「歴史から解放され自由になる」ことを考えるとき
日本人の間で「愛の不時着」とか「梨泰院クラス」などの韓流ドラマに嵌まっているという多くの声があり、若者たちを中心に熱狂的なK-POPファンを自認する人がいるなど、韓国に対して何となく好ましい印象を抱いている人がいるなかで、実際の韓国は、日本人に対しては、とげとげしく、敵対的、非友好的で、心ある日本人には、いたたまれない場所でもある。
普段、生活をしていて、日本人だからといって白い目で見られたり、何か嫌がらせを受けるということはさすがにないが、街のいたるところには、過去の日本統治時代や豊臣秀吉の朝鮮出兵に言及した表示や案内版があり、否応なしに、日本が絡んだ過去の歴史を思い起こさせる仕掛けにあふれている。
ソウルの中心部の「市庁(シチョン)」の徳寿宮(トクスグン)近くの歩道上にある観光案内版に次のような日本語の記述があるのを目にした。
「徳寿宮(トクスグン)石垣と赤いレンガの近代式建物が調和を成した空間―チョン洞。長くて暗い日帝強占期を控えた1900年代初、チョン洞の街は帝国主義諸国の野心と様々な文化が共存する場所でした。各国の領事館があり、外交使節団が泊まっていたホテル、危機に苦悩した高宗もいましたね。悲しいけど美しい、派手だけど暗い1900年のある日のチョン洞へ皆さんをご招待します。」
この観光案内版の目的は、かつての王宮・徳寿宮をぐるりと巡る「トルダムキル(石垣道)」と呼ばれる遊歩道周辺の貞洞(チョンドン)という地域にある英国公使館やロシア公使館跡、カソリック教会や外国系の学校やホテルなど1900年代の雰囲気を知ることができる建物など11か所を尋ねるルートを紹介したもので、案内版には『1900年代のモダンタイムズへ旅立つ時間旅行』と小洒落たタイトルさえ付けられている。単なる昔日を回顧する歴史的建造物群の観光案内に過ぎないともいえるが、この解説文を読んで日本人なら、どう感じるだろうか?
「長くて暗い日帝強占期を控えた1900年代初」とあるので、少なくとも韓国併合前の1910年以前のことを言っていると思われる。同じ案内板の英語表記では In 1900s before the long and dark Japanese colonial period と記し、中国語でも「還未到漫長且陰暗的日本植民統治時期的1900年代初期」となっているので、韓国併合前の1910年以前であることは間違いないが、「長くて暗い日本統治時代」をはっきりイメージづけようとしている。しかし1910年以前は、日本の直接支配が及んでいる時期ではなく、貞洞地区を説明するためだったら、不要な記述で、「暗くて」「悲しい」日本は、関係ないのではないか。
そもそも、徳寿宮周辺の貞洞(チョンドン)地区には、日本に関連する建物はなく、かつて慶運宮(キョンウングン)と呼ばれ、廃墟となっていた一帯は、西洋諸国と国交を開いたあとは、王室が周辺の土地を次々に手放し、それらを英、米、ロシア、ドイツなど西洋諸国が手に入れた。観光案内版にあるとおり、それらの土地には、公使館やカトリック教会、外国人が設立した学校やホテルなど西洋建築が集中し、当時、もっとも西洋化、近代化した地域、いわば外国人居留地・租界地のようになっていた。
しかし、そうした地域に日本が入り込む余地はなく、日本統治時代も含め、日本人が集中したのは、今の明洞(ミョンドン)や南山(ナムサン)など中心部から離れた南側の地区だった。つまり、貞洞地区を紹介するのに、「長くて暗い日帝強占期」は本来、関係ない。むしろ強調すべきは、案内版にもあるように、「1900年代初、帝国主義諸国の野心と様々な文化が共存する場所だった」という一点に尽きるのではないか。
この観光案内版を製作し設置した観光当局の、「長くて暗い日帝強占期」、「悲しいけど美しい、派手だけど暗い1900年」と表現した意図は何なのだろうか。
「危機に苦悩した高宗」という言葉もあるので、ハーグ密使事件(1907年)のあと日本によって退位させられた第26代国王で大韓帝国初代皇帝・高宗への恨み節も聞こえてきそうだが、帝国主義諸国の進出に何の対抗手段もとらず、むしろロシア公使館に1年間も逃げ込んだだけでなく、フランスやアメリカ公使館への避難や亡命を画策するなど、「七館播遷」と呼ばれるほど、帝国主義国の庇護を求めて右往左往したのが高宗だった。(パク・チョンイン著「売国奴高宗」)
この観光案内版の表記に従えば、日本統治35年が「長くて暗い、悲惨な時代」だと証明するためには、朝鮮時代500年は美しい文化が花開き、誰もが幸せな時代だったという前提がなければならない。しかし、実際は、イザベラ・バードが「朝鮮には二つの階級しかない。盗む側と盗まれる側だ。両班など官僚機構は公認の吸血鬼であり、人口の5分の4を占める下人(ハイン)は文字通り『下の人間』で吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする」(『朝鮮紀行』講談社学術文庫、位置No.7547)と書いているように、古代奴隷制身分制度のまま、搾取階級である両班以外は名前を持つことも、字を習うことも許されず、家畜のように売り買いされる存在だった。何も体を動かさないことを誇りとした怠惰な両班が支配する国に、高度な文化や技術、商業が発達するはずもなく、江戸時代に歌舞伎や浄瑠璃、洒落本や浮世絵など数多くの大衆文化が咲き誇り、琉球から蝦夷地まで全国規模の商業ネットワークが機能し、精緻な工芸などさまざまな技術が発展した日本とは比べようもなかった。
「長くて暗い、悲惨な時代」は李氏朝鮮500年であるはずなのに、憎くてたまらない日本統治35年をわざわざ持ち出し、自分たちの固定観念を補強させ、日本人を含め世界の旅行客に対し、日本統治時代の「悲惨さ」と「不義不当」をイメージさせようとしている。
これだけではない。ソウル市内を歩いていると、道路脇に「かつて抗日義士が爆弾を投げた場所」、「抗日義士が日本の官憲と銃撃戦を行なった場所」などと書いた小さな石碑や立て看板が置かれている。そうした銃撃戦を演じた独立運動家の銅像が公園の真ん中に立ち、手榴弾を投げつける構えをとった独立運動家の大きな像がソウル駅や孝昌公園にあり、伊藤博文を暗殺した安重根や上海で爆弾を仕掛け日本の要人を襲撃した爆弾犯・尹奉吉の「偉大な功績」を顕彰する大きな記念館があり、金九や安昌保など日本に対するテロ活動を指示した上海臨時政府の幹部の記念館など、抗日・反日の歴史を示す建造物、記念碑、銅像の類いは、それこそ注意して歩けば、街にあふれていることがわかる。
かつてこのブログでも書いたが、今の韓国は、そうした抗日・反日の暴力活動を賞賛し、顕彰し、それを現在の政権の存立基盤にもしている国なのである。
<当ブログ2019/4/16「韓国はテロリストを賞賛・顕彰する国家だ」>
それにしても朝鮮日報東京特派員李河遠(イ・ハウォン)記者が書いた2月13日付けコラム「『十五円五十銭』を練習する在日韓国人」には、日本人として度肝を抜かれた。
日本で生まれ60年あまり、完璧な日本語を話すある在日韓国人2世が「日韓関係が最悪の状況に向かうと、『十五円五十銭(じゅうごえんごじっせん)』と発音してみる習慣がついた。私の発音が本当の日本人と同じか確かめてみるのだ」と話したという。関東大地震(1923年)の直後、「朝鮮人が暴動を起こし、井戸に毒を入れた」などのデマが広がると、各地に自警団が組織され、朝鮮人らしき人を見つけると「十五円五十銭と言ってみろ」と怒鳴りつけ、正確に発音できないと、その場で虐殺した、という在日の人々の間で語り継がれている故事が背景にある。現代の日本人が「十五円五十銭」などという言葉を使うはずもなく、韓国人には「ざじずぜぞ」の発音が難しいという事情を知っている日本人もそんなに多いとも思えない。記者が「まさかそんなことが再び起きるだろうか」と問い返すと、彼は「一寸先も見えない状況が続けば、10年後に私のような在日たちの生活はどうなるかわからない」と真顔で答えたという。
冷静に考えて、現在の現実の日本人が在日韓国人を平気で殺害する人間だと考えているとしたら、本人の精神的な健康のためにも、いますぐに日本を離れてよその国に移住したほうがいい。われわれ日本人にとっても、本気でそんなことを考えている人がすぐ隣に暮らしていると思ったら、そっちのほうが不気味でいたたまれない。
しかし、朝鮮日報の李河遠という特派員は、こんな話を本気で信じて記事にしたのだろうか。記事の中で、韓日関係を「銃声のない戦争」だと表現し、関東大震災で犠牲になった朝鮮人被害者を何の根拠、出典も示さずに「6000人以上の韓国人に対する人種虐殺が歴史に記録されている」と記しているところを見ると、歴史をいいように材料に使い、韓国の読者に反日感情を煽り立て、日韓間の亀裂を深めようとしているとしか思えない。
因み関東大震災における朝鮮人の推定犠牲者については、数百人から約6000人まで諸説あり、6000人以上だという数字は、当時の上海臨時政府機関紙「独立新聞」1923年11月5日付けに記載があるだけで、日本の史学者山田昭次は、不正確な数字だとしている。<Wikipedia 関東大震災朝鮮人虐殺事件>
一方、日本政府は平成29年11月10日、初鹿明博衆院議員提出の「関東大震災における朝鮮人虐殺に関する質問書」に対して「関東大震災に際し、流言蜚語による殺傷事件が発生し、朝鮮人が虐殺されたという事実」、「関東大震災に当たって発生した殺傷事件による犠牲者の総数」、「政府として把握している犠牲者の数」については、調査した限りでは、政府内にそれらの事実関係を把握することのできる記録が見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である、と回答し、この政府答弁が日本の公式的な立場となっている。
さらに、朝鮮人虐殺はなかったと否定する工藤美代子「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」(産経新聞出版2009年)という本さえある
韓国の人たちがどう思っているかは知らないが、日本人にとっては「歴史づかれ」とでもいうか、1世紀以上、4、5世代以上も前の、しかも韓国人たちの言い分も不確かで真実性がなく、今さら責任を取れと言われても取りようもない過去に関する議論に、いつまでも付き合いきれないという感情がある。しかも、次の世代にも永遠に謝罪を続けさせるようとする韓国側の意図は、今のわれわれの世代で断絶させるべきだという思いは、安倍前総理だけでなく、多くの日本人の共通の本音でもある。
『反日種族主義』の編著者・李栄薫氏はかつて、その著書『大韓民国の物語~韓国の「国史」教科書を書き換えよ~』(永島広紀訳 文藝春秋2009)のなかで、「大韓民国は『歴史問題』で風邪をひいています。かからなくてもいい風邪に意味もなくかかっているのです」として、次のように述べている。
「歴史観を明るく健康なものにすれば、風邪はたちどころに治るでしょう。悪夢にうなされていたものが、たちどころに明るい陽ざしの朝を迎えた気分になるでしょう。(中略)だから歴史観を正す必要があるのです。いいえ、歴史そのものから自由になる必要があるのです。先進的な人間とは歴史から解放された自由人のことなのです。」(同書p330)
そろそろ、歴史に手足を縛られ、未来に自由に羽ばたけない時代は終わりにすべきだと思うが、日本人がこれを言ったら火に油を注ぐだけなので、韓国人の良心と覚醒に待つしかないが、そんなことは一片も期待できないのが現実なのだ。