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「宇田川源流 日本万歳!」 あえて「大河ドラマ麒麟がくる」から歴史時代劇に「続編スピンオフ」を求められる歴史の深さ

2021.02.14 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 あえて「大河ドラマ麒麟がくる」から歴史時代劇に「続編スピンオフ」を求められる歴史の深さ


 月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人が毎日経験し、毎日「ふつう」に日常で思っていることに関して、実はその「ふつう」が最もすごいことであり、他の国から考えればなかなかできるものではないというようなことが少なくない。もちろん、日本人からすれば、外国人が何気なく行っていることに関して、すごいとか、まねできないなどと思っていることは少なくない。それが国民性というものであり、もちろん日本だけがすごいというものではないことは十分に承知している。

そのように認識しながらも、日本というのは素晴らしい国であると、ヨーロッパ各国から言われ、また、日本の文化の下に造られたドラマやアニメなどが高く評価されているのは、非常に素晴らしいことであるというように思うものである。まあ、素直にうれしいというように言ってもよいのかもしれない。

毎週月曜日、これから一週間が始まるというときに、そのような内容を皆さんにお届けし、そのうえで、皆さんが元気になっていただければ良いのではないかというような気がするのである。日本というのは、特にマスコミが日本はだめな国だ、日本は良くない国だというようなことを言いたがる。もちろん謙譲の文化があるとか、まだまだだめだといって頑張らせるということもあるのかもしれないが、そのような愛情を全く感じないのは私ばかりではあるまい。残念ながら、そのようなことで自信を喪失してしまったり、日本らしさを失ってしまったような人が少なくない。「日本を失うこと」は良くないのではないか。

さて今回は、普段水曜日に書いていた「大河ドラマ麒麟がくる」の事である。いつも大河ドラマの内容やその背景の歴史について書いていたが、すでに2月7日に最終回を迎え、なかなか好評であった。最終回に本能寺の変というのも素晴らしい内容であったしその描写も素晴らしかった。昨日からは渋沢栄一を題材にした「青天を衝け」が始まっているのだが、そのことも含めて子の大河ドラマを見る側の「日本の視聴者」について書いてみたいと思う。

NHK「麒麟がくる」“続編スピンオフ”可能性に含み「予定はないが、大変うれしいラブコール」

 NHKは10日、東京・渋谷の同局で定例会見を行い、正籬(まさがき)聡放送総局長が今月7日に最終回を迎えた大河ドラマ「麒麟がくる」について「キャストの変更、コロナで収録の停止があった中で、脚本家や出演者、スタッフの皆さまに心からお疲れさまと言いたい」とキャストや制作陣をねぎらった。最終回の放送終了後、主演を務めた俳優の長谷川博己(43)が続編やスピンオフの制作に意欲を示したが、制作担当者は「予定はないが、大変うれしいラブコールだと受け止めている」と可能性に含みを持たせた。

 大河ドラマ59作目。第29作「太平記」(1991年)を手掛けた名手・池端俊策氏(75)のオリジナル脚本で、智将・明智光秀を大河初の主役に据え、その謎めいた半生を描いた。昨年1月19日にスタート。新型コロナウイルスの影響により、途中、約3カ月の撮影&放送休止を挟み、1~12月の暦年制としては史上初の越年放送となった。

 「麒麟」は、王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣。最終回は戦国最大のミステリーにして今作最大のクライマックス「本能寺の変」(天正10年、1582年)を描き、ラストは「山崎の戦い」(天正10年、1582年)で羽柴秀吉に敗れた後も、光秀が生き延びて僧侶「南光坊天海」として徳川の幕政に関わったとの“生存説”に含みを持たせた衝撃のシーン。SNS上も騒然となった。

 最終回の平均世帯視聴率は、初回の19・1%に次ぐ番組2位の18・4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。大河ドラマ最終回の18%超えは、2011年「江~姫たちの戦国~」の19・1%以来9年ぶりの快挙。全44話の期間平均(全話平均)は14・4%で、2016年「真田丸」(16・6%)以来4年ぶりの14%超え。前作「いだてん~東京オリムピック噺~」の8・2%を大幅6・2ポイント上回り“大河復活”を印象づけた。

 長谷川は最終回終了後、番組公式ツイッターにアップされた動画に登場。「最終回、いかがだったでしょうか。僕は最後は、明智光秀は生き延びたんだと信じたいです。こんな今の世の中ですけれども、本当に現実の世界でも麒麟がくるように願って、念を入れるつもりで、ずっと演じていました。その願いが、きっと届いたと思います。もしも、この先が気になるようでしたら、是非、皆さまからのコメントを頂きまして、何か番外編で、またお会いできたら、うれしいなと思います。この後、どうやって光秀は江戸幕府を作ったのか。それができたら、僕も幸せです」とと光秀が生き延びた後を描く“続編スピンオフ”制作に意欲を示した。

2021年02月10日 16時17分 スポニチアネックス

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-960211/

 日本人は歴史が好きである。現在本を書いている「備中聖人」山田方谷(幕末の陽明学者)は、弟子である河井継之助に対して送った言葉の中に「友に求めて足らざれば天下に求む。 天下に求めて足らざれば古人に求めよ。」というものがある。まさに、日本人の場合、何か迷ったことがあれば「同時代に生きている共に意見を求める」そして次に足りない場合は「天下」つまり「世の中の雰囲気などによってきめる」ということになる。そのうえで、まだ何かある場合は「古人に求めよ」と説いているのである。まさに、「歴史に学べ」ということが言えるのが日本である。

この時に「古人」としているのは、もちろん、日本人の歴史に学べということを言っているのである。当然に江戸時代の人であるから、外国に学ぶということはあまり現実的ではないのかもしれない。しかし、基本的に「古人に学ぶことができる」ということは、そのまま「古人も似たようなことを悩んでいて、その同じような問題を乗り越えて現在がある」ということを意味している。つまりは、日本の場合、環境も政治も経済的な内容も、生活も、そのほとんどがあまり変わっていないし、またその歴史が綿々と続いており、その歴史が残っているということを意味しているのである。そしてその歴史を大事にするからこそ、「古人に学ぶことができる」ということ、そしてそれが幕末の状況で、歴史が残っている、個人から学ぶ溶暗状態であったということが素晴らしいのではないか。

そのことは日本人からすれば非常に当たり前だ。歴史も神話もしっかりしたものがあり現在も残っていながら、そのような歴史や神話があることを大事にしないという状況に疑問を抱かない。歴史がない国々の人々や、常に歴史が書き換えられてしまっている国の人々にとっては、そのような歴史があることそのものが羨ましいことであり、また素晴らしさがよくわかるのではないか。

さて、大河ドラマ。「麒麟がくる」が最終回を迎えたのにかかわらず、そのスピンオフを望む声が出ている。ある意味で、「歴史を楽しむ」ということが、一般の人々の間において広まっているということを示すものである。そして、明智光秀がどうなったかということは、少なくとも通説で多くの人が知っている。もちろん歴史のない国であればそのようなことはできないことであることは間違いがない。歴史がない国は歴史の資料を探し歴史を組み立ててゆかなければならない。日本の場合はそのような作業はすべて終わっていて、そしてその歴史の中から「異説」や「民間での都市伝説」を加え、そちらをもとにドラマを作るというような発想が出てきているということになる。そして、「学問としての歴史ではなく物語としての創作の歴史として民衆が楽しむ」というような構造になっているのではないか。つまり「日本人は歴史の楽しみ方を知っている」ということになる。これは日本人が古い歴史があり、なおかつ歴史が広く知られていて、その歴史において楽しむという術を持っているということになる。

「最終回、いかがだったでしょうか。僕は最後は、明智光秀は生き延びたんだと信じたいです。こんな今の世の中ですけれども、本当に現実の世界でも麒麟がくるように願って、念を入れるつもりで、ずっと演じていました。その願いが、きっと届いたと思います。もしも、この先が気になるようでしたら、是非、皆さまからのコメントを頂きまして、何か番外編で、またお会いできたら、うれしいなと思います。この後、どうやって光秀は江戸幕府を作ったのか。それができたら、僕も幸せです」<上記より抜粋>

本物の歴史ではない「異説」がある。その異説のほとんどは「死んだはずの人が生きていた」というような内容であり、その志などを遂げるというような発想になる。もちろん空想などになっているので、物語性に富んでいることは間違いがない。しかし、そのような話ができれば、それはそれで面白いのではないか。

このような話が出来ながら、「歴史を改ざんして不謹慎」などというような話が出ずに、皆が楽しく語れること自体が、日本の素晴らしいことなのではないか。