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明日で10年 〜東日本大震災と仙台荒浜とEL BRANCA SENDAI ARAHAMA〜

2021.03.10 03:01

東日本大震災により被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。


明日であれから10年。


今でもあの時のことを思い出すと少し心拍が速くなる。


当時は17歳で高3を迎えようとする3月。

学校で紅白戦をしていた時だった。

桁違いで大きくて長い揺れ。

波打つ地面。

窓が全部割れそうな音。

止まらない余震。

山の上の学校に居たから全部見下ろせた。

あちこちから煙があがる街。

夜は停電で真っ暗な街。

光るのは身動き出来ない車のライトと燃え盛る石油コンビナート。

やっとついたテレビで何度も流れる津波で流される街の映像。


住んでいた仙台荒浜は津波で流されて壊滅だった。

下の写真のバスの向こう側には、10年前は家が並んでいて、小さな街があった。

家が無くなって悲しいとかよりわけがわからなかった。これからどうなるんだろう。どこに住むのか。学校は通えるのか。サッカー辞めなきゃいけないか。いやまず、みんなは無事なのか。尽きなかった。

でも悲惨な映像を見ると、自分だけが悲しんでる場合じゃないと思った。もっと辛い人たちが居ると。みんなその気持ちがあったと思う。僕だけじゃない、みんな自分のことを嘆くことより歯を食いしばって助けあった。


現在、東北はここまで復興した。

なかには未だに避難生活を強いられてる人達も居るが。

でも前に進んだ。

仙台に傷跡はほとんど無い。


風化を感じる場面があった。


昨年ジュニアユース活動の時に仙台荒浜の慰霊碑にお祈りをしてから練習しようと言った。


「何お祈りするんですかー?必勝祈願ですかー?」

といつものお調子者が言ってみんな笑ってた。

何も言わずに慰霊碑の前まで連れて行った。

慰霊碑に刻まれている言葉と犠牲者の名前を見てみんなの顔色そして空気が変わった。まさしく百聞は一見にしかず的なことだった。

そう、もう今の子供達には実感のない話。中学生でさえニュースや教科書のなかでの話なんだと思った。

伝えなくては。


この震災に学び、選手に伝えなきゃいけないことはなんだろうか。

大きく4つ使命があると思う。


①「災害の恐ろしさを伝え備えさせること」


災害が来ても正しい行動をすれば命が助かる。知識を持って備えていれば被害は最小限に抑えられる。少しでも同じ悲しみを繰り返さない為に。


②「困難の中で支えることのできる優しさと知恵と強さを持った人を育てること」


あの時を思い出すと、今は悲しみより感謝が込み上げる。僕たち被災者は人に、仲間に、全国の皆さんに支えられた。過ごす場所、食べるもの、衣服、全てを頂いた。仲間には何より心が支えられた。そして震災後1ヶ月ずっと学校の寮で過ごしたが、その間ずっと帰ることなく、家族を家に残して世話をしてくれた先生方の背中に、人としての強さ、人を教える責任と覚悟を学んだ。人を思いやることも、助け合うことも。選手たちが困難に直面した時、支える側になれる人間になれるように。人を思う優しさと、人を助ける知恵と、困難で前を向く強さを選手達に育んでいく。


③「命の尊さを伝え、命ある喜びを持たせること」


あの時生きたくても生きることの出来なかった多くの命がある。一方でいま自ら命を絶つ人もいる。生きることがどれだけありがたく、希望に満ちたことなのかを伝えなくては。

リンク先の河北新報さんの連載を読んで頂きたい。何を想うかは人それぞれだが、いま命ある自分は幸せなことであり、強く生きようと自分は思った。



④「仙台荒浜に明るいニュースを届けること」


あの日の夜にラジオで流れた「仙台荒浜に200〜300人の遺体」というニュース。あの日初めて死者の数のニュースだったと思う。聞いた瞬間ぞっとして恐怖に震えた。俺の地元がどうなってるんだ。聞いたみんなが一瞬静まり返った。まわりの状況を知れずに居たが、この震災のこれから露わになる被害の大きさを容易に想像させた。


仙台荒浜は以前のような街並みはなく、人は住んでいない。もうあの故郷は帰ってこない。震災のニュース以外で仙台荒浜と聞くことはほとんどない。だからこそ、クラブの名前は「エルブランカ仙台荒浜」だ。仙台若林じゃなく仙台荒浜。仙台荒浜に、仙台荒浜から明るいニュースを。頭の中に残るあのちいさな街を思い出すきっかけを。

仙台荒浜には震災前からあるサッカー場がある。昨年も何回か使わせて頂いた。これからも仙台荒浜に人と笑顔が戻る場所もある。整備も進み、果樹園などの施設も出来るらしい。悲しい過去の地で止まらせちゃいけないんだ。

この地の明るい未来を創るんだ。


サッカーには、いやサッカーにも大きな力がある。


2011年3月29日の日本代表対Jリーグ選抜によるチャリティーマッチでの三浦知良選手のゴールは鳥肌が立った。あのチャリティーマッチは嘘じゃなく、大げさじゃなく、勇気をもらい、悲しみだらけだった世の中が、前向きに希望を持って進む空気に変わった。

Jリーグ再開のベガルタ仙台対川崎フロンターレの試合も忘れられない。雨の中必死に闘い、太田選手のゴールと鎌田選手のゴールは宮城に希望の光を灯した。


プロかアマチュアかなんて関係ない。必死に頑張っている姿は観ている人の心を動かす。

エルブランカの選手ひとりひとりにも誰かの希望となり、勇気を与えることが出来るように。サッカーを全力で楽しんで一生懸命に取り組む、まずはそれだけでいいんだ!そのなかにドラマは自然と生まれる。魅力的なサッカーをして、エルブランカ「仙台荒浜」のサッカーで勇気と希望を与えよう!いや、まず選手たちにエルブランカ仙台荒浜のサッカーを通して勇気と希望を持って貰えるようにしなくては。




ちょうど2年前の3月11日からスクールがスタートしたのがこのクラブの始まりです。色んなタイミングが重なりこの日から。偶然だったのか必然だったのか。


色んな意味で特別な日です。


皆さんが参加しているエルブランカ仙台荒浜というチームはこんな想いの込められたチームです。


明日は黙とうして祈りを捧げましょう。


犠牲者の方々への追悼の意を込めて、平和で明るい未来を願って。