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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大王対女帝9-マリア・テレジア反撃

2021.02.16 09:58

シュレージエンはプロテスタントが多く、プロイセン軍は歓迎された。フリードリヒ2世は、1741年2月の手紙に書く「私が戦争を好むのは名声を得るためだ」まあ確かにマキャベリはそんなことは書いていない。この侵攻は真冬だから成功し、オーストリアの反撃は春になった。

両軍は4月10日にモルヴィッツ近くで会戦、この戦いは、オーストリア軍騎兵の突撃に悩まされ、普王は、戦線離脱を余儀なくされるが、その後、普軍歩兵の一斉射撃が墺軍騎兵の足を止めた。墺軍は、仲間の死体を乗り越えて進んでくる普軍に恐れをなし、ついに撤退した。

戦闘そのものは、プロイセンの辛勝だったが、欧州各国はここで初めてプロイセンの名前を覚えたのである。ここでフランスはバイエルンと共に参戦し、両軍は8月15日にウィーン進軍を開始した。スペインも北イタリアのオーストリア領に攻撃を開始する。

オーストリアでは、マリア・テレジアに3月13日待望の男子ヨーゼフが誕生。そして彼女はハンガリーに行く。6月25日にハンガリー女王として即位し、議会を招集。そこで息子を抱き「この子を抱いた私を救えるのはあなたがただけです」と訴えた。その結果、勇猛なハンガリーが味方になり、帝国一体の戦時体制ができる。

下はハンガリーに乗り込んだマリア・テレジア