ZIPANG-5 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その26)~ みちのくの鬼婆伝説 ~【寄稿文】廣谷知行
大杉の立つ黒塚
後半でご紹介する観世寺の近くには鬼婆が埋められたとされる黒塚があり、大杉とともに石碑などが並んでいます。
みちのくの鬼婆伝説
「みちのくの安達原の黒塚に鬼こもれりときくはまことか」と、黒塚のことを歌ったのが大和物語での平兼盛の歌です。しかし、この歌は兼盛が、重之の美しい娘が辺境の地に住んでいて隠れているのを鬼と掛けたものであり、鬼婆のことを詠ったものではないようです。なので、ここでの黒塚は地名です。
この歌を元に謡曲、「安達原」、「黒塚」などがつくられ、巷に広まっていった話が「安達ヶ原の鬼婆」の話です。
安達ヶ原を題材にした浮世絵。国書刊行会「芳年妖怪百景」より
観世寺にある謡曲の由来書き
話の内容は、
乳母が育てた姫の病気を治すため、妊婦の生肝が必要と言われる。
安達ヶ原に流れ着き、妊婦の旅人を待つ。
妊婦がやってきたので殺して生肝を取る。
殺した妊婦が自分の本当の娘だと知る。
気が狂い、鬼婆となって旅人を襲うようになる。
祐慶東光坊が宿を借りるが鬼婆と知って逃げる。
鬼婆が追いかけてくるが、如意輪観音の力で鬼婆を倒す。
死んだ鬼婆を埋めた場所が黒塚と呼ばれる。
といった内容となります。
江戸の妖怪本に載る黒塚。国書刊行会「鳥山石燕 画図百鬼夜行」より
この話は非常に有名だったようで、江戸時代の妖怪本や、浮世絵にもその謡曲を題材とし、鬼婆の姿が描かれています。
ちなみに浅草にも「浅茅ヶ原のひとつ家」と言う、似たような話が伝わります。また、岩手県にも盛岡市の南に安達ヶ原があり、鬼婆伝説も残されています。
福島県の観世寺に
観世寺境内にある鬼婆の住んでいたとされる岩屋
福島県二本松市に天台宗真弓山観世寺があり、ここに安達ヶ原の鬼婆が住んでいたとされる岩屋などがあります。また、この寺の宝物館には鬼婆の絵、旅人を襲って肝を抜くのに使ったとされる鍋や包丁などが展示され、非常に見応えがあります。
この寺は祐慶東光坊が神亀3(726)年に開いたとされ、祐慶を鬼婆から助けた白真弓如意輪観音が祀られています。秘仏であり、御開帳は60年に一度です。
この寺の近くには鬼婆が埋められたとされる黒塚(トップの写真)があり、大杉とともに石碑などが並んでいます。また、ここでは鬼婆が岩手、殺された娘が恋衣、その夫が伊駒之助という名前であるとされ、娘を祀った恋衣地蔵堂、その夫を祀った伊駒地蔵堂なども近くにあるようです。
鬼婆の石像
観世寺にある鬼婆の石像
鬼婆伝説を伝える観世寺に鬼婆の石像があります。この石像を見ると、顔は削られており、よくわからなくなってしまっていますが、方膝を立て、胸をはだけている姿をしており、姥神の特徴を備えています。
観世寺宝物館にある鬼婆の像。小学館「日本の妖怪なぞとふしぎ」より
宝物館にも鬼婆の像があるのですが、確かに胸ははだけ、垂れた乳房はあらわになっていますが、造り方の趣向は違うと思われます。おそらくではありますが、この石像も、もともとは姥神だったのではないかと考えられます。
続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
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