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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大王対女帝8-オーストリア継承戦争

2021.02.15 02:09

1740年5月31日、プロイセン王フリードリヒヴィルヘルムが崩御し、フリードリヒ2世が即位した。ベルリンの新聞は「哲人が王位についた」と報じた。新王は「国民の利益優先」と言い、間接税を廃止、さらに異端審問の拷問を廃止し、すべての宗教は平等という寛容令を出した。

新王は、科学アカデミーを再建し、学芸復興をうちだした。欧州の啓蒙主義者らは、この王が軍備を減らすと期待した。しかし彼は1万人兵を増員したのである。そしてヴォルテールに「片手は軍隊、片手は国民と芸術」と手紙を書く。即位半年後、ヘルスタールが新王への忠誠を拒否すると、ためらうことなく軍を送りこんだ。

そして10月20日、神聖ローマ皇帝カール6世は、狩猟中に腹痛を訴え、58歳で急逝してしまったのである。準備していたとはいえ、後継者の23歳マリア・テレジアはこのとき第4子を妊娠中だった。

ところがこの後継をバイエルン公国が認めず、帝位を要求、スペインも、ザクセンもバイエルンを支持した。12月9日、プロイセンは、皇帝継承を認める条件にシュレージエン割譲を求めた。その返事が届かぬ12月16日、アンチマキャベリを書いたはずの哲人王は、「ルビコン川を渡れり」と真冬の侵攻するのである。