「あなたがお創りになったのだからどうにかしてください!」
(こうき 50代/トランスジェンダー男性)
僕はもの心ついた頃、なぜ女の子の服なのか聞いたときに、母からものすごく叱られ、北海道の雪の降りしきる中、下着一枚で外に出されました。それ以来、このことは決して口にしてはいけないのだと心に決めて生きてきました。トランスの概念も全くない時代でしたしね。ひたすら自分が変なのだ、女にならなくてはと努力し続けました。
ガチガチのクリスチャンである母には、気味が悪いと言われ続け、女であることを強要され続け、自分もそうでなくてはならないと信じ込み、この人生は死んだものと同じと思い、生きてきました。
幸いにもひどい仕打ちを受けたときに、駆け込むところはイエス様のもとでしたから、生かされて支えられてきたのでしょう。
父には「女なんて男次第でどうにでもなる。教育などいらない」と言われ、父とは生きている間に交わした言葉は10にも満たないくらいです。家族で食卓を囲んだこともありません。母は奉仕活動で家にいることはありませんでしたから。父とは生活時間帯が違うので顔をあわせることもほとんどありませんでした。小学校のころには自分で冷蔵庫を開けて食べられるものを探して一人で食べていました。今でいえばネグレクトと言われても仕方ないかもですね。男の子とどろんこになって遊んで帰った日などは、体中濡れ雑巾で叩かれ、痣だらけで人前に出されないこともありました。
死ぬことばかり考えて生きてきてきました。
しかし、どうせ死んだものならばこの身を全て創り主である神様にお捧げしようと献身しました。「あなたがお創りになったのだからどうにかしてください!」という感じでしょうか。
その両親も亡くなり、両親共に死に目には会えませんでしたが、その後、やっと55歳にして男性としての生活を始め、本来の自分を取り戻しました。
人生も終わりに近づき、やっと手に入れた男としての人生も困難の連続です。理解のある教会にも巡り会えず――というか、黙っていれば行けるのですが、近隣の全教会に知れ渡ってしまったため行けなくなってしまいました。しかし、これも何かのご計画なのだろうと祈り求めております。
女にならなくてはいけないために、結婚しようとしたこともありました。しかし、どうしても気持ち悪く吐き気がして無理でした。母はたくさんの縁談を持ってきました。しかし「これほど自分の子が嫌がっているのに無理やり結婚させることが、お母さんの幸せなのか?」と尋ねたら「そうだよ」と平然と言われました。
そんな母は最後、認知症になり(認知症になるとその人の本来の姿、本性?が現れる)それまでと全く違い、怒ることはおろか、いつもニコニコしており、どの人にも丁寧に挨拶をし感謝の言葉しか出てきませんでした。膝の上にはいつも聖書が置かれており、愛唱歌「キリストにはかえられません」をずっと口ずさんでいました。僕を忘れても誰よりも大切なイエス様と共に本当に歩んできた人なのだなと、その信仰は見事だと思いました。
そのような人がなぜ僕を認めなかったのか、聖書の教えを昔どおりに信じていたからなのか、僕をどう扱ってよいかわからずにどうしようもなかったのか、わかりませんが、亡くなってもなお完全に母を赦せていない自分がおります。そのために訓練されているのかな、と思います。天にいった母は今全てを理解しているはずですから。
僕自身は今は解放され、職場では理解され恵まれております。職場でも差別偏見にさらされている人はたくさんおられるでしょう。でも、世の中はどんどん変わっていってます。今苦しんでいる方々も諦めないでほしいし、特別にご計画されて創られた命、大切にしてほしいです。