「見えない力」は、往々にして下位の立場にプレッシャーを与え、本来の力の発揮や意見や考えを発することを阻害してしまう。
これに対して、意味の共創としての捉え方では、組織側の条件や意向は加味しながらも、「この場ではあなたと私たちで、この組織に関わる(働く)意味を共につくる」という観念を前提としてみたい。
この立場を前提とすると、お互いを知り合うところから始まるはずである。個人・組織がそれぞれのことを語りながら、相互理解を深めていく。
そして、「どんな経験・成果が生まれるとお互いによい関わり方となるのか?」「最大限力が発揮される関わり方とは?」という問いが生まれると、対話が生まれ、従来の双方のキャッチボールのような問答ではなく、間に生まれる「意味」を生成していくような場(時間・空間)が構築されていく。選考・採用する/される、上司/部下という形で処理される関係ではなく、共に探究を深め、意味を共創する関係が形成されていくのではないだろうか。
実際に、私が代表を務めるNPO法人ESUNEでは、昨年から「意味の共創」という捉え方でスタッフの採用や関わり方をつくり直す実験を始めた。結果的に、ESUNEで外国人技能実習生を対象としたオンライン日本語サロンを運営することになり、そこに多くの大学生がスタッフとして関わりをはじめ、海外からもボランティアスタッフが参加するようなプロジェクトへと進化している。正直、マネジメントコストは一時的に増加した(当たり前だが、相互理解を深め対話をする分、時間はかかる)が、それ以上の価値をスタッフが作り上げたことが嬉しいし、この「共創的思考」で他者と関わるスタッフが増えていると実感する。
先週の講座では、
「紹介したような、意味を探究するワーカー(意味探究ワーカー)がこれから増えていくと考えると、ワーカーと組織の間をつなぐ仕事の意味付けを問い直す必要がある(働きがいというキーワードと共に指摘)」
「だからこそ、組織側が共創的思考で関わり方や仕事をつくることで、組織や事業のあり方を更新する未来が来るのでは」
という形でお話をさせてもらったが、この「意味を共につくる」共創的思考は、組織経営の視点だけではなく、一人一人がこの世界で大切にされて生きていける社会環境をつくるキーワードにもしたいと、個人的に思っている。
性別や学歴、ハンディキャップなど、社会的・歴史的に形成された固定観念で判定されることが、まだまだこの社会は多い。
そうではなく、一人一人の存在と個性を認め、理解し合い、共に意味をつくる人・組織が増えたなら、私たちはよりよく働ける、よりよく生きられるのではないだろうか。そのキーワードが、「意味の共創」「共創的思考」だと感じている。
妄想は、まだまだ、続く。