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465 周防大島の移民史

2021.02.14 01:05

・大島商船

・夏の海水浴

・ミカン

・瀬戸内海航路の要衝


こういったことはおぼろげに知っていたが、1番知りたかったのは「移民」のこと。


コナコーヒーで有名なハワイ島との人的交流を描写するNHK特番も視聴した。


周防大島のハワイ移民史を知ったのは10年くらい前。昨日、現地の「日本ハワイ移民資料館」に初めて足を運んだ。


ようやく行く気になった。


資料が収集され、初めて知ることばかり。


92歳で逝った父方の祖父が船乗りだった。私が幼少の頃から、神戸から移民を乗せた移民船(大型貨客船)の少年船員だったことを何度も聞かされた。


船乗りを輩出する長崎県島原半島の最南端、口之津(くちのつ)の出。


もう80年も前のこと。初代の「あるぜんちな丸」などに乗ったと話していた。


祖父は船内エンジン部の機関士だったので、移民の方と言葉を交わしたのかどうか。


「棄民」ともいわれる移民政策。資料館のガイドさんは「いろんな目的の移民があった」と教えてくれたが、総じていえるのは、やはり、経済的な「貧しさ」。


約150年前の当時と今。

物資的には恵まれる「今」かもしれないが、国民の多くが数千万円という高額な住宅ローンを背負うことにより、世の経済を回していく「今の世」もまた厳しい。


国も、国民も、ただひたむきに頑張れば、すべてが上向くことを前提とした〝日本丸〟のこの先。天然資源枯渇が叫ばれ続ける地球経済の中で、今後どうなるのか。


働き続けること、稼ぎ続けること、止まるとすべてが終わる人生の過酷さ。今も昔も同じだ。


「移民」をほんの少し学んだ。


行ってよかった。






■「日本ハワイ移民資料館」の展示品。福元氏遺宅が現在、資料館として活用されている