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俯瞰(ふかん)して観察する「メタ認知力」

2018.02.17 10:15

https://note.com/kami_edu/n/n7db3e2267d6f  【noteを始めた理由:自分軸を見つける!】 より

【はじめに】

 今日は、なぜ私がnoteを始めようと思ったのか、その理由について書きたいと思います。

1.noteを始めた理由:導入

 私がnoteを始めた理由...それは自分軸を明確にするため。です。

「えっ、何それ?そんな理由?😦」と思われてしまうかもしれませんが、本当にただこれだけの理由です。

 少し遠回りな説明になってしまうかもしれませんが、なぜ私が自分軸を明確にしたいと考えているのか、以下に記していこうと思います。

2.そもそも自分軸って何?

 「自分軸」という言葉、定義づけようとすると少し難しいかもしれません。

 しかし我々は、日常の生活の中で、この「自分軸」に沿って行動していると言えます。

 買い物👜、旅行の行き先✈️、進路🏫など、我々の日常生活では、何かを決定したり決断したりしなければならない場面が山ほどあります。

 例えば、買い物をするとき、我々は買おうとしているものが自分にとって必要かそうでないかを判断して、買うか買わないかを決定しているでしょう。自分にとって全く必要のないものを買う人はいないのではないでしょうか?

 そうした決断をするときは、買い物の例のように、我々は自分の価値基準や信念に従っています。

 こうした自分の価値基準や信念こそが「自分軸」です。

自分軸=自分の価値基準や信念

3.自分軸を手に入れることの重要性

 今日の社会は、めまぐるしい技術の発展に伴い、物凄いスピードで変化し続けています。こうした「予測不可能」な社会を生きていく上では、何よりも「自分軸」を持つことが大切だと、私は考えています。

 これから未来を生きていく若い生徒たちは、「予測不可能」な問題に直面することもあるでしょう。そうしたときには、「自分自身」で問題を解決していく必要があります。

 問題に直面していなくても、日々の生活の中で、自分で目標を設定し、そのために何をすべきなのか自分で考える能力が必要でしょう。いわゆる「自己決定能力」が必要なわけです。社会人になってから、上司や親が自分のために何から何まで決めてくれるはずがありませんから。

 AI技術やインターネットは、我々にあらゆる情報を教えてくれますが、その情報をどう活用するのか、そもそも自分がどのように行動すべきなのかということは教えてくれません。自分自身で決定しなければいけません。

 だからこそ、自分軸で行動することが重要なのです。

4.自分の価値基準を言語化できる? メタ認知能力

 上記のとおり、私はこれからの社会では自分軸に沿って行動していくことが重要だと考えています。そのため、勤務校で自分が担任しているクラスでは、とにかく自分たちで考えさせることを重視しています。

 しかし、そもそも自分軸で行動するためには、そもそも自分はどんな価値観や信念を持っているのか、それを知っていなければなりません。

 つまり、自分はどういう基準で物事を判断していて、どういう信念に従って行動しているのか、それを自分で知っておく必要があるわけです。自分の価値観や行動を、自分の主観とは離れた別の視点から認識する、いわゆるメタ認知が必要なわけですね。

メタ認知=自分の認知(思考や行動など)を客観的に認知すること

5.メタ認知、できてますか?

 そこで、ふと思ったわけです。

 生徒にえらそうに「自分で〜」とか「自分軸をもとに〜」とか言ってるけど、そもそも自分の価値基準とか信念を言語化できるのか?

と。

 そして試してみて絶望しました。そもそも自分が何を基準に物事を判断しているのか、自分の軸って何なのかを言語化できないことに気づいたんです😨😱

 生徒にえらそうに言ってる張本人がこれではお粗末です。

6.noteを始めた理由:結論

 ここまで長々と説明してきましたが、ここまでお読みいただいた方はもうお分かりだと思います。

 ズバリこういう理由でnoteを始めたわけです。

 自分の教育全般に対する考えや意見をはじめ、授業実践や部活動指導で思ったこと、考えたことをアウトプットしていくことで、自分の価値基準や信念を浮き彫りにし、自分の軸とは一体何なのかを明確にしたいから。

【おわりに】

 ということで、私のnoteでは、日々の教員生活で感じたこと、考えたこと、思ったことを記していくつもりです。具体的には、①教育全般に対しての考えや思い、②授業実践の記録とその反省、③部活動指導の記録とその反省などについて書いていければいいな、と考えています。

 自分のため、というのが大きな理由ではあるのですが、記事という形で多くの方に見ていただく以上は、同業の先生方をはじめ、教員ではない方々や、これから教員を目指す学生さんなど、様々な方々の参考になるような記事を書いていきたいです。私は3年目の教員ですので、1年目の苦悩や、社会人としての悩みなども、赤裸々に書いていけたらいいな〜なんて漠然と思っています。

 また、更新頻度を意識するがあまり、内容の薄い陳腐な文章になってしまっては本末転倒ですので、自分のペースで、更新できるときに更新していくつもりです。(本音を言うと、面倒臭がりな僕に毎日更新は絶対に無理だからです笑)

 ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございました。こんな私と交流してくださる方は、ぜひTwitterやFacebookもフォローしてください


https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00065/070300006/ 【隠された才能を発掘できるのは他者の言葉とメタ認知力】 より

 2019年1月に世に出た本が話題になっている。『天才を殺す凡人』――。組織の中でいかに「天才」が殺されていくのか、つまりは人間の創造性がなぜ組織で生かされないのかというメカニズムを説き明かしたビジネス書だ。

 この本ではタレントマネジメントを3つの才能、「創造性」「再現性」「共感性」と定義し、それぞれを擬人化させている。それぞれの才能が複雑に絡み合って、企業の中で生まれつつある「イノベーション」が殺されてしまうことがある。では「才能」を殺す組織、生かす組織とはどんなものなのか。

 本連載では北野氏が、幅広い業界のキーパーソンと対談。組織やチーム、そして人間に宿る「才能」を生かす方法を探る。

 連載2回目のゲストとして登場するのは為末大氏。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得。男子400メートルハードルの日本記録保持者でもある。残酷なまでに「才能」の影響が大きいスポーツの世界に身を置いてきた為末氏にとって、「才能」とは一体どういうものなのか。それを踏まえて「才能を殺す組織」と「才能を生かす組織」とは。3回にわたって北野氏と語り合う。対談前編(「天才は触らない、秀才は型をはめる。企業が個人の才能を伸ばすには」)や対談中編(「あなたの才能、発揮できる『表現装置』はこの世にあるか」)に続いて、後編ではあなたの中に宿る才能をどのように発掘するのかについて。為末氏独特の解説に魅了される。

(構成/宮本 恵理子)

北野氏(以下、北野):対談の前編と中編では、そもそも才能とは何か。そして才能の生かしかた、殺しかたについて為末さん独自のお考えを伺いました。

 後編ではまず、「才能と組織」に関連して新しい質問をさせてください。もし、為末さんが企業のCHRO(最高人事責任者)に就任したら、才能を生かすためにどんな施策をしますか。

為末:ビジネスの経験はあまりないので、競技経験から引っ張ってくると、まず考えるのは「“新陳代謝のリズム”を変えること」かな。

 新陳代謝というのは、いつ人が入ってきて、いつ辞めていくのかという流動性のこと。人の入れ替わりのリズムを、日本の企業はもう少し速くしてもいいんじゃないかと思っていて。

 トレーニングの理論では、「最初の60分間で必要なトレーニングの8割以上を得られる」と言われているんです。

 これには2つの見方ができて、1つは「だったら最初の1時間だけ頑張ればいいよね」という考え方と、もう1つは「1時間を超えた後の粘りで1~2割の差が出る」というもの。

 僕はどちらかというと前者の考え方をするから、これを人の組織内での人材育成に当てはめると、「新しい環境に身を置いてから数年で成長が止まる」ということになります。

 人が入れ替わると、秩序が乱れてカオスになるんだけれど、活力も生まれる。その変化のリズムを短期的に回している組織のほうが、環境変化にも適応しやすいと思いますね。

北野:優秀な人は、飽きさせないために2年以内に異動させたほうがいい、というデータもあったりするんですよね。

 日本では「石の上にも3年」と言われますが、3年どころか30年座り続けている人がごまんといます。心地のいいカーペットの上で30年ならいいけれど、ずっと石の上だとしたらキツいものがあります。

物理的な動きが伝える組織の活性度

為末:仮にこれまではカーペットだったとしても、ある日突然、石に変わる可能性もある。カーペットであり続けられるかどうかは、自分や会社だけでなく、世界情勢も大きく影響することを忘れてはいけません。

北野:地方によっては、雇用を守ることが第一だったりするので、一概には言えないですが。本当はもっと早く別の場所に行ったほうがラクになるはずの人が、ただ惰性で長く居続ける、というのは不健康だと思いますね。

為末:1つの組織の中にも、いくつかのレイヤーがある気がします。

 粛々と仕事に取り組む会計の担当者と、マーケットを見る担当者では、最適な入れ替わりのリズムは多分違いますよね。ピッチャーとキャッチャーを一律で考えないほうがいいのと同じで。

北野:おっしゃる通りですね。では、組織が才能を殺しかねないバッドアクションとして浮かぶものは何でしょう。

為末:いろんな会社を訪問して気になるのは“動き”かな。物理的な動きが少ない会社は、活性度が低いように見えます。

北野:動き、ですか。もう少し詳しく教えてください。

為末:『流れとかたち』(紀伊國屋書店)という熱力学の本がとても面白かったんです。「なぜ宇宙から見た地球の河川の形と、肺の静脈の形は似ているのか」という問いから始まるんですが、要はある地点からある方向にモノが流れるときに形が決定されていくのだと書かれている。

 そもそも生物は、光を求めてうごめいたところを原始として海に海流を生み、その海流がプランクトンをかき回して新たな生命を生み出し……。流れを生む動きがある世界こそ、何かを生み出せる環境なのだと、腑(ふ)に落ちたんです。会社の組織も淀みなく動いているほうがいいと思いますね。

 その流れも、一方的な秩序だった流れより、多方向なカオス的な流れがあって、「明日は何が起きるか分からないね」とみんなが思っているような場所のほうが、ワクワクと楽しめる気がします。少なくとも僕はそういうタイプです。

「反応を楽しむ」体験を

北野:僕が博報堂にいたとき、2年に1回くらい、フロア全体の席替えをしていたんです。「忙しいのに」とみんな文句を言っていましたが、経営する立場になって思うのは、たしかに無理やり流れをつくることで、活性化につながっていた部分はある。クリエーティブを重視する会社はすでに“動き”の演出を取り入れているのでしょうね。

 ほかに、流れを生み出すために始めるといいことはありますか。

為末:個人でできることとしては、「反応を楽しむ」体験を積極的にするといい。

 人間の行動は自由意思によるものはほとんどないと思っていて、大部分は“反応”です。

 ゲームが楽しいのも、植物を育てて楽しいのも、「こうやったら、こうなった」という反応をつかめるからです。反応を楽しむクセをつけると、自然と周りに変化が生まれやすくなるんじゃないかな。

北野:確かに、子どもは動くものが大好きですよね。「動きを面白がる」という感覚は、我々の原始的な欲求に組み込まれているのかもしれません。

為末:全くコントロールが利かない動きはつまらないんだけれど、「ちょっと働きかけてみると、ちょっと影響を与えられる」くらいが面白い。全部思い通りになったら、それはそれでつまらないから、影響を及ぼせる範囲と、そうでない範囲の絶妙なバランスが恐らく大事なんでしょうね。

北野:為末さんの卓越した観察力はどうやって磨かれたのか、気になります。ビジネスにもすごく生かされる技術ですよね。

為末:観察は確かに好きかもしれません。うちのスタッフによく伝えているのは、「花火が上がったとき、花火を上げる人だけ見ていちゃいけないよ。花火を見ている人をよく観察しなさい」と。全体を俯瞰(ふかん)する意識付けを日ごろからすることで、身につくものだと思います。

北野:なるほど。俯瞰(ふかん)して観察する意識を持つ、と。

為末:物理的なポジションの取り方も、無意識に気をつけています。話をする相手をよく知るには、正面に向かい合って座るより、カウンターで横並びに座るほうがいい、とか。向き合うと綱引きになっちゃうけれど、横並びだと目線の方向が同じになるから敵対しづらくなるんです。

 スポーツの世界でも「ロッカールームのベンチにどう座るのが、その後のパフォーマンスにとっていいのか」といった議論があります。やっぱり人間は動物だから、物理的な位置取りに、かなり影響されるのでしょうね。

北野:面白いですね。最後に、個人が自分の才能を育てるためにできることは何か。改めて教えてください。

自分の力だけで、才能は見つけられない

為末:まず「才能の気づきかた」に関しては、自分の力だけでは見つからないと思ったほうがいいですね。

 僕自身、競技者をやめた後は、ずっとビジネスマンに憧れていたけれど、具体的に何が自分にできるのかはあまり分かっていなかったんです。

 でも、何となく書いたり話していたりしたことが評価されるようになって、「へぇ、これが得意なんだ」と、周りから気づかせてもらいました。自分では息をするようにしていることでも、他人からほめられることがあれば、それは一つの才能の種になります。

 あとは、やっぱりいろんな場所に行ってみないと、自分の興味も行動のクセも分かりません。だから「とにかく動く」のはオススメです。さらに俯瞰(ふかん)して観察する「メタ認知力」を鍛えられたらいいですね。

北野:メタ認知力は、どうやって磨けるでしょうね。個人が自分の才能を見極める上でも、とても重要だと思うんですが。

為末:僕が大事にしているのは、自分への問いかけです。何かに興味を持ったとき、「どうしてこうなっているんだろう」と問うのと同時に、「なぜこれに関心を持ったんだろう」と自分に問いかけるようにすることです。

北野:それはすごくいい問いかけですね。今は「主観と客観」のバランスが求められる時代だと思っています。主観と客観の違いは、小説と脚本で説明すると少し分かりやすいかもしれません。

 村上春樹さんの書く小説は、徹底した“主観”だと言われていて、村上さん自身が「15歳の自分がもしここに行っていたら」という主観でストーリーが進むから読者も没入感を味わいながら引き込まれていく。作品の中の表現も「このとき、こう思った」という内面描写をストレートにしていますよね。

 一方で、僕が学んでいた脚本の世界は、映像化を前提としているので“客観”の目が求められます。登場人物の言葉やしぐさから感情を伝えてくんです。例えば「ヒロインが恋をしている」と表現するには「待ち合わせの前に、何度も化粧室に入って丁寧にメークをする」といった行動を書くことで、気持ちを描いていく。

謙虚であるほうが最後には勝つ

為末:スポーツの世界では、ビデオが登場したことで、選手がずいぶん変わったと言われています。うまくなっただけでなく、みんなが似通ってきた。

 日本のサッカー選手のレベルが上がったのは、セリエAの試合が放送されるようになったから、という説もあるくらいです。それほど、見ることのインパクトは大きいんです。

 今では誰もが簡単に、自分の姿を見られる時代で、それがメタ認知や自己を客観視する力にプラスに働いているとも言われています。

 一方で、「どのように見えるか」を意識することと、「自分が今どう感じているか」を意識することは、似ているようで大きく違う。

 脚本的な客観が上手になることは有用で、社会での振る舞いが器用になるのかもしれないけれど、小説的な主観を全く持てないとどこか満たされなくなる。そんな気もしますよね。

北野:SNSの世界は完全に「どう見られるか」に偏っています。だからこそ一つの現実逃避として、主観に没頭できる村上春樹作品にひかれる人が絶えないのかもしれませんね。

為末:人間は本来、「見せたい自分」「ありたい自分」「今ここにいる自分」と、いろいろな自分が交ざっているはずです。けれど今はそのうちの「見せたい自分」が強く出過ぎる時代です。この複雑なバランスを理解することも、自分が発揮したい才能に気づくには、大事なのでしょうね。

北野:為末さんと今日お話しさせていただいて、改めて謙虚な姿勢を大事にされる方なのだと感じました。謙虚であることの価値については、どう考えていますか。

為末:謙虚であるほうが最後には勝つし、戦略的には絶対に正しいと思います。水が低いものに向かって流れていくように、自分が下であると示したほうが、相手の知識はどんどんと流れてくるはずです。

 相手を上に立てることで、感情的には損した気分になるかもしれないけれど、それができれば成長という意味では得をします。

 とはいえ、あまりにも戦略的にやると相手にも伝わるから、あくまで自分の好奇心が赴く、ということが大前提なのでしょうね。

北野:謙虚さを忘れることは、自分の無知をさらすということでもあります。

為末:本来的に傲慢な人はそのままでいいと思うんです。それでいろいろぶつかって悟っていくだろうし、損得も自分で引き取ればいいだけのことですから。

 ただ僕は、人に対して知りたいこと、話したいことがあふれるタイプだから、謙虚さに努めるほうが、自分が満たされる。やっぱり自分を知ることが出発点じゃないですか。

北野:才能を起点として、とても深くて広いお話を聞けました。ありがとうございました。