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源法律研修所

敬称

2021.02.17 01:10

1 西洋の敬称の特徴その1

 英語を勉強し始めた頃、日本語では、〜様、〜殿という風に、名前の後ろに敬称を置くのに対して、英語では、Mr.〜、Mrs.〜という風に、名前の前に敬称を置くのが不思議だった。

 語学の才能がないのに、こんなことに一々こだわるから、ますます語学が苦手になったのだが(苦笑)、それはさておき、欧米の映画やドラマで、「Mr.」と呼ばれた医師又は教授が「Dr.〜」又は「Prof.〜」と訂正する場面を時々見かけるに及んで、西洋が階級社会であるが故に、彼我双方が最初に階級を確かめ合う必要があるため、名前の前に敬称を置くようになったのだろうと考えた。子供の思い付きだから、果たしてこれが正しいかどうかは分からないが、今でも当たらずと言えども遠からずだろうと思っている。


 大学でフランス語を第二外国語として選択して知ったのだが、フランスでは、貴族制度が法的に完全に廃止されているのに、今でも貴族が歴然と存在し、きちんと敬称を付けて呼ばねばならないし、また、同じ貴族であっても、①旧体制(アンシャンレジーム)からの貴族、②王政復古からの貴族、③皇帝ナポレオンからの貴族、④ローマ教皇による貴族を区別し、パーティーの招待客がどの貴族であるかを頭に入れておかねば、ホスト役が務まらないほど、神経を使うそうだ。

 例えば、Charles de Gaulleシャルル・ド・ゴール(フランス第18代大統領)の苗字には、前置詞「de」が付いている。「de」は、英語の「of」に相当するものだ。ゴール(ガリア。フランスの古称)「の」シャルルという意味になる。源「の」頼朝と似ていて面白い。

 日本人は「苗字→名」なのに、西洋人は「名→苗字」で、順番が逆なのが不思議だったが、西洋人の苗字の前に「of」を付ければ明らかなように、文法上の違いに由来すると思われる。これも思い付きだから、本気にしないでいただきたい。

 苗字に付けた「de」のことをparticules de noblesseパルティキュール・ド・ノブレスと言って、①旧体制下では、法律で貴族の苗字に「de」を付けることになっていた名残りだ。フランス革命によって貴族の特権が廃止されたため、フランス革命後に貴族になった人の苗字には、「de」が付いていない。

 ちなみに、Honoré de Balzacオノレ・ド・バルザック(小説家)の苗字には、「de」が付いているが、これは貴族を気取って付けているだけだ。如何にもバルザックらしい。笑

 現在、苗字に「de」を付けているフランス人の半数が、このような偽貴族だ。そこで、貴族の相互支援及び貴族かどうかを調査・認定することを目的とした「フランス貴族相互支援協会(Association D'Entraide De La Noblesse Francaise)」という民間団体が存在する有様。

 まあ、それぐらいフランスは、厳しい階級社会なのだ。なのに移民を入れてしまったものだから、何かあるたびに暴動が起きるわけだ。やれやれ。。。

 このように西欧では、イギリス、オランダ、スペイン、スウェーデン、デンマーク、ベルギーという王国のみならず、王政・貴族制を廃止したフランスでも、社会に階級制度が厳然として残っている。

 ここが日本と異なる。例えば、我が国にはかつて華族制度があったが、戦後廃止され、今では旧華族に対して、フランスのように爵位を付けて呼んだりしない。


2 西欧の軍隊の階級制度と社会構成

 ところで、軍隊の階級をご存知だろうか?

 野良犬の「のらくろ」が二等兵から出世していく『のらくろ』という漫画・アニメや、『コンバット』などの戦争ドラマ・映画(私が子供の頃は、昼間からテレビでよく放送されていた。)のお陰で、軍隊の階級は、我々昔の子供の常識だったが、今のお若い方はご存知ないかも知れないので、老婆心ながら簡単に説明する。

 軍隊の階級の種類は、時代や国によって異なり複雑だが、大雑把に言えば、将官(大将、中将、少将)、佐官(大佐、中佐、少佐)、尉官(大尉、中尉、少尉)、下士官(曹長、軍曹、伍長)、(兵長、上等兵、一等兵、二等兵)の5つに分かれ、将官から尉官までが将校又は士官と呼ばれる。兵のことを兵卒と呼ぶこともある。

 ちなみに、欧米では、将校用の食堂と下士官・兵用の食堂が明確に区別され、別々に設けられている。将校が貴族によって独占されていた時代の名残りだ。自衛隊へ出講した際に確かめたのだが、自衛隊も、欧米を見習って、食堂が別になっている。大学の教職員用食堂と学生食堂が別なのと同じだ。

 

 さて、イギリスでは、将校の場合には、現役の軍人ではないのに、軍隊の階級が敬称としてそのまま用いられている。これも昔、将校が貴族によって独占されていたことの名残りだろう。

 例えば、昔、NHKで放送されたデヴィッド・スーシェ主演の『名探偵ポワロ』(Gyao!で無料視聴可。原作に最も近く、時代考証もしっかりしているため、エリザベス女王陛下のお気に入り。)でも、ポワロの友人であるヘイスティングスは、負傷により予備役となったのに、Captain Arthur Hastings(アーサー・ヘイスティングス大尉)と軍隊時代の階級が敬称として用いられている。

 キャプテンと言えば、記憶に新しいのが、100歳の誕生日を前に、英国民医療サービス(NHS)を支援するため、自宅の庭で約25メートルを歩行補助具を使って1日5往復する募金活動を行なった結果、約47億円を集めた功績により、エリザベス女王陛下からナイトの称号を受け、今年1月31日に100歳で亡くなったCaptain Tom Moore(トム・ムーア大尉。正しくは、Captain Sir Thomas Moore)だ。退役軍人なのに、大尉という敬称で呼ばれていた。戦勝国イギリスでは、軍人・退役軍人が尊敬されている証拠でもある。

 ちなみに、ケンタッキー・フライドチキンの創業者で、我国では「カーネルおじさん」という変な愛称で親しまれているColonel Sandersカーネル・サンダースの「カーネル」は、本来は「大佐」という意味なのだが、ケンタッキー州から地域に貢献したとして贈られた名誉称号にすぎず、サンダース氏は軍人ではない。

 日本の自治体が、ケンタッキー州を見習って、地元に貢献した住民に「大佐」の名誉称号を贈ったら、軍国主義だとマスコミから袋叩きになるだろうが、世界的に見れば、現代日本の軍隊アレルギーの方が異常なのだ。西洋では、軍隊の階級と社会構成には互換性があるため、軍隊アレルギーが希薄だからだ。


 敬称からは話がずれるが、軍隊の階級と社会構成の互換性については、ルネサンス史がご専門の京都大学名誉教授会田雄次先生の『アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界』(中公新書)が示唆に富む。

 京大を卒業して大学講師をしていた会田先生は、徴兵され、一兵卒としてビルマ(現在のミャンマー)に送られ、所属の歩兵連隊が全滅寸前のところで終戦となり、イギリス軍の捕虜収容所に収容された。本書は、この約2年間の捕虜生活を歴史家の透徹した目で描いた比較文化論の名作だ。


 会田先生によると、イギリス軍の階級制度は、日本と異なり、一般の社会構成をかなり正確に反映させているそうで、一般人が応召した場合、短期の訓練期間を経て、元々の社会的地位にふさわしい階級を受けて、それに適合した兵種に配属されるそうだ。

 例えば、会田先生が捕虜収容所で働かされていた作業場には、造船工場から召集されたイギリス人が多くいたそうで、元の造船工場の階級がそのまま適用され、職工組合長は伍長、会計係長は中尉、会計課長は少佐、工場長は大佐、技師は大尉や中少尉という具合だったらしい。ホワイトカラーは将校で、ブルーカラーは下士官・兵なのだ。


 ずるい、差別だと思われるかも知れないが、階級の高い人は、その階級にふさわしい重責を担わなければならない。国難に遭っては、己の命を捨てて率先して国のために尽くすことが求められるわけで、それはそれで大変であって、高貴なる精神と覚悟が必要だ。

 英文学がご専門で慶應大学教授の池田潔先生の『自由と規律』(岩波新書。戦前、池田先生がイギリスのパブリックスクールの生徒として青春を過ごした日々を綴り、英国流の自由が規律の中で育まれることを解き明かした名著。岩波新書の中で唯一クスッと笑える本。)の中に、パブリックスクールの講師と生徒が自転車旅行中に、開戦の報を聞くや否や、その足で直ちに軍隊に志願した話が出てくる。

 映画『風と共に去りぬ』にも、アメリカ南部の大地主の子弟たちが、王侯貴族さながらの贅沢な生活を謳歌しているのに、いざ南北戦争が始まらんとすると、こぞって軍隊に志願し、死地へ赴く場面があったかと記憶しているが、これもnoblesse oblige ノブレス・オブリージュの精神・騎士道精神が脈々とアメリカ人の上流階級に受け継がれているエピソードだ。

 1833年からイギリスの支配下にあるフォークランド諸島に、1982年4月2日、当時軍事政権だったアルゼンチン軍が上陸し、イギリス軍と武力衝突した結果、アルゼンチン軍は6月14日に降伏した。アルゼンチン軍は649人、イギリス軍は255人の戦死者が出た。このフォークランド紛争には、イギリス王室のアンドルー王子も、イギリス軍のヘリコプター副操縦士として参戦している。

 

 このように軍隊の階級制度が社会構成を反映させているのは、何もイギリスに限ったことではなく、西欧では皆そうだった。おそらく都市国家の時代から連綿と続く伝統だと思われる。

 前述したように、もともと西欧では、原則として、貴族でなければ将校になれなかった。それ故、戦争は惨酷ではあったが、そこには騎士道精神がみなぎり、祖国のため、死して名を残さんと勇敢さと技量を競い合った。

 例えば、第一次世界大戦は、毒ガスや戦車が投入されるなど、大量殺戮が行われた嫌悪すべき総力戦だが、当時の戦闘機乗りは貴族の将校だったから、騎士道精神に則って空中戦を戦った。この空中戦は、惨(むご)たらしい戦場に咲いた一輪の最後の華であり、徒花(あだばな)だった。これ以降、戦場に騎士道精神が蘇(よみがえ)ることがなったからだ。宮崎駿のアニメ映画『紅の豚』をイメージすると分かり易いだろう。

 ちなみに、ナチス・ドイツの戦車隊を率いて連勝し、英国チャーチル首相をして「ナポレオン以来の戦術家」と言わしめ、「砂漠の狐」の異名を持つ名将ロンメル元帥(「元帥(げんすい)」というのは、大将のさらに上の階級。)は、中産階級出身であるが故に、下士官候補生として入隊し、苦学して士官学校へと進んで将校になり、苦労の末に中産階級出身者として初めて元帥に上り詰めたのだが、戦時下だったからこそかかる大出世ができたのであって、平時であれば、士官学校に入学できたとしても尉官止まりだったのではなかろうか。


 ところが、旧日本軍の場合、徴兵されると、ホワイトカラーだろうが、ブルーカラーだろうが、みんな一律平等に二等兵からスタートする。私の伯父も、徴兵され、大卒のホワイトカラーなのに二等兵からスタートして終戦時は曹長だった。大卒の二等兵なんて、イギリス軍ではあり得ないことだ。

 会田先生は、捕虜収容所で時々通訳のような仕事もやらされたので、イギリス軍将校から何者だと質問され、京大を出て、カレッジの講師をしていたと答えたら、大学を卒業した男が兵であるはずがない、講師であれば中尉以上のはずだ、お前は英語の訓練を受けた特殊工作員ではないかと疑われ、酷い目に遭わされるのが常だったそうだ。こんな下手な英会話しかできない特殊工作員がいるはずがないのに、悲しいかな、英会話力不足から日本軍の特殊性を説明し納得させることができなかったらしい。


 この点を捉えて、会田先生は、旧日本軍の階級制度が一般の社会構成を反映させていないのは、旧日本軍の特殊性だとおっしゃっている。

 ブルジョア国家であれば、ブルジョアが軍隊を支配しているはずなのに、日本では軍隊を支配しているのは職業軍人だから、旧日本軍は、封建社会、少なくとも絶対主義社会だと主張しておられる。


 しかし、お言葉を返すようで恐縮だが、旧日本軍を支配していたとされる職業軍人になるための陸軍士官学校も海軍兵学校も、明治天皇が五箇条の御誓文でお誓いあそばされた四民平等に基づき、全ての国民に平等に門戸が開かれ、貧乏人であろうが、江戸時代の低い身分の者であろうが、陸軍士官学校や海軍兵学校に合格しさえすれば(東京帝国大学よりも難関だったが。)、誰でも将校になれたし、実際になっている。例えば、朝鮮人(当時は、日韓併合により日本人)の洪 思翊(こう しよく)氏は、陸軍士官学校を卒業して、朝鮮名のまま陸軍中将まで昇進しているわけだから、封建社会だ、絶対主義社会だというのは、一面的だと思われる(なお、マスコミは、創氏改名を強制したとまことしやかに報道しているが、それが明白な嘘であることは、洪中将の存在が証明している。)。


 このように旧日本軍は、階級制度に一般の社会構成を反映させずに、徴兵された下士官・兵のみならず、将校についても四民平等を貫いており、このような軍隊は西洋になかった。この意味で、旧日本軍は特殊だと言えよう。


 世界一強い軍隊は如何なるものかという問いに対して、「アメリカ軍の将軍とドイツ軍の参謀と日本軍の下士官・兵で構成された軍隊が世界最強だ」と言われることがよくある。

 日本人のいわゆる民度が元々高かったことに加え、騎士道精神と並び称される武士道精神が士族のみならず広く一般庶民にも浸透していたこと、旧日本軍の場合、徴兵されると、ホワイトカラーだろうが、ブルーカラーだろうが、一律平等に二等兵からスタートするからこそ、日本の兵隊は世界一優秀だと評されてきたとも言えるのではなかろうか。


 ちなみに、会田先生は、イギリス兵は算術ができないと述べておられる。亡父も、進駐軍のアメリカ兵の多くは、自分の名前すら書けず、図体がでかいくせに背中を丸めて手で隠しながら、恥ずかしそうに給料の受取サインの代わりに◯や×を書いていたし、両手の指を使って計算していたと言っていた。

 旧日本軍の兵隊で、読み書き算盤ができない者はいなかったことに鑑みると、如何に旧日本軍の兵隊が優秀だったかが分かろうというものだ。現代戦において、知的レベルの差は戦力差に直結する。換言すれば、西洋では、知的面で階級差が著しいことを物語っている。

 

 階級差は、知的面に止まらない。会田先生によると、イギリス軍の将校と下士官・兵は、階級章以外は同じ軍服なのに、遠目からでも容易に判別できたそうだ。将校は、背が高くて体格が良いからだ。身長が175cmの会田先生よりも背が高いイギリス軍の下士官・兵は少なく、逆にイギリス軍の将校のほとんどは、会田先生よりも背が高い大男だったそうだ。

 イギリス軍将校は、パブリックスクールや士官学校でフェンシング、ボクシング、レスリング、ラグビー、ボート、乗馬などの訓練を受けているから、将校と兵隊が一対一で戦えば、たちまちにして兵隊は打倒されるだろうと思うぐらいに、決定的な体格差があったらしい。そのため、会田先生によると、かつて労働運動をやっていた戦友が「なるほど、プロレタリアは団結しなければ勝てないはずだ」と言ったそうだ。笑

(マルクス エンゲルス『共産党宣言』には、冒頭に「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」とあり、末尾に「万国のプロレタリア団結せよ!」とある。)


 確かに、西欧の将校は、背が高くて体格が良いし、背筋がピンと伸びていて、動作が機敏でありながら優雅で貫禄がある。

 子供の頃に白黒テレビでリアルタイムで見たシャルル・ド・ゴール大統領は、年老いていたが、背が高くて、背筋がピンとして、何ものをも寄せ付けぬほど、威風堂々としていた。「これが将軍か!」と子供心に畏敬の念を抱かせるほどだった。今でもその凛とした姿が瞼に焼き付いている。

 ちなみに、ノルマンディー上陸作戦を豪華俳優陣で描いた映画『史上最大の作戦(The Longest Day)』に登場したド・ゴールは、ナチス・ドイツに敗れて、ロンドンで亡命政権「自由フランス政府」を作って、フランスに残るレジスタンスと共闘する気位が高くて神経質で協調性に欠ける陸軍軍人として描かれていたが、ド・ゴール氏が若かりし頃、ペタン元帥の求めに応じて並み居る将軍たちを相手に陸軍大学で行なった講演をまとめた『Le fil de L'epée剣の刃』(葦書房。現在は、絶版。残念なことに、我国では、良書ほど直ぐに絶版になる。)は、軍人論・軍事論の白眉であり、ド・ゴール氏が天才であることは、本書を読めば明らかだ。凡人には協調性に欠けるように映ったのだろうが、天才故の孤高の人だったというのが真相ではなかろうか。

 ド・ゴール大統領の写真を載せておく。子供の頃に見た「フランスの英雄」をよく伝えている写真だ。



 これに対して、旧日本軍の場合、将校と下士官・兵との間に著しい体格差がないことは言うまでもない。


 このように西洋は、厳格な階級社会なのだ。それは、マルクスが言うような生産手段の有無や貧富の差にとどまらない。王族は王族同士で結婚するように血筋・家柄(日本では、必ずしも重視されない。例えば、生類憐れみの令で有名な第5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院は、八百屋の娘だ。)、発音や言葉遣い、礼儀作法、教養・学歴、体格、スポーツ、趣味嗜好、紅茶を淹(い)れる際にミルクが先か後かなど、あらゆる面で細かで厳密な階級による差がある。我々日本人の想像を絶する。

 西洋の政治思想(ex.共産主義、社会主義、無政府主義)や法理論(ex.平等論)は、かかる厳しい階級社会を憎悪し、その破壊を目論むものが多く、これをそのまま日本に移入することは、症状に合わない薬を処方するようなもので、日本社会を麻痺させ死に至らしめる毒薬として作用することに注意しなければならない


 なお、軍隊の話をしているからといって、私が軍事オタクや軍国主義者であるかの如きレッテルを貼るのは、どうかおやめいただきたい。私は、自衛のためには戦わなければならないと考えてはいるが、現代戦を心底嫌悪しているからだ。

 臣籍降下以来、我が先祖は、江戸時代を除き、兵を率いて戦場を駆け巡り、みな討ち死にしている。討死、討死、と系図には代々記載されている。幼き頃は、武門の家に生まれた以上、私も先祖のように華麗なる甲冑を身につけ、愛馬に騎乗し、戦さ場で雄々しく戦い、雄々しく死んで名を残したいと夢想したことがあるが、現代戦ではそれは到底叶わぬことをすぐに覚った。

 この点、最も尊敬すべき政治家の一人であるウィンストン・チャーチル首相も、次のように述べている。

 「従来、残酷であるが壮麗でもあった戦争は、今や惨酷汚穢なものとなった。まったく嫌なものになってしまった。これみな、デモクラシーと科学の罪と言わずして何ぞや。この二つのおせっかい者というか、撹乱者が、実戦に参加することを許された瞬間から、戦争の運命は決した。ごく少数のよく訓練された武士が、昔ながらの武器と錯雑美麗な機動をもって、国を代表して戦い、始終国民の賞賛を背後に背負うということがなくなって、今や国民全体が、婦女子までも含めて、お互いに鬼畜の如く麈殺(みなごろし)し合い、あとには目の霞んだ事務員だけが残って、戦死者名簿を作るというわけだ。デモクラシーが戦場に登ることを許されて以来、ーあるいは乗り込んできたというほうが適当だーそれ以来、戦争は紳士の競技でなくなった。地獄へ行けだ。」(W.チャーチル著、中村祐吉訳『わが半生』(角川文庫)78頁。ルビ:久保。偉人たちの自伝の中で、本書が最も面白い。)。

 全く同感だ!

 チャーチル首相も、貴族として生まれた以上、先祖のように、祖国のために、雄々しく戦い、雄々しく死に、後世に名を残したかったのだろう。チャーチル首相は、パブリックスクールを卒業後、3度目の挑戦で士官学校に合格し、成績不良で父が望む歩兵科ではなく騎兵科の士官候補生となり、士官学校卒業後、軽騎兵第4連隊に配属され、大手柄こそ立てられなかったが、実際に馬に乗って、ピストルを放ち、剣を抜いて戦場で戦っている。騎兵(甲冑を身に付ける重騎兵と身に付けない軽騎兵に分かれる。)が活躍した最後の時代だった。

 ちなみに、チャーチル首相と言うと、ブルドッグのような風貌を思い浮かべるだろうが(笑)、お若い頃は、なかなかどうしてハンサムだった。青年将校だった時の写真を載せておく。初めて見た時は、我が目を疑った。笑

 ついでにお話ししておくと、昔の軍服が、上記写真のように煌(きら)びやかなのは、戦場という男の晴れ舞台の衣装であるということもあるが(死装束でもあるが)、銃を撃つと硝煙でまるで煙幕を張ったようになって、敵味方を判別できないためだ。

 銃が改良されるにつれて、派手な軍服は、逆に目立ってしまって、敵の標的になるため、地味で目立たないものに変わってしまった。


3 西洋の敬称の特徴その2

 ずいぶん話が横道に逸れてしまったので、敬称のお話に戻すとしよう。

 

 西洋の敬称は、直敘(じきじょ。感想や想像を加えないで、ありのままを述べること。)であるのに対して、日本の敬称は、婉曲(えんきょく)的表現だ。


 Mrミスターは、Masterマスター(主人)から派生し、Missミス、Mrsミセス及びMisミズは、Mistressミストレス(家の女主人)から派生している。

 Dr.ドクター(医者)、Prof.プロフェッサー(教授)、Presidentプレジデント(大統領)、Governorガバナー(知事)、Mayorメイヤー(市長)などの敬称は、端的に職業・階級を表している。

 階級社会である西洋では、曖昧な表現では彼我の階級を明らかにできないためだろう。


 これに対して、日本の敬称は、なんとも奥ゆかしい。敬称ですら直接的に言うことが憚(はばか)れるからだろう。

 例えば、「殿」は、元々「邸宅」の意味であって、派生して邸宅に住む人を尊称するようになった。

 「様」は、もっと婉曲的な表現であって、元々は「物事や人のありさま。ようす。状態。」を指す言葉だった。


 「殿」と「様」については、昭和27年4月14日国語審議会が文部大臣に提出した「これからの敬語(建議)」によると、「将来は,公用文の「殿」も「様」に統一されることが望ましい。」とされている。

 これを受けて、多くの自治体では、「殿」を用いずに、「様」を用いるようになった。この点について、条例で明記している自治体が少なからずある(ex.京田辺市条例の用字、用語等の統一に関する条例第10条)。

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/01/tosin06/index.html

cf.京田辺市条例の用字、用語等の統一に関する条例 (昭和39年3月30日 条例第21号)

(敬称)

第10条 公用文に用いる敬称は、「様」とする。


 では、なぜ「殿」ではなく「様」を用いるべきなのか。

 「殿」は、目上の者が目下の者に対して用いる敬称で、これを公用文に用いると、上意下達の尊大な印象を与えるのに対して、「」は、目上・目下・同格のいずれに対しても用いることができる万能の敬称だからだ。


 私は、原典にあたって確かめていないので、知識の受け売りになるが、宣教師ロドリゲス著『日本大文典(Arte da Lingoa de Iapam)』(1604~1608年)という日本語の教科書には、「様」が最も敬意が高い敬称だとあるそうだ。敬意が高い順に敬称を並べると、①「様」②「公」③「殿」④「老」の順になるらしい。


 このロドリゲスの記述は、おそらく正しいと思われる。というのは、次のようなエピソードがあるからだ。

 江戸時代、石高が1万石以上でなければ大名ではないのに、現在の栃木県さくら市の喜連川藩(きつれがわはん)は、石高5千石でありながら、10万石の大名待遇を受けていた。しかも、藩主は、御所号を許されていた。御所は、征夷大将軍を意味し、隠居した将軍は大御所(おおごしょ)と呼ばれるように、御所号は、征夷大将軍にのみ用いることが許される称号なのに、喜連川藩主には御所号が許されていたのだ。さらに、喜連川藩は、徳川家の客分として扱われたので、参勤交代や諸役の義務もなかった。

 このように何もかもが破格の待遇なのだが、その理由は、喜連川家が、足利尊氏の次男・足利基氏を祖とする足利家の嫡流だからだ。足利氏諸流のうち、明治まで大名格で存続したのは、喜連川家だけだ。

 奥州街道の喜連川宿は、参勤交代の大名行列で賑わった。中でも、仙台藩伊達(だて)家は、大人数でお金を落としてくれる上得意様なので、喜連川藩士たちが、仙台「様」・伊達「様」と呼んでありがたがった。これを聞きつけた喜連川藩主が、「様」ではなく「殿」と呼べと命じたそうだ。足利氏の嫡流たる喜連川家の方が諸大名よりも目上なのだから、目下の諸大名に対しては「殿」を用いるべしというわけだ。

 系図を見れば一目瞭然だが、清和源氏の正嫡は、源頼朝公の血筋が絶えた後は、新田氏であって、足利氏ではないから、新田氏諸流からすれば、「足利氏の分家にすぎぬ喜連川家ごときに目下扱いされるとは片腹痛いわ!」ということになろうが、如何せん征夷大将軍を拝命し室町幕府を開いたのは逆臣足利尊氏なので、「勝てば官軍負ければ賊軍」で致し方なしと、「殿」と呼ばれるのを我慢していた大名・旗本もいたことだろう。


 なんにせよ、「これからの敬語(建議)」が契機となって、戦後、敬称についても平準化が図られ、より一層四民平等が強化されたと言えよう。


4 法律で定められた敬称

 では、敬称を定めた法律はあるのだろうか。

 あるけれど、敬称を定めた法律は、たった2本しかない。すなわち、皇室典範と天皇の退位等に関する皇室典範特例法だ。「日本国の象徴」・「日本国民統合の象徴」ということで、別格になっている。

 つまり、法定の「陛下」及び「殿下」以外の敬称については、慣習法に委ねられているわけだ。


 マスコミは、議員や公務員が違法な行為を行なったのではないかという疑いがあるだけで、まるで鬼の首を取ったように「法を守れ!」と居丈高に叫ぶくせに、法律で決められた敬称「陛下」を用いずに、天皇「様」・皇后「様」と呼んで憚(はばか)らない。恥知らずなダブルスタンダードだ。

 下郎なマスコミは、天皇陛下を初めとする皇族を自分と同じレベルに引き摺(ず)り下ろしたいのだろう。

 

cf.1皇室典範(昭和二十二年法律第三号)

第二十三条 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする

② 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする


cf.2天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成二十九年法律第六十三号)

(上皇)

第三条 前条の規定により退位した天皇は、上皇とする。

2 上皇の敬称は、陛下とする

3 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。

4 上皇に関しては、前二項に規定する事項を除き、皇室典範(第二条、第二十八条第二項及び第三項並びに第三十条第二項を除く。)に定める事項については、皇族の例による。

(上皇后)

第四条 上皇の后は、上皇后とする。

2 上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例による


 前述したように、「陛下」及び「殿下」以外の敬称については、慣習法に委ねられているのだが、前掲の「これからの敬語(建議)」によると、「さん」を標準の形とするから、内閣総理大臣に対して「安倍さん」・「菅さん」と呼ぶことは、必ずしも失礼というわけではない。

 しかし、明治以来、将官の軍人勅任官以上の文官に対しては「閣下」という敬称を用いるのが慣習法であり、現在でも、外交の場で「閣下」が用いられているのだから、「閣下」を用いるべきだろう。そうすれば、品位に欠ける国会中継も、多少はマシになろうというものだ。

 参考までに、ドイツ連邦共和国大使館・総領事館のFacebookに載っているメルケル首相から安倍総理宛の祝電を転載させていただく。

https://de-de.facebook.com/GermanyInJapan/photos/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AE%89%E5%80%8D%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%B8%E7%A5%9D%E9%9B%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%AB%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AF10%E6%9C%8823%E6%97%A5%E5%89%8D%E6%97%A5%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E8%A1%8C%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%81%A7%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E3%81%8C%E7%AC%AC1%E5%85%9A%E3%81%AE%E5%BA%A7%E3%82%92%E7%B6%AD%E6%8C%81%E3%81%97%E3%81%9F%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AB%E7%A5%9D%E9%9B%BB/840865559409889/

 

 最後に、私は、受講者から「先生」という敬称で呼ばれているが、「先生と 呼ばれるほどの 馬鹿でなし」という読み人知らずの川柳が脳裏をよぎる。

 この川柳には、2つの意味があるらしい。

①  先生と呼ばれていい気になるような馬鹿ではない

②  先生と呼ばれるようになるためには相当の馬鹿でなければならないが、先生と呼ばれるほどの馬鹿ではない。→先生と呼ばれていい気になっているかも知れないが、呼んでいる方は本当に尊敬しているわけではない

 国語通りに読めば、①なのだろうが、川柳だから、②のような皮肉の意味に解することもできるだろう。

 職員研修に出講した際には、②の意味を己の戒めとして、卑屈にならない程度に、できるだけ腰を低くして受講者と接するようにしている。仕事で忙しいのに無理矢理研修を受講させられ、小難しい法律の話を長時間にわたって聞かされる受講者からすれば、どこの誰とも分からぬ初対面の私にそもそも敬意を抱くはずがないからだ。